老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

807;水を飲んだときは・・・・

2018-07-09 12:42:30 | 老いの光影 第2章
 水を飲んだときは・・・・

他人の痛みや喉の渇きは
わからない

本当は
自分が水を飲む前に
他者に水を与えて欲しい、と願うが
現実はそうではない

デイサービスや介護施設のケアスタッフに
よく話をする

夏は暑い
喉が乾いたら
冷たい水を飲むのはかまわない
自分が水を飲んだとき
喉が渇いても
水を飲むことを知らない、できない認知症老人のことを気遣って欲しい
冷たい水は
他者も欲していることに
気づいて欲しい

水は生命
水は乾いた喉だけでなく
気持ちまで潤わせてくれる
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802;お年寄りが好きなドリンク

2018-07-07 17:47:24 | 老いの光影 第2章
 お年寄りが好きなドリンク

余が関わり知っている老人
在宅訪問をすると
お茶代わり或は帰り際に
よく出されたりするドリンク
リポビタンD
チオビタ
オロナミンC

認知症を患う老人のなかには
体に「いい(良い)」と思い込み
1日に3、4本飲んだりしてしまう
トイレに通うこと頻回

頭痛や腹痛などすると
家庭薬である置き薬箱から
せきどめ
ケロリン
救心
などを手軽に服用してしまう
置き薬の人が
これは体調が悪いときに
よく効く薬だよ、と置いていく高価な薬

何でも効くと誤解される救心

救って欲しいのは
老人の心(気持ち)

そう「痛く」なくとも
「痛い」と訴えることで
あなたの傍に「居たい」
または
「生きたい」とも聞こえて来る
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801;ただいま〔5〕

2018-07-07 12:25:43 | 老いの光影 第2章
 ただいま〔5〕

人間は人の中に居ても
一言も話をせず
家でもデイサービスでも
無言のまま5年間過ごしてきた文婆さん

耳が聞こえない
話しかけても話さない人だと
誰もがそう思い込み
デイサービスの椅子に座っていても
話しかけない
歌を忘れたカナリアではないが
話すことをしなくなった老人は
言葉を忘れてしまう
それだけでなく
口や喉の機能までが低下(退化)していく
脳卒中の病いがないのだが
話すとき呂律が回らず言葉が不明瞭な文婆さん
回りはそんなことは気にもせず
話しかける

隣りに坐る91歳の婆さんは
昨年の夏脱水症で入院
寝たきりの状態で退院した
さくらデイサービスに通い
2週間で介助つきだが歩けるまでに復活
復活した智恵子婆さんは
迎えに行ったときから帰るまで
機関銃の如く喋りどおし
文婆さんは口を開けざるを得ない

スタッフからも
洗濯たたみ、食器拭きなど
いろいろとお願いされる
人間頼まれると嫌な気持ちははしない

したくないときは
断れることもできる

いまは呂律が回らずはっきりしないが
そのうち言葉ははっきりしてくる
気長に待つ

デイサービスが終わり
家路に着いた文婆さん
夫が出迎える
聞こえる声で
「ただいま~」と話した
いままで「ただいま」の言葉を聴いたことがなかっただけに
夫の目はウルウルしていた
妻から話しかけることはもうないと思っていただけに
嬉しかった

「ただいま」の言葉は素敵だし
心に残したい言葉
学校や仕事などから家に着き
玄関戸を開け
「ただいま」
「おかえりなさい」
の会話は
家族のぬくもりが其処に在る
家で(自分を、私を)待ってくれる人が居るから
「ただいま」と言葉をかける

これが
家には誰も居ず
冬などは夕暮れ時が早いから
玄関戸を開けても
真っ暗で寒々しく寂しさを覚えるし
「ただいま」の言葉は必要としない

私を待ってくれるあなた
老いても夫婦で助け合いながら生きる
チョッとした言葉が人の気持ちを温かくしてくれる
「ただいま~」
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800;ただいま〔4〕

2018-07-07 03:58:54 | 老いの光影 第2章
90歳を過ぎても 自分でできることは自分で行う 時間はかかるが「待つ」ことが大切

子育ても老人介護も同じく「待つ」

 ただいま〔4〕

文婆さん
昨日(7月2日)は85歳の誕生日だった
今日はさくらデイサービスに行く日(2回目)
85歳の誕生祝ということで
少し遠出ではあるが
約10km先にある田舎食堂で外食会
空は晴れ
心も晴れ
8人のジジババと
4人の熟年?スタッフ
4台の軽自動車に分乗し
出発

別のデイサービスで
5年間利用していたが
外食の機会は一度もなかった
〔25名の利用者では行きたくても行けない〕
必ずしも大きいことはいいことではなく
小さい方が小回りがきいて自由がきく
10名の小規模デイサービスはいい
〔経営は厳しい〕

テーブルに着いた
文婆さん
メニューを手にし
カレーライスを選んだ
職人が作ったカレーの味に
口元もほころぶ

ここの田舎食堂の目玉は
ビッグな海老天丼

外食は
子どもだけでなく
老人もウキウキ楽しみ

さくらデイサービスに来て
文婆さんは
自分を気にしてくれる
言葉をかけてくれる
お願いごとをされる
自分の居場所ができたような
そんな気持ちがする


〔次回へ続く〕

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797;ただいま〔3〕

2018-07-05 03:49:16 | 老いの光影 第2章
さくらデイサービスの外観(南向き玄関は階段があるも、足の不自由な老人にとり階段昇降訓練になる。左側の壁に手すりはある)

 ただいま〔3〕

文婆さんが
さくらデイサービスセンターを
初回利用された
翌日の朝
文婆さんの家に電話を入れ
訪問した

文婆さんの旦那は
まめでお茶をだしてくれた
名は古井秋吉
齢85歳
ストーマをつけながらも頑張り
妻の通院介助と買い物には
軽乗用車がないと困る、と話す
昨年運転免許証の更新ができ
「ホッとした。これがないと困る」

文婆さんはベッドで寝ていた
寝室は隣の部屋にあり
秋吉爺さんは起こしに行った
文婆さんは青と白模様のパジャマ姿で起きてきた
なかなか起きない婆さんが起きて籐椅子に座った
斜め横の掘り炬燵に私が座り
私の向かいには秋吉爺さん

「どうする?」
「今行っているデイサービスと昨日行ったさくらデイサービスと、どっちがいい?」
と秋吉爺さんは文婆さんに大きな声で話しかける
「自分で決めな」と畳みかけ話す。
私は「どっちがいい」とも話さずに彼女の言葉(気持ち)を待った
押しつけていけない
家で何にも喋らないと思われていた彼女
ポツリと話す
「昨日行ったデイサービスに行きたい」
秋吉爺さんは
「週何回行けばいいのか」と私に尋ねる
 「いま週3回デイサービスを利用されているから、さくらデイサービスは1回でもいいよ」
「1回では中途半端だから、どうせ新しいところに変わるのなら3回の方がいい」
夫は妻に「どうする、3回ともさくらデイサービスにするか、行くのはお前なんだから自分で決めろ」
文婆さんは「さくらデイサービスにする」と話す
妻が決めた方に決めるということで
7月から火曜、木曜、土曜の週3回、さくらデイサービスを利用することになった

7月3日火曜日から本格的な利用開始日
7月2日は文婆さんの85歳の誕生日

その日に文婆さんと家族(夫)と
介護用ベッドを貸与している事業所の福祉用具専門相談員と
いままで利用されていたデイサービスの生活相談員と
さくらデイサービスの生活相談員と
ケアマネジャーが
古井さん宅に集まりサービス提供担当者会議を開催
デイサービスの事業所が変わったことから
会議を開催しなければならない

たった1回の初回利用で
文婆さんは
新しいデイサービスを選んだ
これから文婆さんが
どう変化していくのか
私にとり楽しみがひとつ増えた

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796;ただいま〔2〕

2018-07-04 21:52:40 | 老いの光影 第2章
さくらデイサービスの食堂 テーブルを囲み食事作り

民家活用 定員10名の地域密着型通所介護(地域密着型小規模デイサービス)


ただいま〔2〕 

さくらデイサービスのスタッフは5名
スタッフの休みがあるので
実際の1日のスタッフ4名

(1週の内、1日は5名のスッタフになる)
「文婆さんをお客様扱いにしないこと」
「楽しんでもらうこと」
それには
何かを主体的にしてもらうこう(お願いする)

今日のお昼のメインは
焼きおにぎり🍙とシチュー
爺さん婆さんも昼食づくりで
和気あいあい
勿論サランラップ掌に乗せ
おにぎり🍙を握る
三角や真ん丸や俵型など
さまざまな形をしたおにぎり🍙
文婆さんも握った
その顔に笑いがあった
いびつな形のおにぎり🍙であっても
スタッフは注文をつけない
ただ一言
「ありがとう」と
爺さん婆さんの見えないところで
いびつなおにぎり🍙を手直しをする

手直しをしたおにぎり🍙に
醤油を漬け
熱い鉄板焼きの上で🍙を転がし
焼きおにぎり🍙が出来上がり

次にシチューの具材を切ったり皮を剥いたりする
文婆さんには
皮ひきでじゃが芋や人参を手渡し
皮むきをお願いする
必ずスタッフが脇につき
スタッフも皮むきをしながら
「上手~ね」とごく普通に褒める

その後
卓上ホットプレートに芋、人参、鶏肉などを入れ
掻き混ぜをお願いする
いままで家では寝たきりの生活だったためか
「疲れた」と言って
手を休め掻き混ぜをやめようとする文婆さん
スタッフに声をかけられ
掻き混ぜを止めることはできず続いている

他の利用者も
いつも食べているテーブルを囲み
それぞれが何かの作業(食事作り)をやらされている?

できた焼きおにぎり🍙とシチューは
みんなの協働合作だけに
「美味しさ格別
家では声も出さない、と夫からいつも言われる文婆さん
私の耳にも聞こえる声で
「美味しい~」と呟いた

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795;ただいま 〔1〕

2018-07-04 08:35:44 | 老いの光影 第2章
ただいま〔1〕

7月2日に
85歳の誕生日を迎えた文婆さん
第4腰椎体骨折後偽関節、左腰部脊柱管狭窄症、骨粗鬆症の疾病が有り
ひとり歩行は難しい
いままで定員25名のデイサービス事業所を
5年間、週3回利用されていた
在宅では週4日 24時間ベッド上の生活
起きるときはポータブルトイレで用を足すときのみ
不慣れな食事作りをしてくれる夫に
「美味しい」でもない「美味くない」でもない
無言に食べているだけ
夫が話しかけても
聞こえているのか聞こえていないのか
わからず
無言
長年連れ添った夫婦
無言の会話はあるけれども
無愛想な表情
夫はケアマネジャーにこぼす
「はりあいがない」
「疲れだけがたまってしまう」

5年間利用されていたデイサービス
文婆さんの変化を期待することはできない、と判断し
文婆さんの夫に
「定員10名の小さなデイサービスに変えてみようか
初回のデイサービス利用を行い
それで文婆さんの感想を聞いてみよう」
ということになった。

6月28日 さくらデイサービスの初回利用となった
(その様子は〔2〕へ続く)
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793;呼び水

2018-07-03 08:03:34 | 老いの光影 第2章
呼び水

排尿した後で
尿検査の紙コップを
渡されても
困ってしまう
尿がでない
そのときは
一度便器の水を流してみる
流れる水の音に反応し
尿が出るときもある

今日の朝も
暑くなる前に
元気(beagle)と散歩
歩いていると
路の端から
水が流れる音が聴こえた
それだけで涼しさを感じた
風鈴の音も同じ

こうも猛暑が続くと
在宅で暮らす
寝たきり老人や
一人暮らし老人
が心配
サイレンを鳴らす救急車の音が気になってしまう

在宅訪問をすると
ベッド上で寝ているだけで
熱がこもり
脱水症、熱中症になってしまう
飲む水も不足
水を飲む気力すら失ってしまう
飲めといわれても
なかなか飲めぬ水
一人ではなかなか飲むきにはなれない
一緒に麦茶(お茶)でも飲もうかと
言葉をかけ
ベッドから体を起こし
一緒に飲むと
老人も飲む
他に頭の下や脇の下を
氷で冷やすのもよい
体がほどっていて
熱く感じるのは要注意
冷やすことが肝要
高齢者世帯は
もったない精神が働き
冷房ををいれない
扇風機があっても
扇風機の羽は休んだまま
扇風機の羽を回そうよ
と声をかけたくなる

熱中症、脱水症にきをつけて、と
電話をかけるが・・・・
電話の向こうは見えない
やはり気になる在宅老人は
訪れ
一緒に水を飲む
呼び水が必要な在宅老人
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786;埋葬

2018-06-27 04:32:39 | 老いの光影 第2章

埋葬

外陰癌を患い
痛みがあっても
一つ泣き言や愚痴をこぼさず
最期まで生きた
83歳の女性
安らかな死に顔に
合掌した
何度も白髪を撫で返した

義父の従弟にあたり
身内として
担当ケアマネジャーとして
いや
人として
葬儀に参列した
九年前に
お袋の遺骨を抱いた
それ以来
彼女の遺骨を抱いた
ぬくもりが伝わった

白い陶磁器の骨壺に
白骨になった亡骸を納める
もう今は亡き
あなたを想う
弟と妹が眠る墓の隣に
土を掘り
あなたをそっと置き
土に返した
六月二十五日は
忘れられない日になった

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782;最期は何処で死を迎えるか

2018-06-17 21:43:48 | 老いの光影 第2章
最期は何処で死を迎えるか

「我家の畳の上で死にたい」と
病床に臥した老人は呟く

最近妻と長男夫婦に見守られ
自宅で亡くなった爺様がいた
安堵の表情
「起きて」と言葉をかけると
いまにも目を覚ましそうな感じだった

いま飲み込みができなくなった老いた父親
「胃瘻はしない」と
医師をしている息子は延命を拒んだ
病院を退院し
数日家で過ごすことを考えたが
母親は介護による疲労困憊で
身体が動かなくなった
長女は残業で帰りは21時半過ぎ
ヘルパーや訪問看護師が支援に入っても
看取りの体制は難しく
家で死を迎えることは
諦めた
入院中
外出許可により
1日だけ家に帰ることを選択し
最期は病院のベッド上で自然死を迎える

老いは病を抱え死を迎える
問題は何処で
どのような形で
誰と
死を迎えるか
死ぬ前に考えておかねばならない
家族ではなく
自分のことである



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781;尻の始末

2018-06-17 05:59:57 | 老いの光影 第2章
尻の始末

今日は父の日
自分の父ではないのだが
88歳の爺様
名は平助
自分の頭では理解でき得ないことがある
平助は
トイレで
糞をした後
拭かずに
そのまま
パンツを上げ
出て来る
この上なく
臭いのだが
本人は臆することなく
椅子に座る
お尻の谷間というか
肛門の周り
べたっ着いた
嫌な感触は
しないのか
と、思ってしまう
「上手くお尻拭けている?」
と、聞くと
「拭けてる」
と、とりつくろう平助

傍でその話のやりとりを聞いていても
実の息子は
沈黙のまま


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770;大人の「子ども」

2018-06-05 21:18:51 | 老いの光影 第2章
大人の「子ども」

子ども、とくに幼児は
奇想天外なこと
予期もせぬ行動をしたりする
子どもだからできること
それを大人が真似たら
馬鹿に見えてしまう

大人の「子ども」
何だか意味不明
意味がわからない表現
大人の「子ども」は
老人のことである

今年の冬(1月頃)
インフルエンザに罹患した
83歳のお婆さん
寝込んでしまい
一時的に「歩行」が容易でなくなり
要介護4の認定を受けた

物を大切にする女性で
どれだけ牛乳パックをとって置いたのか
その数はわからない
トイレまで歩くことが大変だったのか
空の牛乳パックにオシッコをしたのだ
その尿パックは20数本
台所に並べてあった
その他寝室にも10本は置かれてあった
牛乳パックは不安定であり
よくも尿パックは倒れずに無造作にあった

風呂場は放便(放糞)だらけで糞の山積であった
次男が隠居家に入ったときは
糞尿の臭いがきつく嘔吐しそうで10分とも居ることができなかった

タッパーウェアのなかまで便が詰め込まれキッチンに積まれてあった

ヘルパーと次男夫婦は
糞尿の始末を行い
ゴミ袋は8個にもなった
ようやく部屋は「綺麗」になった
が、臭いはまだ残っている
牛乳パックで排尿する
考えもつかない
大人の「子ども」
奇想天外の行動に
唖然とさせられた
老人の生き様は
ひとりひとり違う
老人介護
常識では考えつかないこともある
きっとこれからも
いろんな老人に出会うのであろう
楽しみだ・・・
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769;「自分より先に死んでくれた」ことに感謝

2018-06-04 21:24:45 | 老いの光影 第2章
「自分より先に死んでくれた」ことに感謝

つい先日
津川雅彦さんは 
「朝丘雪路さんに感謝」
「自分より先に死んでくれた」
認知症の妻に複雑胸中

老老介護されている老夫婦は
誰もが配偶者が寝たきりや認知症を患っていると
「自分より先に死んでくれる」ことを願う
息子夫婦(娘夫婦)に
寝たきり、認知症の親の世話(介護)をさせる訳にはいかない

私の場合
父親は癌で
母親は関節リウマチと認知症を患い、最後は急性肺炎で亡くなった
老親の心配はなくなったが
私より1つ上の姉は
いま統合失調症患者で長く精神病院に入院療養している
入院費の支払いなども含め毎月面会と外出(時々)のために病院を訪れる
「自分より先に姉に死んでくれる」ことを願っている薄情な弟
姉の内臓は丈夫で元気
一方私は慢性腎不全症で
姉より長生きできるかどうか危惧している
それでも「元気」に長生きせねば、と思っている

連れ合いが寝たきりや認知症を患い
後に残ったとしても
本当は心配のない介護や医療の体制ができている社会ならば
「自分が先に亡くなっても」安心できるのだが・・・・

津川さんの言葉の裏側は
わが国の貧しい社会を指しており
在宅介護の苦労を知らない多くの政治家たちには
津川雅彦さんの言葉は響かない
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766;ジッと死に向かって生きる

2018-06-03 04:33:15 | 老いの光影 第2章

ジッと死に向かって生きる

昨日
キャンバスで約2時間をかけ
83歳の素敵なお婆ちゃんに会いに行って来た
(介護相談を担当させて頂いているひとりの女性)
悪性の外陰部癌
疼痛に耐え
ジッと生きている
いまは
サービス付き高齢者向け住宅に棲む

彼女は寂しく話してくれた
「神様は私には幸せをもたらしてくれなかった」
「人生の最後まで癌に苦しみ いまは死を待つだけ」

癌の痛みは本人だけしかわからない痛み
手足は痩せ細り 棒のよう
両脚を動かすと激痛が走り
その痛みが顔に現れ
いたたまれない
彼女は「痛い」と言わず
笑顔で「(会いに来てくれて)ありがとう」と話される
後数日の生命かもしれない・・・・
ジッと死に対峙し生きている
医師、看護師そしてケアスタッフが
彼女の居室を訪れる


彼女との出会いのきっかけは
私の妻の父親と
従弟の関係にある
20代のときに
両親を見送り
かけがえのない妹と弟がいた
妹は妻子ある男性と交際
騙され海で入水自殺
彼女が定年になり退職となり
その退職金の全てが
弟のサラ金に消えた
その弟を恨むこともなかった彼女
弟は手遅れの肝硬変を患い他界した
それ以来家族はなく
独りで暮らしてきた
昨年の今頃
外陰部に腫瘍ができ
場所が場所だけに
受診が遅れに遅れた
彼女は自分の生命はそう長くはないと悟り
自分の亡き後
家の取り壊しと葬式と墓を賄うだけの僅かな貯金を
妻の父親に託した

彼女は話す
天涯孤独の身ではない
こうして妻の母親が毎日のように来てくれ独りではないことを・・・・

彼女は
苦労の連続
耐えて生きてきた
いままた疼痛にジッと耐え生きている

何もできない私
痩せ細り手を握り返してきただけの自分
 
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760;見る風景が違う

2018-05-28 11:50:31 | 老いの光影 第2章
脱水症から寝たきりになった91歳のお婆さん 要介護5の認定を受けいまは要介護3の状態までに改善された

見る風景が違う

住み慣れた家で
ジッとしているのと
介護施設で
ジッとしているのとでは
ジッとしている意味は違うような気がする

それは風景の違い であることを述べた

介護施設で
ジッしたままと車いす(または椅子)に坐っている
目にする風景は
(本人にとり)
見覚えのあるものは
なに一つない
無機質な壁だけ
外の景色が見えれば
超ラッキーであり
それは稀である
だから
つい俯いてしまい
目にするのは
汚れたテーブルの上面だけ
施設内は
非日常的な風景
つい車いすの上で眠ってしまう

住み慣れた家の居間で
ひとり堀炬燵に
坐り
ジッとしている老人の目に映る風景は
何か

天井や壁、畳など
汚れや滲みがあり
柱には成長を刻んだ傷の痕
茶箪笥の中や上には
旅行の土産物や家族の集合写真や孫の写真立
上の壁には夫や子どもたちが表彰された額淵もある
其処には
長年生きてきた老人の思い出がぎっしり詰まっている
何もせずとも
ジッとしていても
目が開いているときは
思い出の品々を見ているだけで
家族や老人が生きてきた思い出の物の風景がある

ひとり暮らしであっても
家の中の風景から
老人にとり思い出があることだけで
生きていける風景がある

心の風景は大切


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