老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

月が雲に隠れるように

2020-09-16 05:42:08 | 読む 聞く 見る
1678 月が雲に隠れるように

認知症老人は
先ほど話したことも忘れ
また同じことを話す

同じことを「聞く」のは疲れる
こっちがおかしくなってしまう、と
認知症老人を疎む

同じようなことを話しをしていても
本人にしてみれば
常に新しい出来事として話をしている。



『すみなれたからだで』(窪美澄、河出文庫)のなかに「朧月夜のスーヴェニア」という短編小説がある。
その小説のなかで「なるほど」と膝を叩くよう文に遭遇した。
「私は認知症ではない。新しいことを覚えたくないだけ。
新しい記憶がおさまらないほど、古い記憶で頭のなかがいっぱいなのだ。
だから、時折、月が雲に隠れるように、家族の顔や、住んでいる場所や、
自分の名前や年齢がわからなくなる。」
(173頁~174頁)

認知症老人は朧月夜みたいな感じなのかな
朧げではっきりとわからなくなることもあり
「月が雲に隠れるように」、先ほどまで覚えていた記憶も忘れわからなくなる。


心の傷

2020-09-07 05:00:04 | 読む 聞く 見る

白川 道『天国への階段』上・下 幻冬舎

1665 心の傷

いまテレビドラマ 『竜の道』も白川 道の小説であり
どちらも復讐をテーマにしている。

『天国への階段』上巻 を読み終えたところである
353頁に「人間誰しも心の奥底には人にはいえないなにがしの傷を持っているとおもいます。
でも、傷を抱えているからこそ人間なんです。
動物は怯えは持てても、心の傷は持てません。
逆にいえば、心の傷が深ければ深いほど、より人間的といえるのかもしれない・・・・・・」


心の傷は眼に見えないだけに 癒えているかどうかわかりにくい
躰の傷は皮膚が再生され癒える
「心の傷が深ければ深いほど、より人間的といえる」
心の傷が深く負った人は、他者の心の傷み(痛み、悼み)をわかりあえるのかもしれない
犬猫も人間から虐待されると「怯え」と同時に「心の傷」を受けることはある

人間誰しも心の傷を抱え生きている
心の傷を癒してくれるものは何であろうか・・・・・

 今日は自治医科大学付属病院感染症科外来受診の日で
朝 5時30分家を出ます
キャンバスで東北自動車道を1時間ほど走ります
病院到着は7時過ぎかな
病院の玄関が開くのは7時30分です
門が開くまで病人が立って並んでいます
奇怪な風景に映ります
椅子があったら座りたい心境です

病院待ち時間に『天国への階段』下巻を読み始めます



もっと自分自身に正直に生きればよかった

2020-08-11 14:36:28 | 読む 聞く 見る


1625 はらだみずき 『海が見える家』 小学館文庫

山に囲まれた処で生まれ育った自分
いまも山村に棲み暮らしている

老いの晩年は”海が見える家”で
大きな窓から朝から晩まで 海を眺め過ごしたい、と夢見ている。

『海が見える家』は、
大学を卒業して就職した会社が
ブラック企業であることがわかり
一ヶ月で辞めた直後に
届いた父の訃報。

父が住んでいた南房総の家は
海が見える家であった。

自分の夢と重ね合わせ、この文庫本を手にした。

「幸せとは何か」を静かに考えさえてくれた。
お金では買えない「幸せ」
「モノ」に囲まれた暮らしは、一見「幸せ」に映るが
実はそうではない

『自分の人生がおもしろくないなら、なぜおもしろくしようとしないのか。
他人にどんなに評価されようが、自分で納得していない人生なんてまったく
意味がない』(はらだみずき 『海が見える家』 小学館文庫 305頁)


「私の亡くなった夫は医者で、引退前は高齢者の終末医療に関わっていてね。
亡くなる前の患者さんからいろんな話を聞いたそうです。長く生きたにも
かかわらず、多くの人が自分の人生に対して悔いていた。彼らの多くが口に
したのは、『もっと自分自身に正直に生きればよかった』という言葉。その言葉に
尽きるのだと言ってました。(前掲書 306頁)


自分も老いに入り
13歳から67歳までの人生を振り返り
後悔だらけで何も「無い」
残りの人生は何年「有る(在る)」か,わからないけれど
最後の章(人生の最終章)だけでも
「悔いのない時間」を生きていきたい

しかし、鶏と同じで「さんぽ」歩いたら忘れてしまう自分
後悔と反省が上手な自分だが
最期に見る風景が「海であったらいいな」、と思う。

生死をみつめる❶

2020-08-04 07:46:33 | 読む 聞く 見る


1616 青木新門 『納棺夫日記』 文春文庫 生死をみつめる❶

『おくりびと』の映画を想い出した

一人暮らしの死から衝撃的な出来事を知った
死を見つめ、死に対峙する時間を持つことの意味を思い知らされた。

54頁~56頁を開いていきたい

今日も異常な現場に出会った。
古い平屋の一軒家で、一人暮らしの老人が
何ヵ月も誰も気づかず死んでいた。

物置のような部屋の真ん中に布団が敷いてあった。
「目の錯覚のせいか、少し盛り上がった布団が動いたような気がした。それよりも、
部屋の中に豆をばらまいたように見える白いものが気になった。
よく見ると、蛆(うじ)だと分かった。蛆が布団の中から出てきて、部屋中に広がり、
廊下まで這い出している。」

「お棺を置き、布団をはぐった瞬間、一瞬ぞっとした。後ろにいた警察官は顔をそむけ
後退り、箒を届けに来た男はなどは、家の外まで飛び出していった。
無数の蛆が肋骨の中で波打つように蠢(うごめ)いていたのである。」

「蛆を掃き集めているうちに、一匹一匹の蛆が鮮明に見えてきた。そして、蛆たちが
捕まるまいと必死に逃げているのに気づいた。柱をよじ登って逃げようとしているの
までいる。
蛆も生命なのだ。そう思うと蛆たちが光って見えた

警察に「お棺を持ってきてくれ」、と連絡を受け
現場に出向いた青木さん
警察官と布団の端をもって、蛆ごとお棺の中へ遺体をそのまま流し込んだ。

老人の遺体に蛆が棲息し、蠢ていた様を見、青木さんは「蛆も生命なのだ」、と
蛆を愛おしく光って見えたと捉える。

この場面にもし自分が遭遇したら、蛆が蠢ている遺体を見つめることができたであろうか


人を殺したことのある手で淹れたコーヒー❷

2020-08-03 04:46:33 | 読む 聞く 見る


1615 人を殺したことのある手で淹れたコーヒー ❷

英治(67歳)は仕事を辞め、
寝たきりの妻(63歳)を3年介護を続けてきた。

週に2回、ヘルパーに身体介護(おむつ交換、食事介助、床ずれ防止のマッサージなど)をお願いした
週にこの2日だけが英治の心の休まる日でもあり
カラオケサークルに行き息抜きができる日でもあった。

カラオケサークルで53歳の志麻子に魅かれ恋心を抱き、
妻が死んでさえくれれば、寡婦である彼女と一緒になれるのに。
英治の心にたびたび魔が差してしまいそうになる。

「お前、いったいいつまで生きているつもりなんだ」
「いったいいつまで、俺に迷惑をかければ気がすむんだ」
(前掲書176頁)

「早く死んでくれ、悦子。そうすれば俺は志麻子と」(前掲書180頁)

英治は右手に濡れタオルをしっかりつかんでいた。これを悦子の鼻と口に
かぶせれば・・・・窒息して死ぬ・・・・・」
(前掲書181頁)
濡れタオルを両手で広げて、英治は立ち上がったが、顔のすぐ手前で止まった。

ふらりと部屋を出た英治は、珈琲屋の行介の顔が見たかった。
コーヒーを淹れる手で、地上げ屋を柱に打ちつけて殺した行介に
英治は「人を殺すということはどういうことなのか、教えてくれませんか」、と尋ねた。

行介の眉間に深い皴が刻まれるのがわかった。
行介は英治を直視しながら話す。
「人間以外のものになることです。二度と人間に戻れないということです」(前掲書186頁)

英治は家に帰り、悦子の枕許に座った。
英治の右手には濡れタオルが再び握られ、今度こそはやり抜くのだ・・・・。
「志麻子という人と一緒になるためには、お前が死ぬより方法がないんだ。だから、悦子。黙って死んでくれるか」

最後に英治は椅子に腰をおろし、悦子の好きだった『すきま風』を歌った。
英治は「すまない、悦子」と呟いたとき
悦子の落ちくぼんだ両目がうっすらと開かれ目が光った。
「殺してください。あなた」
嗄(か)れた低い声だったが、はっきり聞きとれた。
いい終えた瞬間、落ちくぼんだ目から涙がこぼれて頬を伝った。
(前掲書187~188頁)

英治(男)は不倫をしながら、長年連れ添った妻に「志麻子と一緒になるために、死んでくれ」、と
濡れタオルで殺そうとするができなかった。
介護疲れから妻を殺し、自分も後追い自殺をする気持ちはわかる。
英治の心にすきま風が吹き、志麻子に魅かれ、すきまを埋めようとした気持ちもわからないわけではないが、
妻に「死んでくれ」と言うのは余りにも残酷すぎる。

介護に疲れ、身体も心もボロボロになると
「いつまで生き続けるのだろう」
「疲れてしまった」「駄目になるかもしれない」などと
胸の内でこんな思いがよぎることもある。
英治の呟く言葉のなかに在宅介護者の大変さしんどさが吐露されている。

夫の足手まといとなり、この先も迷惑をかけ、妻の介護が重荷になっていくのは申し訳ない、と思い
妻は「殺してください、あなた」と嗄れた声と眼尻から涙がこぼれ落ちる。

人を殺すと「人間以外のものになることです。二度と人間に戻れないということです」。
行介の言葉が印象に残った。

{終わり}





人を殺したことのある手で淹れたコーヒー❶

2020-08-02 08:14:30 | 読む 聞く 見る
1614 人を殺したことのある手で淹れたコーヒー ❶

アーケード商店街は、昭和の風景を感じさせる。


       東京下町のアーケード商店街(yahooより引用)

『珈琲屋の人々』(池永 陽、双葉文庫)に登場する珈琲屋も、アーケード商店街にある。
郊外の大型店舗に客足は移り、アーケード商店街の経営は苦しい状況にあっても頑張っている。
珈琲屋で語った7編の人間ドラマは、連作短編でツナガッテいる。

行介は、人を殺めた過去があり、殺人罪で懲役八年の刑を受けた。ひと
行介は父の代からの「珈琲屋」を一人で守っている。
商店街の人々が訪れ、珈琲を飲みに来ている。

行介は、ときどき客に「人を殺したことのある手で淹れた、コーヒーの味がそれだ」、と話す。
一瞬ドッキリするけれど、コーヒーは熱く美味しい。
行介の雰囲気から、過去に人を殺めたとは思えず、人柄の良さと人を包むこむような優しさを感じる。

7編の人間ドラマの1つである『すきま風』を紹介していきたい。
すきま風、という言葉から冬、窓のすきまから冷たい風が入りこみ、気持ちまでが寒くなってしまう、そんな風景をイメージする。
寂しいとき悲しいとき、心のすきま風は、人恋しくなる。
秋元英治(67歳)は、杉良太郎の『すきま風』の歌が十八番(おはこ)である



英治は64歳のとき仕事を辞めた。
妻の悦子(59歳のとき)は、脳梗塞に遭い左半身麻痺となり、夫の介護を受ける身となった。
妻は病後2年目に入ってから、生きる意欲を失くし何もかもを放棄した。
惚けが始まり、会話も成り立たなくなった。
トイレに行くこともなくおむつ交換になり、昼夜ベッドに伏せていた。

二年間、妻の介護に明け暮れた英治は、
「寝たきりになった人間の介護は想像を絶するものがあった」(『珈琲屋の人々』(155頁)、と感じながらも疲れていた。
「家の玄関を開けると、かすかに漂ってくるのは糞尿の臭いである。
臭いは奥に行くにつれて強くなり、妻の悦子の寝間にいたっては頂点
に達した。」(前掲書154頁)

「悦子ー」と呼び悔過手も、返事はなく眼は閉じたまま寝ている・
「肉が落ちた顔は小さく縮み、いたるところに深い皴が刻まれて、
何か動物の死骸が横たわっているようだった。糞尿の臭いは
死臭を連想させた」(前掲書156頁)

「俺はひっとしたら、駄目になるかもしれない。俺は・・・・」
「疲れてしまったんだ、俺は」
英治はそう呟きながら、
続けて妻に話しかける。
「こいつは、いつまで生きつづけるのだろう」
「もし、こいつが死ねば」

英治の両手がぴくりと動いて、徐々に上に移動した。体中が震えた。
そのとき、悦子の両目がかっと見開かれ、両目は潤んでいた。

{続く}




幸せだったと思えるような日に

2020-07-31 13:32:19 | 読む 聞く 見る


1611 幸せだったと思えるような日に

『とんび』(重松清 角川文庫)の198頁に
「幸せになりんさい。金持ちにならんでもええ、偉いひとにならんでもええ、今日一日が
幸せじゃった思えるような毎日を送りんさい。明日が来るんを楽しみにできるような生き
方をしんさい。親が子どもに思うことは、みんな同じじゃ、それだけになんじゃ」


金持ちや偉いひとになることが幸せとは違う
幸せの反対側にある不幸

貧乏や病気になることが不幸とは違う
不幸とは
マザー・テレサが話されていたように
「不要な人間」「ダメな人間」なのだ、と差別されたり、差別に甘んじたりすることが
不幸なのだ、と。

人間にとり、自分にとっても「存在を否定される」ことほど辛く悲しいものはない。
物忘れが進み認知症が重くなっても老親は、わが子を心配する「感情」は残されている。
定年が近い息子(長男)のことを、小学生だと思い
「子どもがお腹を空かして学校から帰ってくる。何か作ってあげよう」、とガス台に鍋をかける。
(惚けていても「子どものために役に立ちたい」、という思い)

ガス台に鍋をかけた、そのことも忘れ、鍋を焦がし、仕事から帰ってきた息子に怒られる老母。
老母は息子からどうして怒られたのか、怒られた理由がわからない。

「今日一日、家族みんな無事故で、コロナウイルスに感染することもなく、夕食をとることができた」
平凡な日であっても、こうして生きていることに感謝する。
幸せは爽やかな風のように感じていくものなのかもしれない。

親は「病気や事故に遭うことなく、家族元気に暮らす」ことを願っている。
子どもは家庭をもってはじめて親のありがたみがわかる。

老親自身が子どもから世話を受ける身になっても、子どものことを心配している・・・・。






重松清『とんび』(角川文庫)

2020-07-26 07:06:54 | 読む 聞く 見る


1608 重松清『とんび』(角川文庫)

昭和37年、ヤスさん(29歳)は生涯最高の喜びに包まれていた。
愛妻の美佐子さんとのあいだに待望の長男アキラが誕生し、
家族三人の幸せを噛みしめる日々。
しかし、その団らんは、突然の事故(悲劇)によって奪われてしまう・・・・。

(カバーより)

雪降る寒い海辺で
ヤスさんは両手でしっかりとアキラ(年長)を抱きしめた。
「アキラ、これがお父ちゃんの温もりじゃ。お父ちゃんが抱いてくれたら、
体の前のほうは温うなる。ほいでも背中は寒い。そうじゃろ」
アキラは、うん、うん、とヤスさんの胸に頬をこすりつけるようにうなずいた。
「お母ちゃんがおったら、背中のほうから抱いてくれる。そうしたら、背中も寒うない。
お父ちゃんもお母ちゃんもおる子は、そげんして体も心も温めてもろうたる。ほいでも、
アキラ、おまえにはお母ちゃんおらん、背中はずっと寒いままにゃ、お父ちゃんが
どげん一生懸命抱いていても、背中までは抱ききれん。その寒さを背負うということが、
アキラにとっての生きるということなんじゃ」
(前掲書103~104頁)

「背中が寒いままで生きるいうんは、つらいことよ。寂しいことよ。
恋しゅうて、悔しいことよ」
(前掲書104頁)

とんびが鷹を産んだ。
とんびが鷹に話す名セリフの場面である。


深夜、眼を覚ましトイレに行ったあと、
なかなか寝付けず。
wifeとbeagle genkiは隣で寝息、いびきをかき
気持ちよさそうに夢をみている。
いびきが気になり、90分ほど起きだし
居間で『とんび』を読み始めた。
3時になり眠くなってきたので、蒲団に入る。
朝寝坊し、時計を見たら6時半だった。
外は雨が降っている。






脚本・大石静『大恋愛 ~僕を忘れる君と~』(扶桑社文庫)

2020-07-15 06:19:24 | 読む 聞く 見る


1594 脚本・大石静『大恋愛 ~僕を忘れる君と~』(扶桑社文庫)

TBSで放映された『大恋愛』
若年性アルツハイマー病で、自分さえも忘れてしまう恋人(妻)
『頭の中の消しゴム』の物語を想い出す。

とても読みやすかったが、内容は重い

91頁から92頁にかけての言葉がいまも余韻として残っている
「人は誰しも、残りの持ち時間に追われている。そして死に向かって走っている」

「だからと言って、そのことは普段は意識しないものだ。
でも彼女は違った。生まれた時から、残り少ない持ち時間を知っているかのごとく、
全力で走っていた」


「病気が進行するより前に、心が壊れてしまう」(177頁)
「これまで生きてきたあこと、学んできたことが、指からどんどんこぼれていく感じ・・・・」(177頁)

記憶や時間が指のすきまからこぼれ落ちてゆく
残りの時間は少なり、死が背後から近づいてくる

それだけに、いま生きている時間が
二度と繰り返すことのできない時間だけに
いま、という瞬間、瞬間を生きる



コロナ感染をわかりやすく考えさせてくれる『カエルの楽園2020』

2020-07-14 21:02:08 | 読む 聞く 見る
1593 コロナ感染をわかりやすく考えさせてくれる『カエルの楽園2020』

カエルの世界に蔓延した「新しい病気」は、コロナウイルスと同じ原因不明の感染症
ウシガエルの国は中国
ツチガエルの国は日本
そんな印象を受けた

ツチガエルの元老院(国会議員)は、
新しい病気を甘く見ていて、新しい病気の感染対策防止を怠った。

「危機的な状況の時こそ指導者の本当の能力がわかる、と」(『カエルの楽園2020』128頁 

指導者や国会議員が、感染症防止のためにどれだけ行動を起こしているのか
マスコミのあり方も問いている

終章Ⅱ(リアルエンディング)の頁では、
中国との外交関係は、日本の将来に暗い影を落とし、日本の運命を大きく変えることになる、と
それだけに日本の外交は、アメリカ追随でもあったり、中国や朝鮮に気兼ねをしている。
そのようなことも『カエルの楽園2020』を読み、考えさせられた。

「今、なにをするべきか、なにをどうすれば、最善の道が開けるか。
そのために私たち、何を考えるべきか。ツチガエル一匹一匹が真摯に、誠実に、
問題と向き合うことが大切です。今まさに、それを真剣に考える時がきています」
(前掲書 144頁)

元老員(国会議員)のカエルは、痩せているカエルは一匹もいない
ツチガエルは痩せ細り、いまにも倒れそうなカエルたちばかりであった

読みやすい『カエルの楽園2020』であったけれど
提起している問題は多岐にわたっていた


話は個人的なことになるけれど
左膝関節が壊れかかり
骨と骨がうまく噛みあわないときは
痛みが走り、膝が曲がらず、脚が棒のようになってしまう
歩けなくなると大変になる
右膝は、また水が溜まり「ヒトコブラクダ」のような足。

金曜日にでもまた整形外科に通うとするか


山ではなく「海」の仙人

2020-06-09 04:30:52 | 読む 聞く 見る
1555;絲山秋子『海の仙人』新潮文庫

仙人というと、人間界を離れ、白い髭を垂らし山奥に棲む人をイメージしてしまう。

『海の仙人』は、敦賀の海で
遊び眺めることが好きな無職の男 河野勝男の物語である(齢は若く29歳)

彼は宝くじが当たり、真新しい通帳に3億円の数字が打刻されてあった。
他にアパート2軒を所有しており、その家賃収入は貧しい地域の子どもたちを支援目的で寄付していた。
お金に固執することなく、のんびりと過ごすことにした。

東京から敦賀の海が見える古い家を買い、ひとり暮らしを始めた。
けったいなことにファンタジーという名の神様が現れ、ファンタジーは河野の家に居候をする。
(この神は、見える人間と見えない人間がいて、河野は見えた)

河野の部屋は、テレビや新聞はなく、
ラジオとパソコン(インターネット)で音楽とニュースを得ていたのみ。

河野は「世の中を避けて生きている」から海の仙人と呼ばれていた。(51頁)

人間「誰もが孤独なのだ」
「結婚していようが、子供がいようが、孫がいようが、孤独はずっと付きまとう」
「孤独ってえのがそもそも、心の輪郭なんじゃないか? 外との関係じゃなくて
 自分のあり方だよ。背負っていかくなちゃいけない最低限の荷物だよ。例えば
 あたしだ。あたしは一人だ、それに気がついているだけマシだ」(96頁)

月1回彼の家に訪れる中村かりん。 
河野も想いを寄せ、お互いに静かな愛の関係にあった。

かりんは左乳癌を発病し乳房切除の手術を受けることになった。
癌は無情にも二ヶ月後の検診で脊髄と肺に転移し、余命は半年から一年。

かりんが療養しているホスピスに河野は訪れ、泊まった。
彼女は「もっと、一緒にいたかったね」
「でも、私はあなたのこと、好きになれてよかった。
 今だけでも、あなたと、あなたのことを好きな自分が
 ここにいることがとてもありがたいって思う」(136頁)

その言葉を残し彼女は息を引き取った。
「生きている限り人間は進んで行く。死んだ人間は置いて行くしかないのだ」(144頁)
死んだ人間を置いて行っても、そう簡単にあなたを忘れることはできない。

人間、「誰もが孤独なのだ」という言葉が頭の片隅によぎるけれども
死が近づいてくるほど、心の平安を欲する。
「あなた」と「あなたのことが好きな自分」が
いまこうして、時間を共有していることが幸せに感じながら息を引き取った彼女。



自分も「海の見える家」で最後の時間を過ごしたい、と思っているが
どこで最後の風景を見るかは
ファンタジーという面白い神様が知っているのかもしれない。



 



君の膵臓を食べたい

2020-06-06 14:23:20 | 読む 聞く 見る
1552;君の膵臓を食べたい

小説によって
いま(老いてから)読んだときと
高校生のときに読んだときでは
その小説から受ける感じや想いは
違うのだろう、と思ってしまう。

住野よるさんの『君の膵臓をたべたい』双葉社を読み終えた。
若者向きの小説かな、と一瞬思った。
春樹と桜良
二人の名前は、どちらも春の季節
対照的な二人の性格は「暗」と「明」であり
お互いに影響しあいながら
桜良の限られた生命のなかで成長してゆく。

桜良は膵臓を患い余命1年を宣告されるも
大の親友である恭子にも話さない。
知っているのは人間(他人)に関心・興味を示さない春樹のみだけが、桜良の病を共有する。

春樹は、桜良に真面目に尋ねる。「君にとって、生きるっていうのは、どういうこと?」(191頁)
「きっと誰かと心を通わせること。」(192頁)

「私の心があるのは、皆がいるから、私の体があるのは、皆が触ってくれるから。
そうして形成された私は、今、生きている。まだ、ここに生きている。だから
人が生きてることには意味があるんだよ。」(193頁)

春樹は、君になりたかったほど桜良の生きる姿に
彼の心は、彼女で埋め尽くされ、自分の性格が変わった
『君の膵臓を食べたい』ほど、彼女が好きになった彼。
お互いに「相手を必要と感じている」ことで、生きる力や生きるよろこびになる。

彼女が退院した日
通り魔事件に巻き込まれ彼女は死んだ。

「最終回の決まったドラマは、最終回までは終わらない」
残された1年という時間であっても、突然は死は訪れ、最終回のドラマがあるとはかぎらない。

「今、生きている。まだ、ここに生きている。だから
人が生きてることには意味があるんだよ」の言葉が重く感じる。

寝たきりになっても自分のことがわからなくなっても
人は生きていることに意味がある。


昔の時代風景と流行歌を想い出す物語

2020-06-03 08:11:01 | 読む 聞く 見る
1548;昔の時代風景と流行歌を想い出す 朱川湊人『かたみ歌』新潮文庫

5年前にも一度手にした文庫本
何が書いてあったのか
すっぽりと忘れてしまい
読み直してみた。

自分が高校生のときから23歳頃まで頃を
懐かしく思い出した。

東京の下町ではアーケードのあるアカシア商店街があり
日に何度も、同じような流行歌が流れていた
アカシア商店街では『アカシアの雨がやむとき』のレコードが流れていた。

アカシア商店街のなかにある古本屋 幸子書房の店主 川上老人を軸に7つの悲しい物語をつながる。
どの物語も死にまつわり、人は過去に悲しみや苦悩、葛藤、後悔などを背負いながら生きている。

死んでも死にきれず、幽霊となり、現世に現れる。
覚智寺の境内にある石灯篭は苔が生えるほど古く
石灯篭の火袋を覗くと黄泉の国とつながっている。

味わいのある文章に、胸が沁みゆく。

涙は、その味を噛み締めて立ち上がるためのものだ (「おんなごころ」142頁)
生きている人間が知っていることなど、とてつもなく広い世界の一部に過ぎないのだろう(「おんなごころ」149頁)

世の中にはー寂しい思いをしているものが、たくさんいる。(「ひかり猫」208頁)
生きていればこそ、夢に向かって走ることもできるのです。(「ひかり猫」212頁)

行動しなけりゃ、何も変わらないぞ(「朱鷺色の兆し」249頁)

面白いものですね、世の中と言うのは。日々誰かが去り、日々誰かがやってくる。
時代も変わり、流行る歌も変わる・・・・けれど人が感じる幸せは、昔も今も同じ
ようなものばかりですよ(「枯葉の天使」293頁)


寂しいからこそ、夢に向かって生きる。
昔も今も人が感じる幸せは、人と人のつながりにあるのかもしれない。

路(ルウ)

2020-05-28 04:46:47 | 読む 聞く 見る
吉田修一『路』台湾エクスプレス物語 文春文庫

1543;路(ルウ)

「路~台湾エクスプレス~」 台湾新幹線プロジェクトの軌跡を縦糸に、
日本人と台湾人のあたたかな心の絆を描いた吉田修一の傑作小説を、
NHKと台湾のテレビ局・PTS(公共電視台)との共同制作でドラマ化。



NHK土曜ドラマ(3回)で放映され今週の土曜日が最後(3回)の放映となる。

並行して吉田修一著『路』文春文庫を書店で求め
読み終えたところである。

10数年前になるが
3泊4日の旅で台湾一周の旅をした。
今度は台湾エクスプレスに乗車したいな、と思っていますが、いつになるか・・・・。

台湾に日本の新幹線が走る。
娯楽としては楽しめた小説でありNHK土曜ドラマであった。

※カテゴリーの一部を変更しました
 「読書ノート」の中から、新たに「文学からみた介護」を設け
 文学(小説や詩)をとおし介護について考えていければ、と思っています。






1465; 慣れぬ死

2020-03-22 21:04:26 | 読む 聞く 見る
慣れぬ死


昨日逝去された葭田克さん(69歳)に会って来た。
声をかけると、今にも目を覚ましそうな感じであり、
穏やかな表情で寝ておられた。

余りにも突然の死であっただけに
妻は死んだことが受け入れられない気持ちにあった。

佐久総合病院の内科の臨床医であり作家でもある
南木佳士さんは、『からだのままに』文春文庫 のなかで
「たくさんの亡くなる人たちを見送ってきたのに、いまだ死に
関する定まった視点を持ち得ないでいる」 152頁
「他者に起こること(死)はすべてわたしにも起こりえるのだと
肌身にしみた」 152頁

「みんな、きょう死ぬかもしれない朝にも、自分が死ぬとは
思っていない。なぜなら、死のそのときまでは生きているの
だから。」 154頁

老い齢を嵩ねて来ると
他者の死を意識するようになりながらも、
自分は今日死ぬとは思っていない。

人間は生きている限りいつか死ぬ、
「死のそのときまでは生きている」
只今臨終、の言葉が浮かんだ。
いまのいままで生きていたが、いま生を終えました。

死も含め、自然のままに、生きていくことを
南木佳士さんは『からだのままに』のなかで述べられている。

多くの人の死に立ちあっても
慣れぬ死
他人の死に慣れてはいけない