老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1434;この世に生まれたきた人間は 泡沫の如く消えゆく

2020-03-05 04:17:37 | 読む 聞く 見る
この世に生まれたきた人間は 泡沫の如く消えゆく
鴨長明 『方丈記』

若かりし頃 高校1年のとき
古文で『方丈記』を勉強したことを思い出す
そのときは、文法や古語解釈などにとらわれ過ぎ
つまらなかったことを覚えている

老境にはいり
再び『方丈記』を手にした

授業では味わうことができない深い意味を知った
『方丈記』は無常観とか無常の思想を著したもの
そう言われている
それは『方丈記』の書き出しの箇所を意味するからなのか
私は「無常観」という言葉だけで
方丈記が意味する内容は奥が深い

「ゆく河の流れは絶えずして、
しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、
かつ消え、かつ結びて、
久しくとどまりたる例なし。
世の中にある、人と栖と、
またかくのごとし」。

鴨長明は
当時の世相(権勢や出世、富など)から
{現代も同じだが}
人生のはかなさを覚えていた。
この世に生まれたきた人間は
泡沫の如く消えゆく
人も家(財貨)も消える

それよりも大事なことは
人間は生老病死という四苦から
逃れることのできない運命(宿命)を持つだけに
人生とは何か
人間が生老病死を抱えながら生きるとはどういうことか

医療の発達や消費生活の豊かさなどで人間の寿命が延びた結果
認知症発症や脳血管疾患等の病により
寝たきりや手足が不自由になり
一人では生きられず
介護を要する状態となったとき
介護は生老病死を抱えたテーマでもある

仏教はもっと
日本人の生活のなかにあるものだと思うのだが
私自身仏教は、葬式や法事のためにあるものではなく
(亡くなった人を弔い、先祖を敬うことは大切、葬式や法事、供養を否定するものではない)
仏教は哲学であり、生きる意味を問うていくものではないか と思う

人間生きていく上で
死は避けれない問題であり
生と死は一つであるとしている
仏教は生死のことを見つめさせてくれる
そう思っている

答えのない生死のテーマに
私自身 
病を抱え
老に入り
悩みは尽きず
背後から死は忍び寄り
日々悶々としながら
残り少なくなる時間に
焦りとのんきな気持ちが混在している

1412;人はなぜ生きるのだろうか? 死なないからだ

2020-02-23 10:06:14 | 読む 聞く 見る

人はなぜ生きるのだろうか?死なないからだ

フィクション小説であるけれど
90歳を超えた老人の気持ちが書かれてあり
興味深かった。

目が覚めた。
「自分は今日もまた生きている」ということに、
気がついたんだということに気づく
(9頁)

90歳、しかも95歳を超えて生きるのは、
生きているだけで疲れる年頃なんだ。(131~132頁)
95歳を超えてもなかには元気な老人はいるが、
疲れる老人がいることも理解しなければならない。
自分はいま67歳、30年後まで生きていたとしたら97歳になる。
橋本老人は98歳になっても 原稿に向かい小説を書いている、凄いことだ。

人間とは厄介なものだ。ただ生きているだけだと人間じゃなくなる(23頁)

橋本老人は、くれぐれも口を開けたまま死なないようにしよう。(31頁)
でも、死んでしまったら自分がどんな顔をしているのか、わからない。

うどんを焦がした。火を止めるのを忘れた橋本老人は呟く
あーあ、これでまだ生きるのかよ、やんなっちゃうな。
うどんとおんなじだ。焦げて、汁がなくなってる。
これを、捨てるかどうか、悩むところではありますな
。(130頁)
90歳過ぎたら惚けたってかまわない、そんな気がしてならない。

自分は多病息災の躰ではあるが、85歳までは生きたい、と願ってはいるが
死の訪れは神のみぞ知る。

人はなぜ生きるのだろうか?
死なないからだ。
老いの生命は、死の順番待ちなのだ。
だから、退屈してしまう
。(171頁)

橋本老人は、この先、私にどんなおもしろいことがあるのだろうか、と呟く。
別に、おもしろいことなんかないし、望んでもいない。
長く生きると、飽きる。

退屈しないように生きる、死を待つにはどうしたらよいか・・・。

95歳を超えた老人の心情を知る、ひとつの書であった。

1409;永井均著 『子どものための哲学対話』 講談社文庫

2020-02-20 21:32:16 | 読む 聞く 見る
永井均著 『子どものための哲学対話』 講談社文庫


中学2年の「ぼく」と、
家に住む着いた猫・ペネトレの哲学対話

ペネトレは人間の言葉を話す不思議な猫

子どものだけでなく、大人が読んでも「ためになる」哲学対話である

正しいとされてきた常識を疑ってみる
180度ものの見方を変えてみる
そうすると、考え方が変わる。そんな感じ方をさせる文庫本である

序章 最初の5行にこんなことが書いてある
 人間は遊ぶために生きている。
 学校なんか行かなくたっていい。
 うそをついてもいい。
 クジラは魚だ。
 地球は丸くない。

人間は何のために生きているのか?
高校生のときから悩み、老いたいまも悩んでいる。
猫ペネトレは「遊ぶために生きている」、と。
「遊ぶ」というのは、自分のしたいことをして「楽しむ」ことさ。(19頁)

社会のために生きるとか、誰かのために生きるとか、ということではなく。
自分自身に生きる。

ペネトレは「友だちはいらない」と、「ぼく」に話す。
ぼく:人間は、自分のことをほんとうにわかってくれる人がいなくては、生きていけないものなんだよ。
ペネトレ:人間は自分のことをわかってくれる人なんかいなくても生きていけるってこそが、
     人間が学べき、なによりたいせつなことなんだ。(69頁)

ペネトレは友だちはいらない、とは言ってはいない。
人間は友だち(他人)や大人の考えに影響されやすい。
そのことに対し、自分は何を感じ、何を思い、
自分という存在をみつめ深めていくことが大切。

自分が中学生のときは、そんなことを考えることもなく
その日暮らしに終わっていた。

中学生は多感であり思春期にあるからこそ、
自分をみつめ、自分のことを知っていく。
自分は いま、なにをしたいのか。

生きていくのは自分である
何ものにも左右されず 自分がしたいことをして
満ち足りた気持ちになっていく

老いたからこそ、残り少ない時間のなかで
したいことを「楽しみ」ながら行っていく
そう思いながらも、遊びの境地に浸ることができずにいる
いつの日か、知らない町や知らない海辺を歩いてみたい

自分が育った北海道
井の蛙大海知らずであり
のんびりと過ごした純朴な中学生だった

文庫本があることも知らず
手にしていたのは少年マガジン、少年サンデーなどであった






1394;宮本輝『いのちの姿』完全版 集英社文庫

2020-02-10 05:16:13 | 読む 聞く 見る


宮本輝『いのちの姿』完全版 集英社文庫 ★★★☆☆

宮本輝さんの自伝的随筆で19の話が収録されている。
宮本さんは、『いのちの姿』の最後の2行に
「命なんと不思議なものであろうと思った。
命よりも不思議なものが他にあるだろうか」
(187頁)

”文庫本あとがき”のなかでも、
「人間も植物も虫も、みんないのちであり、
一個の石ころさえもいのちに見えるときがある。
風にも大気にも雨にも雲にも、いのちの菅田を感じる。
いのち以上に不思議なものはない」
(192頁)

宮本輝さんの小説は、自分は過去において『錦繡』の一冊しか読んでいない。
彼自身がどのような人生を過ごされてきたのか、
『いのちの姿』を通し、知ることができた。

少年時代は貧しい生活にありながらも
様々な人たちとの出会いやつながりやとんでもない体験をされてきたこと
約40年間、パニック障害を患い克服された体験や
重度の肺結核を患いながら小説を書きあげてきたこと等々

『いのちの姿』に登場してきた作家自身も含め、
どの登場人物の生きざま(生きてきた姿)を書かれている。
宮本さんは、人間を見ていくとき「どれだけの人生に触れ、そのどの急所に目を向けてきたか」(52頁)

パニック障害を体験し克服した宮本さん
「どんな病気も、かかった人でないとその苦しみはわからないというが、
まことにそのとおりであって、この病気と無縁の人にしてみれば、
電車に乗ることがなぜそんなに恐怖なのか、なぜ死地におもむくほどの恐怖と
決意を要するのかと笑うであろう」
(70頁)

土曜に読み終えた葉室麟『螢草』双葉文庫の279頁に、菜々は
「生きていると楽しいことばかりではありません。辛いことがいっぱいあるのを知って
いるひとは、悲しんでいるひとの心がわかり、言葉でなく行いで慰めてくれます。」


病気だけでなく介護においても 他者の痛みが少しでも「わかる」ようになること
老人介護やその相談にかかわるときに、「どれだけの人生に触れ、そのどの急所に目を向けてきたか」
その言葉にはっとさせられた。

にんげんのうしろ姿は、寂しさを感じるけれども、
宮本さんは、その人のうしろ姿を心に甦(よみがえ)らせることから始める。(10頁)
いのちを大切にする
それはいのちの尊さと人間のどの急所に目を向けるか、を宮本さんの19のエッセイから教えられた。










1392;葉室麟『螢草』

2020-02-09 07:04:14 | 読む 聞く 見る
葉室麟『螢草』双葉文庫  ★★★☆☆

昨日の土曜日
仕事は忘れ 陽射し入らぬようカーテンを締め
読書に耽る

葉室麟さんの小説を手にしたのは今回で3作目
文章が優しく読みやすい

16歳の菜々(武士 風早家女中)は、露草の花が好き。
露草をじっと眺めるだけで幸せな気持ちになる。
「早朝、露が置くころに一番きれいに咲いて、昼過ぎにはしおれてしまう」(10頁)
佐知(風早市之進の妻)は、菜々に露草の話をする。
露草は、万葉集では「月草」、俳諧では「螢草」と呼ばれていて、
「きれいで、それでいて儚げな名です」(10頁)
「螢はひと夏だけ輝いて生を終えます。だからこそ、けなげで美しいのでしょうが、
ひとも同じかもしれませんね」
(10頁)
そして、佐知は露草のことを、菜々に「命の花」でもあると話している(184頁)

佐知は、労咳(ろうがい)と疲労がたたり
鈴虫が鳴く秋に二人の幼子を残し亡くなった。
佐知は菜々に「ひとは、皆、儚い命を限られて生きているのですから、
いまもこのひとときを大切に思わねばなりません」
(126頁)

佐知は女中の菜々を妹のように可愛がり、いろんなことを教えてきた。
佐知の名は「幸」を連想し、彼女の命は露草の如く儚げであり短命であった。
露草は儚い名
螢も、蝉もひと夏の儚い命
人間の命も儚く限られている。
そこには無常という言葉を思い浮かぶが、
この『螢草』の小説は無常観という寂しさ,空しさを感じさせない。

螢は夜 黄色の光を発し輝き
蝉は樹の陰で懸命に鳴き声を発し
ひと夏の儚い命を燃え尽き生きてゆく。
螢や蝉に比べ人間の命はかなり長いが
人生の時計は早く、気がついたときには老人の姿になり
人生の儚さを知る


        (yahoo 露草の画像より引用)

人間も螢や蝉と同じく、儚い命であるがゆえに、いまという瞬間を大切に生きてゆかねば、と思う。










1349;東京オリンピック{1964(昭和39)年}のときに電気が点いた我家

2020-01-06 05:24:18 | 読む 聞く 見る
東京オリンピック{1964(昭和39)年}のときに電気が点いた我家

   (昭和30年後半頃、白黒テレビ)


 (東京オリンピックの直前まで
  石油ランプ生活をしていた)

昭和39年は、自分は小学6年生であった。
農村に住み、両親は朝早く起き、夜遅くまで田畑の仕事をしていた。
12月になると雪が積もり、翌年の4月まで路傍は残雪があった。
(積雪は2m50cmはあり、冬はスキーを履き義務教育の期間通った)

昭和39年9月末まで石油ランプ生活。
電気が点いたときは本当に明るく昼間のようで、本当に嬉しかった。
電気が点かない前に、農協はゼネラル製品の白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫を無理やり置いていった。

白黒テレビを観るのが本当に待ち遠しかった。

昭和39年当時
漫画でお馴染みのアニメ番組は

鉄腕アトム(明治製菓提供)
鉄人28号(グリコ提供)
狼少年ケン(森永提供)
ローハイド
ひょっこりひょうたん島
              
              であった。

いまはアニメ番組が少なくなり、バラエティ番組が増え、残念である
大人も子どもにも人気があったのは、プロレス番組で「芝居」とも知らず
手に汗を握りながら真剣に観ていた。

市川崑監督 映画『東京オリンピック』は
小学校のとき教室の壁を外し2教室で観たのも小学6年生のときであった。








1317; みな同じ人間である

2019-12-16 19:39:47 | 読む 聞く 見る
帚木蓬生 閉鎖病棟 新潮文庫

映画『閉鎖病棟』を見逃し
同名の文庫本を手にした。

精神科病院に入院されている精神病患者に対する見方、捉え方を
真摯に考えさせてくれる小説という印象を受けた。

現実には精神科病院の患者の社会復帰、家庭復帰は昔も今も変わらず遅々として進んでいない。
「患者はもう、どんな人間にもなれない」170頁
精神科病院に入院した時点で、患者という「別次元の人間」になってしまう。

死んで退院する以外に社会に帰れない。
帰りたくても帰れない精神科病院の患者
解放病棟や地域に精神障害者のグループホームができ、
地域のなかで暮らすようになってきているが
まだまだ社会から拒絶された「閉鎖病棟」であると、小説のなかでそう感じた。

筆者は「本人の努力と周囲の支えで立派に社会生活ができます」、と書き
社会の支援により社会参加ができることを小説を通し読者に問うている。


「患者はもう、どんな人間にもなれない」
強く胸に突き刺さった言葉であった。

精神障害という病気を抱えた人でしかなく、
精神障害者であっても私たちと同じ人間であること
精神病という一つの病気を慢性的な状態にある人間としてみる

一つ年上の姉も精神科病院に入院している
時間をつくり面会や外出を行っているとき
車の中で姉は「この先わたしはどうなるのか。ずっと病院にいるのか・・・・」

どう答えてよいか言葉に詰まり沈黙のまま
その場を過ごしたことがあった。
その日から10年が過ぎた。

閉鎖病棟で起きた殺人事件については
機会あるときに書いていきたい


1273;時間がざざらざらと私からこぼれる

2019-11-07 05:11:34 | 読む 聞く 見る
時間がざざらざらと私からこぼれる

高見順『死の淵より』講談社 文芸文庫 の94頁に
「過去の空間」がある。

『死の淵より』に邂逅したのは 32歳のときだった


「過去の空間」の最初の連に

手ですくった砂が
痩せ細った指のすきまから洩れるように
時間がざらざらと私からこぼれる
残り少ない大事な時間が


咽頭癌を患い死を宣告された
作家 高見順

夏 海辺で子どもと砂遊びに戯れたとき
砂山や砂の器など作ったことを思い出す
そのとき指のすきまから砂が洩れ落ちる
何度も何度も手で砂をすくい砂の山をつくり
次に砂山の下を掘りトンネルづくりに挑む


高見順の場合
手ですくった砂が
癌で痩せ細った指のすきまから
ざらざらとこぼれ落ちる

砂時計の砂がさらさらと流れ落ちてゆく様は
指のすきまからこぼれ落ちる風景に似ている

指のすきまから落ちゆく砂も
砂時計の砂が流れ落ちてゆくのも
残り少ない砂は時間を意味する

残り少ない大事な時間が 
無常の潮風となり消えてゆく





1248; 月の満ち欠け

2019-10-22 12:09:48 | 読む 聞く 見る
月の満ち欠け 佐藤正午作 岩波文庫的

地球という惑星に棲んでいる自分
太陽と月は
生活(くらし)のなかに深く根づいている

太陽は陽
月は陰
と、例えられている。

青空に太陽
太陽は希望

夜空に月
月の満ち欠けから死を連想する


支離滅裂な前置き文は
読み流すとして

佐藤正午作 『月の満ち欠け』の小説を読み終え
生と死を繰り返す瑠璃という女性を通し
生まれ変わりの必然、真実、驚愕等々を考えさせられた
と同時に
そのような体験をしてみたい、と思った。

瑠璃は
月のように死んで、生まれ変わる
7歳の瑠璃が
いまは亡き我が子?
いまは亡き妻?
いまは亡き恋人?

「神様がね、この世に誕生した最初の男女に、
二種類の死に方を選ばせたの。ひとつは樹木
のように、死んで種子を残す。自分は死んで
も、子孫を残す道。もうひとつは、月のよう
に、死んで何回も生まれ変わる道。そういう
伝説がある。死の起源をめぐる有名な伝説」
(前掲書185頁)

人間死に方は、人それぞれ
いま生きている人は、
誰も死んだことがないだけに
死後の世界は知らない。

人間死んだらあとどうなるのか
生きてる人は誰も知らない

四十代の会社員が
短い遺書で、たった一言
「ちょっと死んでみる」

凄い遺書だと感じた

ちょっと死んでみて
死後の世界を体験してみる
体験終えた後、生まれ変わる(生き還る)

学生 三角アキヒコと人妻 瑠璃の恋愛
「瑠璃も波瑠も照らせば光る」の格言も
生まれ変わった瑠璃に受け継がれる

自分はこの世ににおいて
生まれ変わりは存在すると信じているが
自分の周辺には
生まれ変わった瑠璃のような女性はいない

暫くぶりで面白い小説に出会った


1199;伊能忠敬

2019-07-12 04:06:09 | 読む 聞く 見る
同門冬二著『伊能忠敬』日本を測量した男 河出文庫


ある日、妻ノブは忠敬に話す
やりたいことをやらないことが、いちばん体に毒だ(147頁)

忠敬は、その言葉に揺り動かされた。
学びたかった天文学、暦学の道に進んだのは、51歳のとき。
72歳のとき、大日本沿海輿地全図の作成に取りかかり、74歳で亡くなった。

天文学を学び、日本各地の測量を
自らの足で歩き正確な日本地図を作成した。
歴史の教科書では、簡単に「伊能忠敬は日本地図を作成した」としか記載されていない。

『伊能忠敬』の文庫を手にし
読み進めていくうち
老いても、自分にとり「やりたいことは何なのか」
本当にやりたいことをやっているのか、自問自答させられた。

伊能忠敬は、農民としても商人としても業績を残し、佐原地域のために本当に尽くされた人であった。
お金は、他者の幸福のために使う。

いやな仕事を先延ばしにしない
洗濯の順位は、まず急ぎの仕事から手をつける
急ぎの仕事が複数あるときは、自分のやりたくない仕事から手をつける(102頁)


伊能忠敬の仕事に対する捉え方であり、自分の心のどこかで「いやな仕事やいやな事」は先延ばしであった。

夜空に輝く星をみつめながら 天体の動きに比べれば、
人間の営みなどは虫のようなものだ(154頁)


伊能忠敬は病を抱えながらも日本各地を測量し、精密な日本地図を作成していった。
老い病んでも、彼は見て楽しい日本地図を作った。
楽しみながらやりたいことをやる。

義務感や追われたような仕事ではなく、
何のためにしているのか、そしてそれは楽しみながらやりたいことをやる。
いやな事を先延ばしない、ことも意識しながら、
躰が動けるまで生きねば、と感じた『伊能忠敬』の文庫本であった。

1139 ; そうか、もう君はいないのか

2019-06-03 03:58:02 | 読む 聞く 見る
そうか、もう君はいないのか

妻が先に逝かれたことも忘れるほど
今も自分の心の中に
妻が生きていて、

その妻に話しかけようとしたとき
“そうか、君はもういないのか”と、呟く。

最愛の妻を失った
愛する人との別れ、喪失は
実に辛く、遣り切れない悲しみ
その悲しみは深海の如く
深く胸底に沈んでゆく。

自分の場合、22も齢が離れているだけに
自分が先に逝く、と思うこともあり
妻は“私を置いて逝かないで”、と・・・・

老夫婦
長年連れ添った相方に
先に逝かれる耐え難い悲しみ
喪失感をどう受けとめてゆくのか
ケアとは何かを考えさせられる

昨日何気なく本屋の棚から手にした
『そうか、もう君はいないのか』




1127 ; 暗闇と無音の世界

2019-05-27 21:32:43 | 読む 聞く 見る
乙一 『失はれる物語』 角川文庫

暗闇と無音の世界

わたしは、『失はれる物語』を読んでいて
30数年前に読んだ『ジョニーは戦場へ行った』を思い出した。

ジョニーは第一次世界大戦に出征し、 敵の砲弾が躰に命中した。
生命は助かったけれど、目、鼻、口、耳が失われ、 更に両手両足も切断された。
最早ジョニーの躰は、肉塊でしかなく、
生きているのかどうかさえも、見た目には分からなかった。
皮膚感覚と思考することだけしかなかった。
暗闇と無音の世界に閉ざされ、話すこともできず、絶望の中にあった。

『失はれる物語』の主人公は、“自分”である。
自分は交差点で信号待ちをしているとき、居眠り運転をしていたトラックに衝突され重体の大怪我を負った。
脳に障害が起こり、目、耳、鼻、口を失った。唯一残された皮膚感覚は、
右手から肘まであり、人差し指はわずかに上下に動かせるだけであった。
自分も他者の目には、肉塊にしか見えなかった。


ジョニーも自分も暗闇と無音の世界に取り残された。
自分にあるのは光の差さない深海よりも深い闇と、
耳鳴りすら存在しない絶対の静寂だった。
『失はれる物語』72頁

新任の看護師は指で ジョニーの胸に「Mary Xmas」となぞる。
ジョニーは一文字書き終えるごとに激しく頷き、
彼女はジョーに意識があることを気付く。

自分の場合は、妻の爪は右腕に「ゆび YES=1 NO=2」となぞり、
自分は人指し指を1回だけ上下させた。
そこから、妻との会話が始まった。

いずれも、肉塊になった「存在」にあっても、皮膚感覚に指で文字をなぞったことから
相手に意識があることを知り得たこと。

肉塊になっても相手に働きかけ、微かな変化を見逃さなかった新任の看護師や妻の行動は学ぶべきものがある。

自分はただの考える肉塊でしかない。
自分はこれまで何のために生きてきたというのであろうか。
人は何を目的にこの世へ生を受け、地上を這いずり回り、死んでいくのだろうか
。 『失はれる物語』75頁


ジョニーは戦場へ行った(角川文庫)


『ジョニーは戦場へ行った』 映画化もされた。ベトナム戦争のときにも、読み継がれた反戦小説。

『失はれる物語』 交通事故により五感の全てを失われた自分。
皮膚感覚が残ったわずか右腕を鍵盤に見立て、
ピアニストの妻は、日々の想いを無音の演奏により伝えていく。

肉塊でしかない「物体」のように見えても
そこには意識が存在し、最後は「殺してくれ」「死にたい」「生きたい」と叫んだジョニーと自分。

32才のとき重度の身体障害者の介護に関わり始めたときに
『ジョニーは戦場へ行った』に巡り会い、衝撃を受けた。
いままた『失はれる物語』に遭遇したことで、30数年前の記憶が甦ってきた。

肉塊でしかなくなったとき、わたしは何を考え、何のために、生きそして死んで行くのか。
2つの小説は、そのことを問うているような気がする。

相手に憎しみを抱いている訳でもなく、自分と同じく家族が居る敵兵士を殺し合うことは、本当に遣る瀬無い。
戦争がなければ、ジョニーは肉塊になることもなかった。




1120;幸せは金で買えるが、金で買えないものがある

2019-05-23 05:24:19 | 読む 聞く 見る
浅田次郎『天国までの百マイル』講談社文庫


幸せは金で買えるが、金で買えないものがある 

事業に失敗した40歳の中年社長の城所安男。
いまは社長ではなくなりダメ男
重い心臓病を患った老母を、
安男はポンコツワゴン車に乗せ、100マイルの路をひた走る。

老母は、女手ひとつで、4人の子どもを育ててきた。
おかあちゃんはいつだって、自分の命と引きかえに飯を運んできたのだ。
だから子供がひとりひとり石神井のアパートを巣立って行った・・・
(199頁)

それが貧乏の有難さというやつさ。
金で買えないものがあるってことを。
貧乏人はよく知っている。
(277頁)

幸せは金で買えるが、金で買えないものがある。
それは何か・・・・。
親子の愛情や家族の絆であり
親は命を削りながら
我が子の夢や希望を叶えられるよう応援してきた。

幸せは、身近なところにる
安男と2年間同棲したマリコは、幸せについて話す。
小さな幸せならあげられる。
おふろで背中を洗ってあげたり、耳そうじをしてあげたり、
おいしいものを作ったり、ときどき気持ちいいことをしてあげたりね。
(257~258頁)

マリコの幸せは、お金では買えない。

自治医科大学附属病院の待合室で 天国までの百マイル を読み終えた。



1081;椿姫 “銭湯を懐かしむ”

2019-04-29 08:45:17 | 読む 聞く 見る
浅田次郎 『椿姫』 文春文庫
椿姫 “銭湯を懐かしむ”

不動産会社の社長 高木は、経営に行き詰まり、
不良債権担当の銀行員から
「なら社長、あの保険は何です?」と迫られ
保険金は2億9千万円
自殺することを仄めかされる。
銀行は、晴れた日に傘を差しだし、雨の日に傘を取り上げる

死に場所を求め彷徨った高木は
二十年前に妻と暮らした古アパート 福寿草 が脳裏に浮かぶ
福寿草には風呂がなく、近くの銭湯“椿湯”に通っていたことを想い出す。

高木は“椿湯”の暖簾をくぐった。
番台の店主小さな老人は、高木のことを覚えていた。

銭湯の庭には、山茶花の垣があった。
高木は「山茶花なのに、椿湯ですか」
山茶花と椿の花はよく似ている

「たわわな紅を灯す花(椿姫)を見るうちに、わけもなく高木の胸は詰まった。
すべてを忘れてしまった。生きるために記憶を淘汰したのではない。
金と欲にまみれた時代の向こう側に、すべての記憶を置き去りにしてきた」
70頁)

高木は二十年前の風景の一部であった銭湯“椿湯”に再会する。
高木が銭湯で邂逅した椿姫とは、恋人だったころの妻との貧しい生活ながらも楽しかった日々を想い出す。
金欲に溺れ、何か大切なことを忘れ失ってしまっていたことに気づく高木。

二十年前、妻はいつも青いベンチに腰をおろし
高木(恋人)の湯上りを待っていた。
「洗い髪が芯まで冷えた」お詫びに、高木は一輪の椿姫を濡れた髪の耳元に飾ったことを想い出した。

ここで、かぐや姫の『神田川』を聴きながら椿姫を想う。





1075;見知らぬ妻へ

2019-04-25 14:34:45 | 読む 聞く 見る
浅田次郎『見知らぬ妻へ』光文社文庫 ★★★★★

中年男の花田章は、借金が嵩み会社を潰し偽装離婚、
浮気相手だった会社員を連れ,,故郷北海道を棄て上京。

持ち金も無くなると女は花田から去り北海道へ帰った。
花田は歌舞伎町で客引きに身を落しネオンの森から抜け出せずにいた。

大晦日、組の土橋から変なことを頼まれた花田。
それは27歳の中国人ホステス 季玲明(リイリンミン)との偽装結婚であった。
大晦日から正月3日まで、花田はリンミンと見知らぬ“妻”と、
歌舞伎町のネオンが見える粗末なワンルームで過ごした。

いずこも同じ、ホステスは弄ぶ女としか見ない漢もいる。
リンミンは頼る人もなく、異国の都会は地獄そのものであり、
何度死のうと思いながらも故国に住む家族のために耐え生きてきた。
僅か10万円余りのお金を送るために・・・・。

同じく身を崩した花田にとって 、
リンミンの境遇は他人事ではなく
自分の事のように感じていた。

4日間だけの〝新婚〟生活。
酷使され続けてきた妻の躰を労る花さんは、
「いいんだよ、正月ぐらい 、ゆっくり、ひとりで、寝なさい」
と、言葉をかける。

指輪のかわりに銀のペンダントを「婚約のしるしだ」として
リンミンの膝の上に置き、「接吻は不幸の味がした」と花田は感じとる。

二人は「初めて許し合った若い恋人同士のように」時を貪り合い、
夢のような4日間が過ぎた。

花田は妻として専業主婦として、リンミンと過ごすことを夢見ていたが、
それは叶わぬ夢であった。

妻は地獄行きのバスに乗せられ、バス🚌は発信した。
バスの窓からリン ミンは身を乗りだし、再見、再見!と泣き叫ぶ。
花田は必死な顔でバスを追いかけるも、無情にもバスは去って行く。

切なく遣る瀬無い別れの情景。

形だけの婚姻届けで終わるはずだった。
蝉の生命よりも短い二人の暮らしのなかで
花田はリンミンを愛し始め、そして愛していることに気づく。

花田もリンミンも大都会のなかで、刹那さ、悲哀、寂寥を抱え孤独に生きてきた。
時間だけが流れ往き、柵(しがらみ)のなかから抜け出すことができずにいた。

リンミンは、花サンに再び会えることを叫びながら別れ去って行った。
きっといつか二人は何処で再見出来ることを願うばかりである。