老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

998 桜に逢えて本当に良かった

2019-03-13 08:50:01 | 老いの光影
桜に逢えて本当に良かった

桜は 寒い冬をじっと耐えてきた 寒さに負けず 雪にも負けず 春を待つ”

ツバメは春の風を運ぶ
もう少しで桜前線は
白河の関を越える

インフルエンザの大敵にも罹ることなく
冬を乗り越え
また一つ齢を重ねた老い人たち
“桜の花を観るのは これが最後かな”と、呟く

「今日、桜に逢えて本当に良かった」
老女は泪を浮かべていた。
一年生き延びてきたことへの感謝と喜び。

桜の花は
閉じたにんげんの心を解し(ほぐし)
心躍らせてくれる。

桜の花は儚く散る
桜の時期は
別れ《卒業》と 出会い《入学、入社》とも重なる。

桜咲く春に
あなたは何を想う。

994 老化は足(脚)から

2019-03-11 14:27:13 | 老いの光影
老化は足(脚)から

仙台駅にあるS-PALに来た
ショッピングは本当に疲れる

散歩の歩きとショッピングの歩きは違う

今までは1万歩前後
ビーグル元気と歩いていたのだが
ここ2週間ほど5千歩の歩きで
下肢の筋力が落ちてしまった感がする

そのせいか、ショッピング中
2度3度躓き転びそうになり
ヒヤッとした。

老化は足(脚)から、ということを実感した
足(脚)だけでなく
頭も負けじと置き忘れど忘れが進んでいる。

S-PAL地下2階にあるKITAZAWAで
フルーツ盛り合わせ(大)を味わった
高血圧症の薬等を服薬しているので
グレープフルーツは禁断の果物

朝夕の服薬時間から 
離れており
今日は禁断を破ってもいいかな?
ということで、
今まで耐え我慢していた
禁断の果物、グレープフルーツを食べた

生き返った
これで暫くはグレープフルーツは
我慢できる。
神様に感謝。

956 昔の石油ストーブは危険がいっぱい

2018-12-29 04:44:58 | 老いの光影
「yahoo画像 昔の石油ストーブ」より引用

昔の石油ストーブは危険がいっぱい

※2017年12月7日のブログを再掲します

在宅訪問に行くと
俗に言う昔タイプの石油ストーブが
赤々と点いている
85歳以上の独居高齢者は
よく使われている
いまどきの温風ヒーターに比べ
便利であり
多機能型石油ストーブでもある

昼間でも「やかん」を乗せ
お湯を沸かすことができる
また加湿器の働きもする

味噌汁鍋や煮物が入った鍋を乗せたりして
煮炊きもできる

暮れになると
網をのせ餅を焼いたりする

前述したように確かに便利であり
重宝がられている一方で
危険も隣り合わせにある

やかんなどが乗っていると
危険がW(ダブル)となり
余計に心配が重なってしまう。
足元が心もとなくなりふらつきもある
ふらついたとき
やかんのとってに手が触れ
やかんがひっくり返ったとき
熱湯で火傷! その場面を想像してしまうと
いてもたってもいられないが
老人には
「できればやかんは乗せないほうがいいんだけどなあ~」で終わってしまう。

やかんを乗せなければ、乗せないで別の心配が出てくる
ふらついたときにストーブの熱い天板(上面)に手を着いてしまう
(人間の癖でバランスを崩したとき転ぶのを防ごうと手を着く習性がある)
これもまた火傷の事故

火傷防止するということで金網で囲いをすると
ないよりは安全だが、それを手すり代わりにつかまると
囲いごと倒れ火傷,骨折の心配は残る
また囲いに洗濯した衣類をかけ洗濯干しをする老人もいる
火災の心配をしてしまう

いま使っているストーブがあるのに
温風ヒーターの方が危険のリスクはぐ~んと減る
温風ヒーターの方がいいな~とは老人には言えない
ときどき実家を訪れたり、実家を帰ったときに
息子、娘たちが半ば強引に温風ヒーターを置き
旧式の石油ストーブを引き上げ持ち返るくらいでないと
「危険がいっぱい」の冬を乗りこえることはできない

冬のニュース
それも毎年正月のニュースでは
火事で老人は焼死体となり
石油ストーブが出火原因であったりする

ひとり暮らしの老人が
石油タンクに灯油を入れるのは
本当に危なっかしい
こぼしたり溢れたり
またストーブを点けたまま灯油を入れたり
想像つかないようなことをしている

在宅訪問のときは
灯油が半分以下になっていたら
おせっかいやきになるが
灯油を入れて帰る
またデイサービスの事業所で協力を頂けるところは
送迎(送ったとき)時に灯油の残量を確認し
少ないときは入れて頂いていいる

寒いと人間は 心がわびしく寂しくなる

949  最後の風景

2018-12-23 03:57:23 | 老いの光影
 最後の風景

病室の窓からは
北病棟に遮られ
関東平野を臨むことができない
窮屈な病室にある

病室で
今年を振り返った
かかわらせて頂いた老人
6人の顏を思い浮かべた

何処で死を迎えるか
  自宅     3人
  老人保健施設 1人
  病院     2人

誰に見守られながら逝くのか

幸せだったかどうかは
あの世に旅立った
本人にしかわからない

最後はどんな風景を見ながら
自分は逝くのであろうか

死ぬとき
自分は何を想うのであろうか

後悔を抱きながらは死にたくないけれど
老いのなかに在る自分は
後悔で燻っている

人生の砂時計ではないが
残された僅かな時間だけでも
後悔はしたくない

自分はどう生きるか
いまなお
悶々としている老いぼれ人

歌を忘れたカナリヤ
空を飛べなくなった鳥
歩けなくなった老人
それでも
生きて良かった、と
感じていきたい




609;救急車搬送入院

2017-12-19 04:20:41 | 老いの光影
救急車搬送入院 

朝 スマホが鳴った
手に取り耳に当てると
堀川清子さんの長男の声
「母親が胸が苦しいというので、受診したいのでデイサービスお休みします」
〔わかりました。お大事に〕

気になり、桜デイサービスに行く前に
清子さん宅を訪れ、様子を伺う
彼女は下半身何も纏わずトイレから出てきた
棟が苦しく、昨夜は横になった
右を向いても左を向いても上を向いても
胸の苦しみはいっこうに納まらず眠れなかった。
Spo2を図ると90を切り84の数値
かかりつけ医に電話を入れ、
〔いまから先生のところ(医院)へ救急車を呼び搬送してもよろしいでしょうか〕
阿武隈総合病院へ搬送させて法がいいでしょう。私の方から受け入れできるよう連絡を入れておきます、と指示を受け
長男に救急車の要請をお願いする

救急隊員が駆け付け3リトッルの酸素吸入を行い、阿武隈総合病院救急外来搬送。
診断の結果「急性心不全」、2週間の治療を要するということで入院となった。

折角寝たきりから歩行ができるようになった清子さん
また再入院により、下肢筋力の低下と認知症の進行が心配
振り出しに戻る
今度は歩けるようになるかどうか不安
早く良くなることを祈るしかない
いまは

607;一言

2017-12-14 06:19:46 | 老いの光影
一言  

義父・義母の介護は、
長男嫁が行うの当然だ、
という声は
耳にすることは少なくなってきた。
でも潜在的にはまだ根強く
介護相談をしていて
介護者は
長男嫁と老妻が多い。

血が繋がっている長男は
介護の様子を見に来ないどころか
妻にさえも声をかけない。

いつかは亡くなるが
長い介護の末
あの世に逝かれたとき
夫(長男)が
妻に
「長い間本当にありがとう。お疲れ様」の
言葉があるだけで
妻はいままでの労苦や葛藤など
さまざまな思いが
その一言で
氷塊が融け涙が滲む。

604;なんだか気持ちが暗くなる?

2017-12-12 15:42:57 | 老いの光影
なんだか気持ちが暗くなる? 

にんげん生きていて
自分には生きている価値があるだろうか。
このまま生きていても意味がない。
いまさら路を引き返すこともできない。
寒い日には左の膝関節は疼き歩くこともままならぬ。

それから拾年が経ち
独り身となった私。
老い往き病を患い
床に臥す日が続き
尿便で滲みついたおむつ。
自分で取りかえることもできず
為すがままに他人に身を委ねるだけ。
こんな辛い思いをしてまで
にんげん生き恥を晒しながら
生きなければならないのか・・・・
生きていく意味もなく
この先 生きたところでしょうがない。
死ぬしかない、と思うこともあるが
死ぬ「勇気」もなく
死ぬこともできず悶々としている。

南窓の居間なのに
陽は差し込まず
老臭と尿臭が混じった酸っぱい臭いが漂う。
毎日ヘルパーが朝夕60分ほど
食事つくりとおむつを取り換えに訪れる。
そのときだけ部屋のなかは明るくなり
にんげんの声が聞こえてくる。






602;大漁

2017-12-12 04:24:57 | 老いの光影
南陸奥 冬の朝焼け

金子みすゞ 「 大漁(たいりょう)」

朝やけ小やけだ
大漁だ
大ばいわしの
大漁だ。

浜はまつりの
ようだけど
海のなかでは
何万の
いわしのとむらい
するだろう。


金子みすゞに出会った最初の詩は「大漁」だった
衝撃を受けた
人間たちが
浜で大漁と喜んでいる蔭で
海のなかでは
鰯は数多の仲間の死を悲しみ弔いが為されている

漁師は魚を獲ることで生計を為しているけれど
私たち人間は
鰯の悲しみに思いやり
鰯の生命(いのち)を食べることで
生命が支えられている
そのことに感謝しながら
食を頂く
鰯の悲しみと同時に
漁師の労苦があって
食することができることも
忘れてはならない
喜びの蔭に悲しみがある



595;水を飲むことを忘れた老人

2017-12-08 11:56:15 | 老いの光影
初冬の阿武隈川上流

水を飲むことを忘れた老人  


歌を忘れたカナリアならぬ
水を飲むことを忘れた認知症老人
老人の名は山下喜一さん(87歳)
歩くことはできるけれど
服を着ること
トイレに行くこと
水を飲むこと
などなど
日常生活の行動ひとつひとつがわからなくなってきた
手振り身振りで行動を示し
手を添えることにより
ようやく同じ行動に移すことができる
記憶のピースだけでなく
生活行為の手順に関するピースも
かなり抜け落ちてきている
コップに水を汲んでも
まったく興味を示さない
家でも水を飲まず
老妻はてこずっていた
ふと
デイサービスの介護員は
「ご飯茶碗の米粒をきれいにしようか」と
言葉をかけ
ご飯茶碗にお茶を注いだ
すると
難無く喜一さんは
ご飯茶碗を手に取り
お茶を飲み干した

昔の人は
食べ終えた後
ご飯茶碗に
お茶や白湯を入れ
ご飯茶碗をきれいにする
その習慣のピースが残っていたのだろうか

駆けつけ三杯ではないけれど
その後もご飯茶碗でお茶や水を飲み干し
ワンパック1000ccの水分を摂った
連絡帳にその様子を書き留め
家でもご飯茶碗で試してみてください、としたためた。

593; 昔の石油ストーブは危険がいっぱい

2017-12-07 14:50:57 | 老いの光影
「yahoo画像 昔の石油ストーブ」より引用

昔の石油ストーブは危険がいっぱい

在宅訪問に行くと
俗に言う昔タイプの石油ストーブが
赤々と点いている
85歳以上の独居高齢者は
よく使われている
いまどきの温風ヒーターに比べ
便利であり
多機能型石油ストーブでもある

昼間でも「やかん」を乗せ
お湯を沸かすことができる
また加湿器の働きもする

味噌汁鍋や煮物が入った鍋を乗せたりして
煮炊きもできる

暮れになると
網をのせ餅を焼いたりする

前述したように確かに便利であり
重宝がられている一方で
危険も隣り合わせにある

やかんなどが乗っていると
危険がW(ダブル)となり
余計に心配が重なってしまう。
足元が心もとなくなりふらつきもある
ふらついたとき
やかんのとってに手が触れ
やかんがひっくり返ったとき
熱湯で火傷! その場面を想像してしまうと
いてもたってもいられないが
老人には
「できればやかんは乗せないほうがいいんだけどなあ~」で終わってしまう。

やかんを乗せなければ、乗せないで別の心配が出てくる
ふらついたときにストーブの熱い天板(上面)に手を着いてしまう
(人間の癖でバランスを崩したとき転ぶのを防ごうと手を着く習性がある)
これもまた火傷の事故

火傷防止するということで金網で囲いをすると
ないよりは安全だが、それを手すり代わりにつかまると
囲いごと倒れ火傷,骨折の心配は残る
また囲いに洗濯した衣類をかけ洗濯干しをする老人もいる
火災の心配をしてしまう

いま使っているストーブがあるのに
温風ヒーターの方が危険のリスクはぐ~んと減る
温風ヒーターの方がいいな~とは老人には言えない
ときどき実家を訪れたり、実家を帰ったときに
息子、娘たちが半ば強引に温風ヒーターを置き
旧式の石油ストーブを引き上げ持ち返るくらいでないと
「危険がいっぱい」の冬を乗りこえることはできない

冬のニュース
それも毎年正月のニュースでは
火事で老人は焼死体となり
石油ストーブが出火原因であったりする

ひとり暮らしの老人が
石油タンクに灯油を入れるのは
本当に危なっかしい
こぼしたり溢れたり
またストーブを点けたまま灯油を入れたり
想像つかないようなことをしている

在宅訪問のときは
灯油が半分以下になっていたら
おせっかいやきになるが
灯油を入れて帰る
またデイサービスの事業所で協力を頂けるところは
送迎(送ったとき)時に灯油の残量を確認し
少ないときは入れて頂いていいる

寒いと人間は 心がわびしく寂しくなる