老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

588;騙された男老人宅にヘルパーが入る

2017-12-06 08:49:33 | 老いの光影
騙された男老人宅にヘルパーが入る

昨日は18時30分から
騙された男老人宅で
本人、長男とヘルパーさんとデイサービスの管理者と
話し合いを持った。
毎週火曜日60分間
ヘルパーさんが寝室、居間の掃除とシーツの洗濯を行うことになった。
不衛生のため
円山輪太郎さん(87歳)は、
体のあちこちに赤い湿疹(疥癬??)ができている
皮膚科受診を勧めるも
忙しく1月になったら受診する、と長男は答える
それでは手遅れになり全身に湿疹ができるようになっては大変だし
他者に感染しても困るし・・・・と話す。
今月の早い時期に受診することになった。

きれいずきでない男老人の一人暮らしは大変
シーツは尿の滲みで汚れ
寝室は陽もあたらず風も通らず空気が澱んでいた

湿疹が治癒し部屋がきれいになることを期待し
話を終えた
時計の針は19時30分を過ぎ長針と短針が重なり合っていた。

586;騙される男老人

2017-12-05 11:53:20 | 老いの光影
騙される男老人

87歳になる一人暮らしの男老人が街に棲む
若いころは競輪選手だった
片手数えるほどの地方競輪場での優勝しかなく
妻は苦労の連続であった
妻が寝たきりになっても
夫は社交ダンスに明け暮れていた。
妻は誰にも見送られることなく
ひとり寂しく息をひきとった。

男老人は
10歳年下の女性に(夫はいるのだ)
家電製品が壊れたからと電話で囁かれ
虎猫の定期預金を切り崩し230万円を解約し
女性に振り込んだ。
最近、その女性からまた電話がかかり
「お金を用立てて欲しい」と言われ
男老人は二つ返事。

デイサービス利用中に女性から電話あったことを
長男に伝える。
一時、長男は親父から携帯電話を取り上げたのに
なぜも携帯電話を預けたのか、と思ってしまう。
どうも親父に対し甘くなってしまう。
年齢は私とは対して変わらない長男。

長男は1日おき、仕事を終えてから
一人暮らしの父親宅を訪れ
スーパーで買ってきた惣菜を皿に移し変えたりして
夕食の準備をしている。
偶数月の15日に振り込まれる20万円余りの年金は
わずか1週間で泡のごとく使ってしまうため、
いまは長男が管理している。

小遣いが欲しいと父親からせがまれ
1,2枚の千円札を渡すが
歩いて100㍍先のコンビニで
酒を買い吞んでしまう。

高血圧症があり、服薬せずに、酒を吞むと
血圧は上は170から180の数値を示すこともある。
酒を止めさせることもできない長男
酒を取り上げては「可哀想」と話す。

昨日あった出来事はうたかたの如く忘れている
月曜 水曜 金曜の週3回デイサービスを利用
デイサービスに来るまで紙パンツを取り替えずにいる
右脇腹、両足にタムシのような湿疹ができ塗り薬を塗布するもよくならず
今日、夜 在宅訪問し話し合いがある
月1回のヘルパーを利用し、ベッド周辺の掃除やシーツの洗濯と交換をすることになった

聞くに堪えない卑猥な話を女性介護職員にする男老人
男性ヘルパーが入ることになったが
いつも入れるとは限らず女性ヘルパーが入ることもある
女好きの男性老人だけに
甘い言葉を信じいつも女性からお金を騙し取られ
夜はインスタントラーメンで過ごしている

581;寒サニモ負ケズ

2017-12-03 16:07:49 | 老いの光影
寒サニモ負ケズ 

冬ガ来タ
夜明前ノ外気温ハヒトケタ
beagle・gennkiダケハ
元気ニ走リ回ッテイル

私ハ寒サデ体ハ縮コマリ
心ガ窮屈ニナルホド 背中ハ丸クナッテイタ

途中路上デ 脳卒中後遺症ノオジサンニ会ウ
右手ニ杖ヲ持チ 左足ニ短下肢装具ヲ着ケ
不自由ナ左足ヲ 懸命ニ動カシ歩イテイタ
寒サニモ負ケズ 頑張ッテイタ
朝ノ挨拶ヲ交ワシタ後 
ツイ”頑張ッテイマスネ”ト
声ヲカケテシマッタ
心ノナカデ 自分モ寒サニモ負ケズ頑張ラネバト
背筋ヲ伸バシタ 

577 ; 老人と赤ちゃん 〔1〕

2017-11-30 19:19:51 | 老いの光影
老人と赤ちゃん

冬のある晴れた陽だまりの日
ガラス戸越しに陽が射し込む縁側に
老人は膝の上に赤ちゃんを寝せていた
すやすや寝ている赤ちゃんの顔 に
老人は心安らいでいた。

赤ちゃんはもう少しで1歳になり、未来(みく)という。
老人は年齢は忘れてしまい、名は今生(いまお)。

今生は、赤ちゃんの安心しきって寝ている顔を見て
小さな声で話しかける。
”未来君の人生はこれからだ。溢れるほど夢や希望を抱き
それを叶えようと生きて行く。限りない可能性を秘めている”
〔私も小中学生の頃 夢や希望があったけれど、心が弱く挫けてしまった。
何もやり遂げたことはなく、後悔しか残らなかった〕と
未来君の瞳を見ながら呟く。

未来君はあと数ヵ月で立ち上がり、
そして小さな一歩だが、(未来君の)人生史において偉大な一歩を踏み出す。
それはアームストロングは次のように言った。
「 これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。」

老人は長く生きてきたことで、足、脚の筋力が衰え、
いまは杖をつき、ようやく歩いている。
一寸程度の段差にもつまずき転んだこともあった。
そのときは骨折にならず胸を撫でおろした。

老人は段々歩けなくなり寝たきりになる。
赤ちゃんは、寝返りから始まり、あともう少しで一歩を踏み出し駆け出し始める。

575;無くて困る物

2017-11-29 16:00:46 | 老いの光影
無くて困る物

トイレットペーパーがからからと回り鳴いている音が聞こえてきた。
どの位ペーパーホルダーを回すのだろうか。
まだ音がする・・・・・
からからカラカラ・・・・

それに比べ
老人は「もったない」ということが染みつき

トイレットペーパーを2つに折るほどの慎ましい長さ。
重ね合わせたトイレットペーパーは薄く
排便後拭いた手指に
しっかりと便が付着。
お尻を拭いたペーパーを2回ほど2つ折りにし、ズボンのポケットにしまう。
ときどきポケットからそのペーパーを取り出し口を拭く。
トイレットペーパーやティッシュペーパーを入れてしまう老人の洋服やズボンのポケット。
洗濯をするときには必ずポケットのなかをチェックしないと大変な結末になり、
ちりぢりになった紙屑が衣服に纏わりつくだけならまだしも
他の洗濯物や洗濯機のなかまで紙屑だらけ。後始末が大変。

老人はトイレットペーパーやティッシュペーパーのことをちり紙(ちりし)と呼ぶ。
農村で暮らした団塊の世代ならば想像はできると思うが、
農村では板床に穴があいており、
そこを跨いで用を足すポットン便所であった
落とし紙と呼ばれた紙で尻を拭いていた。
灰色がかった紙で新聞などの紙を材料として作った紙なので活字が見え隠れしている。
いまでは到底使えない落とし紙であり、おとし紙はスーパーの商品棚に並べられているのであろうか。

昔は学校の持ち物検査では
「ハンカチとちり紙」のチェックをされたものだった。
右ポケットにハンカチ、左ポケットにちり紙、を入れていた。

小学校から自宅までは2kmほど道程があり、
便意をもよおし我慢できず、
道端の草むらに入り用を足した。
左ポケットにちり紙が入っていなかったときは、
道端に生えている蕗の葉(ふきのは)をちぎり、
それをちり紙代わりにして拭いたことがあった。
便を隠すために、また蕗の葉を使い上から覆い隠した。
そんな時代もあった(昭和30年代後半 東北、北海道の農村は貧しかった)
いまは消費生活、消費文化が豊かになってきた。
老人は呟く、
「便利な時代になったが、生活をしていくのが大変になった。
昔は不便で貧しかったが、生活はしやすかった」

ほんとにそうかもしれない




573;気になる老人(ひと) その後

2017-11-29 03:12:10 | 老いの光影
気になる老人(ひと) その後 

顔は右眼から頬にかけ
左手の背にも
浮腫みあり
オシッコ余りでず

水は余り飲まない
blog557一部再掲載〕

同居している長男夫婦は
父親(95歳)が浮腫があり
しんどそうな表情をしても
気にする様子でもなく
ましてや受診させる気も起らない

このままでは息絶えてしまう心配もあり
長男に電話をかけた
「酸素濃度も低く80を切り
呼吸も苦しく辛そうな表情なので
かかりつけ医に電話をしたら、
本人を診るので、連れてきて欲しい、
と話をされたので、これからクリニックまで
連れて行きます。
クリニックまで迎えをお願いできますか」

長男は20分後にクリニックまで来た。
肺水腫もあり、これでは呼吸も苦しいはず
ラシックスを処方され、経過観察となった。

自宅ではネグレクトがあり
十分な食事、水分が摂れてはいなかった。
家の中歩くのもようやく
ベッドに入り横に寝るわけでもなく
日中は炬燵に足を入れうずくまっているだけ

デイサービスを休み(1週間休む)続けると寝たきりになるからと
今週からデイサービスを再開

昼食だけでもバランス良い食事とカロリーを摂れることで
体に元気が戻り
また動くことで、多量の便も出た。
体がスッキリしたのか、本人も楽になった表情をみせる。

本人は「俺はもう少しで終わりだ」
みんなにお世話になった」、と呟く。

新年を迎えれるかどうか心配・・・・・。
デイサービスに行き、顔を見ると
右手を挙げ、挨拶を交わしてくれるときの笑顔に、
生きることの意味を考えさせられる。



562;これでいいのか・・・・

2017-11-22 06:07:47 | 老いの光影
これでいいのか・・・・

雲ひとつない冬の夜空に
浮かぶ星
くっきりと輝く
明日の夜明けは
霜が降り寒い朝

星が輝く東北の夜は
寒い
妻の名前は忘れてしまった夫は
足で掛布団をめくり
自由に動く手で
何やらゴソゴソしている
夫の怪しげな音に目を覚ました老妻
寒さと眠たさで起きるのは億劫だが
体に鞭を打つな思いで老妻は起きた
夫の寝姿は下半身は丸裸
シーツやパジャマから両手、陰部、臀部まで
糞尿まみれ
それを見ただけで
溜息をつく
(幸せが逃げていく)
ひどいときには
一晩に三回もシーツを取り替えたこともあった
気持ちが悪いから
紙パンツやパットを外してしまうのだろうが
「こっちが倒れてしまう」と、
87歳の妻はこぼす。

介護施設ではつなぎ(抑制着)は許されない。
本人の立場にしても抑制着は許されず、「人権無視」だと言われる。
こうも連夜糞尿まみれになった夫を
寒い深夜に介護される老妻の身を案じてしまう。
妻が倒れてしまったら誰が夫の世話(介護)をするのか。
長男嫁(同居)はいるが、「あっしにはかかわりない」といった感じ・・・・。

本人には申し訳ないと思いながらも
婆さんが倒れてしまったら
誰が爺さんの面倒を見てくれるのか
仕方がないと思いつつ、老妻に「つなぎ(抑制着)を使うと、おむつ外しはなくなる」と話をした。

翌日、つなぎを着せてみた。
翌々日の朝、老妻に電話をかけた。
「良かった、本人はゴソゴソしていたが、おむつを外すことは出来なかった」
「お陰様で体は休め眠ることができた」

これでよかったのか・・・・
これでいいのか・・・・

557;気になる老人(ひと)

2017-11-20 11:54:24 | 老いの光影
気になる老人(ひと) 

朝、出かけにスマホが鳴った
「今日歩くのもしんどいから休む」

一昨日 SpO2を測ろうと
人指し指に挿入しても
なかなか数値が出てこなかった
足は浮腫み
オシッコも余り出なかった
爪の色は悪く死の影を感じさせる
冬至を過ぎ初春には96の齢になる
「(死が)近いんだ」と呟いていた
気になり
会いに行った

堀炬燵に足を入れ坐っていた
声をかけると
笑顔はみられたが
歩くのも億劫
顔は右眼から頬にかけ
左手の背にも
浮腫みあり
オシッコ余りでず
水は余り飲まない





548;在宅で見送る(看取る)ことの難しさ

2017-11-16 11:02:20 | 老いの光影

在宅で見送る(看取る)ことの難しさ 

昨日9時30分過ぎにスマホが鳴った
磯野さざえさんの声で「いつもおばあちゃんより元気がなくどうしたらいいか」
〔呼びかけても反応はありますか〕
「反応はあります」
〔血圧計ありますか〕
「血圧計壊れていて使えない」
〔血圧計持っていきます〕
〔電話だけでは様子がわからないので、今から伺います。それで私ごとで申し訳ないのだが、
肋骨骨折したので行くのに時間がかかるのでお待ち頂けますか。必ず行きます〕
5km先にあるさくらさくらデイサービスに電話をかけた。
センター長に「悪いけど血圧計とSpO2を持ってきてくれる。
ついでに私を乗せ磯野さん宅まで行くことできる?」とお願いする。
30分後にさざえさんから電話が入る「起きてご飯を少し食べたらいくらか元気になった」
〔良かった、いま向かっていますので間もなく着きます〕(私の自宅から車で7分程度)

磯野さん宅に着き、隠居宅の玄関を入ると居間兼寝室である。
フネさんはベッドに寝ていて、顔色は青白く目は窪み、
呼吸も荒かった(下顎呼吸の状態ではなかった)。
サザエさんは、どうしていいか戸惑っておられた。
血圧は上は151(いつもは100そこそこ)、SpO2測定すると「74」の数値
もう一度ど人指し指に挿入に測定すると「67」であった。
これでは呼吸するのも苦しいし、歩けるような状態ではなかった。
〔救急車を呼び、救急外来受診させた方がいいのでは〕、とサザエさんに話を持ちかけた。
「お願いします」ということになり、5分後には救急隊は到着。
救急隊員はSpO2を測定すると低く「66」であり、5の酸素吸入
タンカーに乗せ救急車に移動。20数分後に受入病院が決まり、救急車は走り去った。

7日から10日の入院予定で阿武隈総合病院入院となった。

今度同じような状態になったとき、阿武隈総合病院は入院を受け入れてくれるかどうか。
老衰のような症状のとき、在宅で看取りをとい医師から告げられるが
サザエさんにしてみれば、看取りの経験がないだけにどうしていいか不安である。
〔入院期間中に退院後どうしたらいいか、相談していきましょう〕ということになった。

昔は、庶民の生活は貧しく
おいそれと入院することはできなかった。
床に臥し、飲食もできなくなり老衰になると
(自宅の)畳の上で見送りをするのは
どの家庭においても普通の「死の風景」であった。

昔より訪問診療や訪問看護があっても
在宅で見送る(看取る)ことに不安や躊躇いがあり
病院での最期の治療を望む
”畳の上で(住み慣れたわが家で)死にたい”と本人が希望され
家族も本人の希望を叶えようと見送る強い覚悟が必要になる。

どうしても本人が苦しむ状態を見ると、悩みや葛藤が生じる。
それには勿論 在宅診療医師、訪問看護、訪問介護、ケアマネジャーなどの
連携になってくる

どこで死ぬか、
自分のことならば決められるが
他人のこととなるとなかなか難しい
昔の方がよかった、という老人の呟きが頭の中を過ぎる

確かにそうである
不便で生活は豊ではなかった
死ぬ場所にしても、悩むことはなかった

あなたは老い行き
死が近づいたら
何処で死にたいですか




533;寂寥感

2017-11-12 11:35:44 | 老いの光影
那須連山と阿武隈川の夕焼け 右端のラパン・ショコラは愛車 在宅訪問大活躍 38月で75,000km走行
寂寥感

癌の病を抱え
歩くこともままならぬ老女は
長年住み慣れた家に帰ることもできず
空蝉の如く空家となった

いまは 殺風景な温もりのない
高齢者住宅の一室に棲む
窓に鉄格子がないだけの
俗世間から遮断された時空間

老女は呟く
「こうして独りでいると 言葉まで忘れてしまう」 
髪の毛が抜け落ちるように
記憶までも失っていく
残るのは寂寥感

握った老女の手を離し
「またね」と別れの言葉を「放す」(話す)
遣る瀬無く 
せつなく
どうしようもなく
独り生きる老女の寂寥感を
包み込むこともできない
非力な自分


508;老いの風景〔7〕「色欲」

2017-11-03 11:37:27 | 老いの光影
老いの風景〔7〕「色欲」

市街に住むひとり暮らしの男性(85歳)の名は円山輪三郎
若いときは競輪三兄弟で知られた。
輪三郎の戦績は華やかものではなく、
地方大会で数度優勝した程度であった。
妻は苦労した
定年に近い長男は近くのマンションに住む。
仕事を終えてから長男はスーパーで惣菜などを買い、父親の家を訪れる。
在宅訪問のとき長男は、父親のことを話してくれた。

 父とは同じ血が流れているが、半分は母の血もある。
 女好きの父親。
 競輪選手を引退した後
 いま店舗は閉店されたが昔は地元の百貨店に勤めていた母。
 母は黙々と仕事をしていた。母は何処へも出かけたことがなかった。
 母を置いたまま父は、ハワイ旅行にも行っていた。
 母は、家から出ることもなく、最後はうつ病になり寝たきりになった。
 母を介護することもなく、父はダンス教室に足蹴く通っていた。
 母が亡くなり、母の保険金で 父は、日本1週旅行は6回もしたのかな。
 両親と自分が出かけのは、
 つくば万博だけであり、後にも先にも1回だけだった。

昨日、かかりつけ医にかかったことも忘れ
薬も飲んだり飲まなかったり。
でもお酒だけは忘れずに、毎日飲んでいる。
お酒が入ると起きるものも面倒臭くなる。
緑内障は進み、目も不自由でありトイレに間にあわないこともある。
尿便失禁あり 便付着は下着やズボンにもみられてきた。
本人は宵越しの金は持たないと、いった調子で
お金はあるだけ使い
しげしげと通ってくる60歳近い女性にお金をあげたりしている。
女性が冷蔵庫やテレビが故障したと、いえば
預金をおろし、家電製品を買ってあげ、定期預金は残高なし。
そんな父を、息子は「見栄っ張り」と話す。
「女性にお金をあげるのは男の甲斐性だ。だから女は男の言うことを聞くのだ」
という考えはぼけていても失っていない。
デイサービスのスタッフに千円を渡そうとする。
(勿論受け取りはできない)

女好きは、若いときからであり
老いてもなお血気盛ん、聞くに堪えない卑猥な言葉を大きな声で話すから
他の利用者には、嫌がら嫌われても気がつかないのは当の本人だけである。
入浴介助中、昔でいう「トルコ」と勘違いし色欲を露わにする。
彼の場合、色欲は最後まで残る。またそれが「生きる力」なのかもしれない。
ダンスのときに着る衣裳は、黄、ピンク、赤、青、緑、紫の各色を所有し、
その衣裳を着てデイサービスに通う。
靴も衣裳に合わせた色靴がある。

長男は細かいことまで気にする性格、うつ病から心療内科受診中。
「自分も父親の血を流れているかと思うと心配になる」、と話されたときは、
「母親の方に似ているから大丈夫ですよ」と切り換え話すことも数度あった。


502;老いの風景〔6〕「ありがとう」

2017-10-31 22:16:35 | 老いの光影
老いの風景〔6〕「ありがとう」

芦野朋子は、心不全 糖尿病 腎不全などの疾病を抱え
心臓に水が溜まり意識が朦朧とし
今年の桜の花を見ることなく緊急車で搬送され入院となった。
入院時は意識が朦朧とし30日余り続いた。
いままではかろうじて立ち上がり、立位保持ができていたことから
長男の介助によりトイレで排せつを行っていた。
6月30日に退院するときには
下肢や体幹の筋力は萎え
寝がえりをうつこともできなくなった。

入院中、彼女は「家に帰りたい。帰れなければ死ぬ」としきりに訴え、
ときには興奮したりしていた。
彼女はいま81歳。
長男夫婦はパン職人で、パン店を営んでいた。
薬価7万円もする利尿剤を服用してたため
退院後、老人保健施設の入所は困難と断られた。
いままで介護サービスで利用していた
特別養護老人ホームのショートを利用することになった。
月に2週間ショートを2回利用し、
ショートとショートの間に2泊3日自宅外泊を行った。
介護施設の生活が主となった。
2週間のショート ⇒ 2泊3日の外泊 ⇒ 2週間のショート ⇒ 2泊3日の外泊
2泊3日の外泊時に訪問看護 施設ショート利用中に訪問診療のサービスを調整し実施。
心不全、糖尿病(インスリン注射)の健康管理を必要とした。

飲み込みは悪くなりペースト食。
本人はもう長男夫婦と住んでいた家に帰ることは難しくなったことがわかり
地元の特別養護老人ホームでショートの繰り返しにより
そこで生活することに暗黙のうちに同意された。

彼女は、食べること以外の行為はすべて全介助。
いままで、長男(41歳)は、自営業をしながら、おむつ交換などの介助を行ってきた。
朋子さんは、月に2回2泊3日の外泊ができるとは思っていなかっただけに、
家に帰れる日があることは、本当に嬉しかった。
彼女の両親、祖父母は商店を営み、農民相手に貸し付けも行っていた。
彼女は一人娘であり、何不自由しない生活を過ごされ、婿養子をもらった。
80年余り、いまの家に生れ生活してきた。
その家から離れて生活することは考えられなかった彼女。

寝返りもできず、食事はペーストになり
家に帰ることを諦めた。
他者の手を借りなければ生きていけないことを
施設生活のなかで感じとった彼女。
2泊3日の外泊時
おむつ交換をする長男に
「ありがとう」と呟いた。
長男夫婦は、8年間の在宅介護を通し
母からのはじめての「ありがとう」の言葉。
思わず泪が出てしまった、と在宅訪問のとき話してくれた。



497;死ぬことより老いてゆくほうが難しい

2017-10-29 11:07:45 | 老いの光影
死ぬことより老いてゆくほうが難しい 

「死」の経験はしていないので
「死」はどんなものか実感でき得ないけど
「死ぬ」ことより
「老いてゆく」ことのほうが難しい
老いの風景から
そんなことを感じる

492;老いの風景〔5〕 「何もしない・・・」

2017-10-28 08:39:47 | 老いの光影
老いの風景〔5〕 「何もしない・・・」

忙しさに追われているとき
「何もしない」で、ぼ~としたい、と思うときがある。

窓際に追いやられ 何もしなくていいと
机と椅子だけ置かれ 干されたら
疎外感から気が狂ってしまう。

88歳になった山下和生さん
定年になった息子から「何もしなくていい」と言われ
農作業の一切を息子にとりあげられた和生さん。
半年も経たないうちに
物忘れだけでなく
軽トラックの運転もできなくなってしまい
妻をはじめ息子夫婦の名前まで忘れてしまった。
何もしないで過ごすことは
老人にとっても過酷であり
水が滲み出すように記憶のピースがこぼれ落ち
自分の名前さえも思い出せなくなってしまう。

何かをすることで
誰かの役に立っている。
小さなことであっても
何かをすることで
そこには自分の存在を感じ
生きる喜びがある。

何もしないでいることは
自分の存在を見失ってしまう。

反対に、1日が8時間に感じるほど
忙しさに追われていると
心を亡くし 自分を見失ってしまう

「忙」は、心を亡くすと読める。
忙しいときほど
「何もしない」で
心の休憩が必要なときもある。