老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

他人の集まりだ

2022-11-20 21:00:23 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち


1915 老人ホームだけは嫌だ~

90歳を超えた婆さんは
ぼろぼろとご飯を洋服や床いっぱいにこぼす

洋式便器に座る前に
おしっこを床いっぱいにこぼす
この床は誰が濡らしたの、と尋ねられても
「わたしじゃない」、と真顔で答える

朝、起きおしっこでびっしょり濡らした紙ぱんつを脱ぎ棄て
ぱんつを穿かずにデイサービスに通う

住み慣れた家で暮らすことが厳しくなってきた
「老人ホーム(特別養護老人ホーム)に行くか」、直球で尋ねた
「老人ホームだけは嫌だ」「味噌を舐めたって行かない」
「どうして」、と意地悪く聞き返してみた
「他人の集まりだ」

90歳を超えた老人たちは
老人ホームは姥捨て山に映るのか

大雨が降り続いています

2022-09-24 10:39:12 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
1908 ご訪問頂きありがとうございます



ご訪問頂きありがとうございます。
皆様のブログを訪れる余裕もなく
一方通行になってしまっています
しばらくは片翼で飛ぶような感じになります

一番身近にいるwifeの気持ちが理解できているのか
昨日wifeと喧嘩をしてしまい
ラインで会話するような状態になりました。

仲直りするには 自分が反省するしかありません

外は大雨
雨の音は壊れたピアノ、という曲があります
「心は壊れたラジオ」
いまの自分はそんな状態です。

秋の大雨は寂しく、何だか秋が短く過ぎ去る気がします。


心が挫けても秋桜を見倣う

2022-09-23 05:19:14 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
1907 茎が折れても咲き続ける秋桜



朝露に濡れた秋桜、よく見ると花びらの下に水滴がある

コロナウイルス感染症が治癒し退院後
生きているのか、死んでいるのか、ブログは放置されたまま。
ようやく倦怠感は消失した、筋力も消失し脚は萎え体重も減った。
折れた心のままでは、本当に「生きる屍」になってしまう自分。
台風14号の暴風に遭い茎が折れても咲き続ける秋桜。

これからも心は折れても逝くまで生きる。
犬も猫もコオロギも秋桜も生き物であり、生命がある。
コロナウイルス感染症から生還した自分。
wifeが救急車を呼ばなければ肺炎は重症になり重症患者のベッド
に伏せていたかもしれない。
救急隊員そして病院スタッフに救われた。
病院スタッフからは再び生命(いのち)を助けて頂いた、そんな
思いにかられた。



阿武隈川の夕陽の風景を再び眺めることができた、beagle元気と一緒に。
弱くなった躰を快復させ、折れない心で(折れてもいい、秋桜のように咲
き続ける)生きる。いまの自分には難しいことだがlast chance の思いで生
きることにした。

あれもこれもできなくなった躰だから、地域密着型通所介護事業所を来春
で閉じることにした。
馴れ親しみ楽しんでいたデイサービスを自分の都合で閉じることに心痛む。
サービスの良い他の地域密着型通所介護所に引継ぎを行い、ケアプランだけ
は最後まで担当をすることを許してもらえたら、と願っている。

これからどうするのか。
いま20件あるケアプランは最期まで担当させていただき、0になったら
ケアマネジャーは終わりとしたい・・・・。
何もなくなったら惚けてしまうね、とwifeは隣で囁く。

そうならないよう躰が動き判断ができハンドルが握れているので、透析患者
の移動支援サービスを来月1日から始める。2名の透析患者から要介護老人
のお世話させて頂く。
透析患者であった自分、括弧つきではあるがまだ自分は慢性腎不全患者であ
る。症状悪化でいつ人工透析に戻るかもしれない。神様だけが知っている。
妹から貴重な腎臓をひとつ分けてもらい、医療スタッフのおかげで透析から
離脱することができた。束縛された時間からの解放、「自由」になった躰に
感謝。妹や病院スタッフに対し、死ぬまで感謝の気持ちを忘れてはならない。
生かされた躰、残された時間、last chanceに賭ける。

すぐ挫け心が折れやすい自分だけれど、逝くまで何かをしたい、と思う。
last chanceである透析患者の移動支援サービスを軌道に乗せ、スタッフや
wifeに遺していきたい。



beagle元気は何を思っているのだろう・・・






ご心配をおかけしました

2022-09-07 17:45:07 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
1906 退院しました



 8月4日 日曜日に退院しました。
ご心配をおかけしました。
7月22日にコロナ感染が判明し2週間余り。
後遺症は大きく、躰全体倦怠感が強く歩くの
も疲れる。食欲、意欲低下にあり、味覚は一
部、苦い味と塩辛い味が強いが、まだ味覚は
ある。wifeは味覚を失い、回復するかどうか
気がかりです。何を食べてもゴムのように感
じる。

 人間にとり食べることは大きな楽しみの一
つだけに、wifeの味覚喪失はとてもショック
です。

 なかなか仕事の関わりは大変で、やらなけ
ればならないこともあり、明日からは「気」
を入れ、倦怠感と闘いながら生きます。

 



生かされた生命(いのち)

2022-08-18 14:04:47 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
1902 生かされた生命(いのち)


               自治医科大学付属病院(栃木県下野市)

 NPO法人「難病患者支援の会」は、海外
での生体腎移植で臓器売買が行われた疑いが
あると報道され、憤りを覚える。
 腎臓の機能が働かなくなり、死ぬまで人工
透析をしなければならない躰。多くの透析患
者は腎臓移植を望むも、なかなか難しい状況
にある。藁をもすがる思いで、腎臓提供の話
があれば海外であっても命の危険と隣り合わ
せにあっても多額の腎臓移植の金を支払い、
手術を受ける。術後順調にいっても、体調が
良くなく腎臓外科に受診しても、治療は難し
く再び人工透析に戻る人もいる。最悪の場合
は、死亡したり重症になった人もいる。
 東南アジアでは、子供たちが携帯電話欲し
さに腎臓を売ることが横行し、そこには貧困
と人権の問題が根深く関わっています。

 わが国の透析患者数は年々増加し,2020年
末の施設調査結果による透析患者数は 347,671
人になる。

 自分も14年前、2008年8月26日まで人工透
析患者であった。54歳になったばかりの8月27
日に腎臓移植の手術を受け、成功し人工透析
に戻ることなく今日まで生きてきた。健康管
理や免疫抑制剤などの服用を怠ったりすると
再び透析に戻ることになる、と主治医からも
話された。

 自分は、宝くじに当たったような幸運に巡
りあい生体腎臓移植を受けた。腎臓を快く提
供してくれた妹を始め、医師を始め医療スタ
ッフの多大なる協力、支援により自分の生命
(いのち)は生かされ、こうして「いま」も
生きていることに、本当に心底感謝の気持ち
であり、「いのち」の大切さを感じています。
 

自分の足で歩く

2022-08-17 03:51:45 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
1901 「猫」と「犬」そして「自分」



独古牧場 干し草のところで2匹の可愛い子猫 ピンボケがあり残念



車窓から外を眺め何を思う、犬は窓から首を出し
景色を見るのではなく、外の匂いを嗅いでいる・・・・



月に一度のシャンプー。9歳4ヶ月 beagle元気
老いは隠せない、耳の淵が「白く」なってきた



季節外れの風景だが、この風景はお気に入り
南湖公園(白河市)

 
 自分は猫も犬も好き、にんげんも好き。
「ニンゲン」に生まれ、ひかり新幹線よりも
速く時は過ぎ、気がついたら老いの季節。
昔話「浦島太郎」を思い出した。玉手箱を開
けたら一挙に白髪となった浦島太郎。まだま
だ(人生の)時間はある、と思っているうち
に、70歳を迎えた。
 どんな出来事に遭遇するか。頭と足の動き
は鈍くなってきたが、自分の足で歩いていく。

老いてから、自分の誕生日を迎えるたび、
亡き母を思い出す。親不孝な自分だった、と
反省する。終戦の7年後に生まれた自分は、
貧農であったため粉ミルクを買うこともでき
子育ては苦労した、といつも母は話していた。
米のとぎ水と山羊の乳で育てた。八ヶ月で生
まれ、超未熟児。鶏の毛を剥ぎ取った状態の
赤ん坊だった。歩き始めたのは二歳を過ぎて
から。そのせいか土踏まずは形成されず、べ
た足であった。病弱だった幼少期。

いまこうして、病気を抱えながらも70の
齡を迎えることができたのは、目に見えぬ
多くの人のお陰である。自分だけの力で生
きてきたのではない。感謝の一言に尽きる。
(長々と自分のことを書いてしまった)。

 隣で元気はいびきをかき気持ちよく寝てい
る。幸せな風景である。小さな幸せを重ね往
きながら、「時をかける」老人になりたい。
 

老いふけるのではなく、老いをふかめて往く

2022-08-16 11:51:41 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち


令和4年8月12日産まれた子牛(雌牛)、ふらつきながらも懸命に歩いていた(8月12日撮影) 



独古牧場 365日乳牛のお世話をし、「乳」を搾っている。介護と同じく休みがない。

1900 70歳からの『老い楽の詩』

 後頭部の一部は「不毛地帯」となった
 緑内障のため左右の目は、真横が視野狭窄で
 「見えなくなった」
 ちらほら「短期記憶障害」がまだらに出現

 明日、8月17日で「70歳」の老いを迎える。
こうしてPCに向かい、仕事ができるのは後何
年であろうか。そんなことを思うよりも、最
後の十年何ができたか。

 まだ子牛の毛は濡れていた。親牛はもう傍
にはいない。自分の足で立ち、歩き生きてい
く。子牛に見倣い、自分も下肢の筋力低下に
負けることなく歩くのだ。
 高村光太郎 『牛』は、高校生のときに出
会った。
 牛のように我が路を、周囲に振り回される
ことなく、他人を羨み後悔することなく諦め
ず自分の足で歩く。

「牛ガ自然ヲ見ル事ハ牛ガ自分ヲ見ル事ダ」


 高村光太郎 『牛』

 牛ハノロノロト歩ク

 牛ハ野デモ山デモ道デモ川デモ

 自分ノ行キタイトコロヘハ

 マッスグニ行ク

 牛ハタダデハ飛バナイ、タダデハ躍ラナイ

 ガチリ、ガチリト

 牛ハ砂ヲ掘リ土ヲ掘リ石ヲハネトバシ

 ヤツパリ牛ハノロノロト歩ク

 牛ハ急グ事ヲシナイ

 牛ハ力(チカラ)一パイニ地面ヲ頼ツテ行ク

 自分ヲ載セテイル自然ノ力(チカラ)ヲ信ジキツテ行ク

 ヒト足、ヒト足、牛ハ自分ノ道ヲ味ハツテ行ク

 フミ出ス足ハ必然ダ

 ウハノ空ノ事デハナイ

 是デモ非デモ

 出サナイデハイラレナイ足ヲ出ス

 牛ダ

 出シタガ最後

 牛ハ後ヘハカヘラナイ

 足ガ地面へメリ込ンデモカヘラナイ

 ソシテヤツパリ牛ハノロノロト歩ク


 牛ハガムシヤラデハナイ

 ケレドモカナリガムシヤラダ

 邪魔ナモノハ二本ノ角ニヒツカケル

 牛ハ非道ヲシナイ

 牛ハタダ為(シ)タイ事ヲスル

 自然ニ為(シ)タクナル事ヲスル

 牛ハ判断ヲシナイ

 ケレドモ牛ハ正直ダ

 牛ハ為(シ)タクナツテ為(シ)タ事ニ後悔ヲシナイ

 牛ノ為(シ)タ事ハ牛ノ自信ヲ強クスル

 ソレデモヤツパリ牛ハノロノロト歩ク

 何処マデモ歩ク

 自然ヲ信ジ切ツテ

 自然ニ身ヲ任シテ

 ガチリ、ガチリト自然ニツツ込ミ喰ヒ込ンデ

 遅レテモ、先ニナツテモ

 自分ノ道ヲ自分デ行ク

 雲ニモノラナイ

 雨ヲモ呼バナイ

 水ノ上ヲモ泳ガナイ

 堅ヒ大地ニ蹄(ヒヅメ)ヲツケテ

 牛ハ平凡ナ大地ヲ行ク

 ヤクザナ架空ノ地面ニダマサレナイ

 ヒトヲウラヤマシイトモ思ハナイ

 牛ハ自分ノ孤独ヲチヤント知ツテイル

 牛ハ食ベタモノヲ又食ベナガラ

 ジツト淋シサヲフンゴタへ

 サラニ深ク、サラニ大キイ孤独ノ中ニハイツテ行ク

 牛ハモウト啼イテ

 ソノ時自然ニヨビカケル

 自然ハヤツパリモウトコタヘル

 牛ハソレニアヤサレル

 ソシテヤツパリ牛ハノロノロト歩ク


 牛ハ馬鹿ニ大マカデ、カナリ無器用ダ

 思ヒ立ツテモヤルマデガ大変ダ

 ヤリハジメテモキビキビトハ行カナイ

 ケレドモ牛ハ馬鹿ニ敏感ダ

 三里サキノケダモノノ声ヲキキワケル

 最善最美ヲ直覚スル

 未来ヲ明ラカニ予感スル

 見ヨ

 牛ノ眼ハ叡智ニカガヤク

 ソノ眼ハ自然ノ形ト魂トヲ一緒ニ見ヌク

 形ノオモチヤヲ喜バナイ

 魂ノ影ニ魅セラレナイ

 ウルホヒノアルヤサシイ牛ノ眼

 マツ毛ノ長イ黒眼ガチノ牛ノ眼

 永遠ヲ日常ニヨビ生カス牛ノ眼

 牛ノ眼ハ聖者ノ眼ダ

 牛ハ自然ヲソノ通リニジツト見ル

 見ツメル

 キヨロキヨロトキヨロツカナイ

 眼ニ角モ立テナイ

 牛ガ自然ヲ見ル事ハ牛ガ自分ヲ見ル事ダ

 外ヲ見ルト一緒ニ内ガ見エ

 内ヲ見ルト一緒ニ外ガ見エル

 コレハ牛ニトツテノ努力ジヤナイ

 牛ニトツテノ当然ダ

 ソシテヤツパリ牛ハノロノロト歩ク


 牛ハ随分強情ダ

 ケレドモムヤミトハ争ハナイ

 争ハナケレバナラナイ時シカ争ハナイ

 フダンハスベテヲタダ聞イテイル

 ソシテ自分ノ仕事ヲシテイル

 生命ヲクダイテ力(チカラ)ヲ出ス

 牛ノ力(チカラ)ハ強イ

 シカシ牛ノ力(チカラ)ハ潜力(センリョク)ダ

 弾機(バネ)デハナイ

 ネジダ

 坂ニ車ヲ引キ上ゲルネジノ力(チカラ)ダ

 牛ガ邪魔者ヲツツカケテハネトバス時ハ

 キレ離レノイイ手際ダガ

 牛ノ力(チカラ)ハネバリツコイ

 邪悪ナ闘牛者(トレアドル)ノ卑劣ナ刃(ヤイバ)ニカカル時デモ

 十本二十本ノ槍ヲ総身ニ立テラレテ

 ヨロケナガラモツツカケル

 ツツカケル

 牛ノ力(チカラ)ハカウモ悲壮ダ

 牛ノ力(チカラ)ハカウモ偉大ダ

 ソレデモヤツパリ牛ハノロノロト歩ク

 何処マデモ歩ク

 歩キナガラ草ヲ食フ

 大地カラ生エテイル草ヲ食フ

 ソシテ大キナ体ヲ肥ス

 利口デヤサシイ眼ト

 ナツコイ舌ト

 カタイ爪ト

 厳粛ナ二本ノ角ト

 愛情ニ満チタ啼声(ナキゴエ)ト

 スバラシイ筋肉ト

 正直ナ涎(ヨダレ)ヲ持ツタ大キナ牛

 牛ハノロノロト歩ク

 牛ハ大地ヲフミシメテ歩ク

 牛ハ平凡ナ大地ヲ歩ク


(1913.12 高村光太郎作 「牛」 「高村光太郎詩集」および「道程」掲載より)