老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

やっと入院した

2024-10-16 20:07:48 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち

2044 老犬がいつもわたしの隣にいる

85歳を過ぎたある婆さんの話です。

細腕で建てた2階建ての家に、ひとり暮らす。

糖尿病と視床出血後遺症と認知症を患い、自らセダンタイプの車を運転しながら近くの病院に通う。

腎臓もボロボロになり、本来ならば血液透析治療をしてもおかしくない状態なのである。

 

20~30キロ走行なので、彼女の後は大渋滞の様相になってしまう。

かかりつけ医から、検査データーは超最悪で「生きていることが不思議なくらい」

「他の婆さんならばもう死んでいてもおかしくない数値です」、と言われ

彼女はとうとう観念し10月15日入院した。

世の中は便利になったもので、金さえ払えば手ぶら姿で入院できる。

入院中は、アメニティセット(入院時に必要な「寝巻・タオル類・紙おむつ・日用品等」の

有料サービス)で事足りるのです。

彼女は、そんなことはお構いなしで、スーパーのショッピングカート上下の棚に

自宅から持ってきた山のような荷物をカートに乗せ、押しながら病室に入る。

よく昔お年寄りが湯治湯に出かけるときたくさんの荷物を抱えながら歩く後ろ姿を思い浮かぶ。

洗面器、パジャマ、下着、歯ブラシ、歯磨き粉、コップ、海苔、板海苔などなど所帯道具一式のような感じ。

マイカーは病院の駐車場に置かれている。

入院期間は3週間の予定。

 

入院日に「入院時情報提供書」を医療相談室に持参した。

担当のMSW(ソーシャルワーカー、医療相談員)から電話がかかる。

「彼女は、退院後はどうするのか」

「彼女は、最後まで自宅で暮らし、自宅で死にたい」

「本当は他人(ひと)に迷惑をかけてまでは死にたくない」、と思ったけど

「(ひとりの)ヘルパーがかかわってから、この人に迷惑をかけてもいい、と考えが変わり、自宅で死にたい」

「どんな様(すがた)で見られても、家で死にたい」

「15歳になる老犬(柴犬)と一緒に過ごして生きたい」

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無に帰る

2024-10-16 05:22:33 | 無帰

2043 無に帰る

無帰

人間死んだら無になる

自分の躰も煙となって消え逝く

遺骨となって墓に埋葬される

そう想うと寂しくなる

自分は無になったら何が遺るのか

遺るものが無くなってもいい

あの世に何も持って逝くことができない

自分はとても小さな墓に「無」と刻む

一輪の花を飾れればそれでいい

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする