老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

要介護老人と無職の孫

2020-06-01 05:00:08 | 文学からみた介護
1546;羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』文藝春秋

小説のタイトルから
いろいろなことを考えさせられる。
5年前に出版された羽田圭介さんの『スクラップ・アンド・ビルド』を
今頃手にした自分。

スクラップアンドビルドとは、老朽化したり陳腐化した機能しなくなった古い建物を廃棄し、
新しく建て替え最新の施設に置き換えることをいう。

この小説に登場する健斗(28歳、無職)の祖父(87歳、要介護1)と健斗の母(60歳)の三人暮らし。
※祖父の要介護1は、自分が推定したもの。杖を使い歩行ができ、浴槽の跨ぎも軽介助によりできていることから
要介護1と判断した。

人間の「スクラップ・アンド・ビルド」と言葉で表現していいかどうか悩むところもあるが
小説のタイトルから言わんとしているのは
歩くことも覚束なくなり物忘れももでてきた要介護老人はスクラップであり
健斗はじいさん(祖父)とは違い、再び身体を鍛えこれから生きていくビルドである。

じいさんはことあるたびに「死にたい」「迎えに来てほしい」と口にする。
そうならば「死にたい」という祖父の願いをどう叶えていけばよいのか。
同じ屋根の下で暮らしていくなかで孫は考え実行していく。

介護には「足し算」と「引き算」がある。
「引き算」の介護は、要介護老人を自立させていくことにつながる
「足し算」の介護は、一見優しそうな介護に映る過剰な介護は、要介護老人をダメにしていく。

「足し算」の介護は、現実の介護施設や介護事業所、病院などで為され
要介護が悪化し、スクッラプ化していく老人。

 プロの過剰な足し算介護を目の当たりにした。健斗は不愉快さを覚える。被介護者
への優しさに見えるその介護も、おぼつかない足どりでうろつく年寄りに仕事の邪魔
をされないための、転倒されて責任追及されるリスクを減らすための行為であること
は明らかだ。手をさしのべず根気強く見守る介護は、手をさしのべる介護よりよほど
消耗する。(『スクラップ・アンド・ビルド』p41)


見守る介護は、「引き算」の介護であり、待つ介護でもある。
これは介護だけでなく子育てにも同じようなことが言える。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (にゃんズの母)
2020-06-02 12:57:13
引き算の介護。
あたしも心掛けていますが、
他人様から観れば冷たい娘。
それも、超が付くほどの。

いえいえ、自分でも冷たいと自覚しています(苦笑)
介護・・・難しいです。
返信する
そんなことはない (星光輝)
2020-06-03 08:16:26
にゃんズの母様
冷たい娘なんかじゃないですよ。
認知症になった母親を
人生の途中から同居し介護される娘さんは
そうそういない。
親思いだから認知症になった母と暮らす。
自分の老いに、きっとプラスになる、と思います。
返信する

コメントを投稿