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ウメさんは、摂食・嚥下障害は「問題なく」、
口から食べることができたのに、
「一口摂取すると吐き気を起こしていたのはなぜか」
「食べられるのに食べなかったのはなぜか」。
それはウメさんだけがわかっているのかもしれない。
60数年以上も人生を歩んできた伴侶であった夫が他界後、
離れの家で彼女なりに独居生活を楽しんできたが、
連日の暑さから体力低下と脱水症から、
歩けなくなり寝たきりの状態になった。
「要介護4」というありがたくない要介護認定の通知が届いた。
訪問入浴、特殊寝台(介護用ベッド)・床ずれ防止用具(エアマット)の貸与の介護サービス開始された頃、
ウメさんは「住み慣れた家で元気に暮らしたい」
「体力を快復し、また歩けるようになりたい」
という願いをもっていたが・・・・。
暑さのせいで食が進まなかったこともあるが、
ウメさん自身が意識的に食事を摂らず、
体力消耗、栄養不足のため入院に至った。
ウメさんが「食べられるのに食べられなかったのはなぜか」、
それを知るきっかけとなったのは、
小峰城が見える病院のデイルームで
長男嫁が私に話してくれたなかに、
その理由が隠されていた。
《長男嫁相子さんの話》
「平成24年7月26日の夕方、
私(相子さん)が、
用事があり出かけたときのことです。
義母は便意をもよおしトイレに向かって必死になって這ったけれども、
間に合わず便を漏らしてしまった。
便が着いた紙おむつは気持ちが悪く、
義母はおむつを外した際に手に便が着いてしまい、
どうしてよいかわからず頭は混乱し、
その手を壁やパジャマなどにベタベタ塗り付けたり拭いたりしてしまった。
その場面に遭遇した65歳の息子(長男)は
孫息子も呼び、
便だらけになったウメさんの介抱をし
ベッドに寝かせてくれた出来事(こと)があった」のです。
ウメさんにとって、
「(その時間、その場に長男嫁がいなかったことから)
男にしかも息子、孫息子に下の世話や便の後始末をしてもらったことがショックだった」。
「自分が歩けてさえいれば、
便をお漏らしすることもなくトイレに行けた」のに、
「自分は歩けなくなった」。
「これから自分はどうしたらいいのか」。
彼女はひとり悶々と悩んでいたことを知った。
食べたりトイレで用を足したり、
風呂に入ったりなどの日常生活は、
大人ならば老いても誰でもごくあたりまえにできて当然であるはずなのに、
いまの自分は(自分ひとりで)できなくなった。
つまり「できること」が「できなくなった」自分に対し喪失感を抱き、
「生きたい」という気持ちが萎えてしまってきたことにあると、
ウメさんは思った。
ウメさんは、何でも自分でやってきた頑張り屋であった。
いままで大病もなく病床に伏すこともなく生きてきただけに、
いまの自分は誰かに下の世話受けなければならない。
他人の手を煩わせるくらいなら・・・・、
「食べない」という消極的自殺による手段をとったのであろうか。
それでも彼女は、最後は「家に帰りたい」という気持ちから、
少量ながらも食事を口にした。
洋一さん(長男66歳)は、ウメさんが寝たきりになってから彼女が寝ている
(介護用)ベッドの隣に家具調ベッドを置き、
傍に付添い寝しながら老いた母親を看取って来られたことを、
私は彼女が旅立つ前日に知ったのでした。
ウメさんは、摂食・嚥下障害は「問題なく」、
口から食べることができたのに、
「一口摂取すると吐き気を起こしていたのはなぜか」
「食べられるのに食べなかったのはなぜか」。
それはウメさんだけがわかっているのかもしれない。
60数年以上も人生を歩んできた伴侶であった夫が他界後、
離れの家で彼女なりに独居生活を楽しんできたが、
連日の暑さから体力低下と脱水症から、
歩けなくなり寝たきりの状態になった。
「要介護4」というありがたくない要介護認定の通知が届いた。
訪問入浴、特殊寝台(介護用ベッド)・床ずれ防止用具(エアマット)の貸与の介護サービス開始された頃、
ウメさんは「住み慣れた家で元気に暮らしたい」
「体力を快復し、また歩けるようになりたい」
という願いをもっていたが・・・・。
暑さのせいで食が進まなかったこともあるが、
ウメさん自身が意識的に食事を摂らず、
体力消耗、栄養不足のため入院に至った。
ウメさんが「食べられるのに食べられなかったのはなぜか」、
それを知るきっかけとなったのは、
小峰城が見える病院のデイルームで
長男嫁が私に話してくれたなかに、
その理由が隠されていた。
《長男嫁相子さんの話》
「平成24年7月26日の夕方、
私(相子さん)が、
用事があり出かけたときのことです。
義母は便意をもよおしトイレに向かって必死になって這ったけれども、
間に合わず便を漏らしてしまった。
便が着いた紙おむつは気持ちが悪く、
義母はおむつを外した際に手に便が着いてしまい、
どうしてよいかわからず頭は混乱し、
その手を壁やパジャマなどにベタベタ塗り付けたり拭いたりしてしまった。
その場面に遭遇した65歳の息子(長男)は
孫息子も呼び、
便だらけになったウメさんの介抱をし
ベッドに寝かせてくれた出来事(こと)があった」のです。
ウメさんにとって、
「(その時間、その場に長男嫁がいなかったことから)
男にしかも息子、孫息子に下の世話や便の後始末をしてもらったことがショックだった」。
「自分が歩けてさえいれば、
便をお漏らしすることもなくトイレに行けた」のに、
「自分は歩けなくなった」。
「これから自分はどうしたらいいのか」。
彼女はひとり悶々と悩んでいたことを知った。
食べたりトイレで用を足したり、
風呂に入ったりなどの日常生活は、
大人ならば老いても誰でもごくあたりまえにできて当然であるはずなのに、
いまの自分は(自分ひとりで)できなくなった。
つまり「できること」が「できなくなった」自分に対し喪失感を抱き、
「生きたい」という気持ちが萎えてしまってきたことにあると、
ウメさんは思った。
ウメさんは、何でも自分でやってきた頑張り屋であった。
いままで大病もなく病床に伏すこともなく生きてきただけに、
いまの自分は誰かに下の世話受けなければならない。
他人の手を煩わせるくらいなら・・・・、
「食べない」という消極的自殺による手段をとったのであろうか。
それでも彼女は、最後は「家に帰りたい」という気持ちから、
少量ながらも食事を口にした。
洋一さん(長男66歳)は、ウメさんが寝たきりになってから彼女が寝ている
(介護用)ベッドの隣に家具調ベッドを置き、
傍に付添い寝しながら老いた母親を看取って来られたことを、
私は彼女が旅立つ前日に知ったのでした。
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