不浄考 #2 今昔不浄物語・前編
御不浄、即ち便器は大きな変化をとげ、
今の若い人は「ポットン便所」がどんな便所だか想像もつかないと思う。

自分は羊蹄山の麓、貧農に生まれた。
昭和38年(昭和39年、東京オリンピック)に初めて電気がつき、その明かるさに驚愕と感動を覚えた。
それまではランプ生活で、テレビも洗濯機も冷蔵庫の電化製品はなかった。
昭和38年、自分は小学5年生だった
家は木造平屋建て、青いトタン屋根で煙突が突き出ていた。
暖房器具は薪ストーブであった。
御不浄は母屋から10mほど離れた処にあり
藁屋根、壁は木の板で作られた。広さは畳半分位であり床は板が張られていた。
床の真ん中当たりに和式便器を置き、その部分は穴が空いていた。
床の下は糞尿が溜まる「槽」が作られてあった。
排便後の尻拭きは、文庫本の1.5倍程度の大きさに切った新聞紙
後には、活字が模様となった灰色のチリ紙に変わった。落とし紙とも言われた。
糞尿が溜まってくると蛆虫が蠢いているのが
モロに見え、臭いもきつく鼻を摘んで用を足していた。
蛆虫が成長すると銀蠅が飛び交う。
冬は雪が2、3m積もり、藁葺き屋根の便所小屋に行くのが大変だった。
寒いし、懐中電気では薄暗かった。
夜の便所は、お化けが出るのでは、と妄想が広がり怖かった。
家の玄関を開け、立ち小便をしたら親に怒られた。
雪が解け、春になると、野菜畑に穴を掘らされた。
何をするのかと思ったら、ポットン便所にこんもり溜まった糞尿を
杓子で桶に汲み、2つの肥やし桶を天秤棒で担ぎ、野菜畑まで運び土の穴に入れるのである。
これもまた辛い作業であり、糞尿が飛び跳ね、その度臭いまでもが揺れた。
ポットン便所の生活は18才まで続いた。
町の子が我が家に遊びに来て、
「トイレを貸してくれ」と言われることが
恥ずかしくもあり、嫌だった。
町に住む級友の家は和式便器ながらも、水洗トイレであり、
水で流される糞尿を見て、本当に羨ましく思った。
御不浄、即ち便器は大きな変化をとげ、
今の若い人は「ポットン便所」がどんな便所だか想像もつかないと思う。

自分は羊蹄山の麓、貧農に生まれた。
昭和38年(昭和39年、東京オリンピック)に初めて電気がつき、その明かるさに驚愕と感動を覚えた。
それまではランプ生活で、テレビも洗濯機も冷蔵庫の電化製品はなかった。
昭和38年、自分は小学5年生だった
家は木造平屋建て、青いトタン屋根で煙突が突き出ていた。
暖房器具は薪ストーブであった。
御不浄は母屋から10mほど離れた処にあり
藁屋根、壁は木の板で作られた。広さは畳半分位であり床は板が張られていた。
床の真ん中当たりに和式便器を置き、その部分は穴が空いていた。
床の下は糞尿が溜まる「槽」が作られてあった。
排便後の尻拭きは、文庫本の1.5倍程度の大きさに切った新聞紙
後には、活字が模様となった灰色のチリ紙に変わった。落とし紙とも言われた。
糞尿が溜まってくると蛆虫が蠢いているのが
モロに見え、臭いもきつく鼻を摘んで用を足していた。
蛆虫が成長すると銀蠅が飛び交う。
冬は雪が2、3m積もり、藁葺き屋根の便所小屋に行くのが大変だった。
寒いし、懐中電気では薄暗かった。
夜の便所は、お化けが出るのでは、と妄想が広がり怖かった。
家の玄関を開け、立ち小便をしたら親に怒られた。
雪が解け、春になると、野菜畑に穴を掘らされた。
何をするのかと思ったら、ポットン便所にこんもり溜まった糞尿を
杓子で桶に汲み、2つの肥やし桶を天秤棒で担ぎ、野菜畑まで運び土の穴に入れるのである。
これもまた辛い作業であり、糞尿が飛び跳ね、その度臭いまでもが揺れた。
ポットン便所の生活は18才まで続いた。
町の子が我が家に遊びに来て、
「トイレを貸してくれ」と言われることが
恥ずかしくもあり、嫌だった。
町に住む級友の家は和式便器ながらも、水洗トイレであり、
水で流される糞尿を見て、本当に羨ましく思った。
ポットン便所を体験した人でないわからない
言葉で説明しても わからない
ポットン便所に落ちたことはない
現代も ポットン便所がどこの家にあるとしたら
若者は大変
スマホ、財布などの類は、ポットンと、落してしまうこと
が多いのでは・・・
いや~、笑わせて頂きました。
ブレンドされたオシッコ・・・なかなかですね(笑)
実は、あたしにも経験があります。
そう、ウ〇チをした次の瞬間、サッと腰を浮かす。
こういう経験は、ある程度の年齢の方なら案外多いのかもしれませんよ。
樽を用いたポットン便所は、知らなかった。
でも合理的ですね。
杓子で汲み直しをそなくてもよいのですね。
公衆ポットン便所は糞より尿が溜まっているため
大きな糞をすると
ドボンと落ちたと同時に
便槽の尿が跳ね返り
自分のお尻にブレンドされたオシッコが付着する
一度それを体験してからは
ポットン便所では
大糞が落ちるやいなや、すかさずお尻を上げ
難を逃れた。
昔は何処
昔は、トイレに限らず
台所の設備も大きな変化を遂げた。
トイレは衛生面の問題があるだけに
水洗化になったのは生活向上に繋がった。
昔は、赤痢に罹った級友もいた。
便所からトイレへ呼び方はハイカラになったけど
公衆トイレの使い方は
後は野となれ山となれ、であり
「糞害(憤慨)」してしまう。
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あたしが小学校低学年の頃だったと思います。
父の実家・本家のトイレは、やはり母屋から離れた
隣のかやぶき屋根の小屋の中の一画にありました。
和式ならまだいいのですが、
その便所(敢えて)は、大きな樽に2枚の板を並べて置いてあり、紙は雑誌が1~2冊。(破いて揉んで軟らかくして使う)
仰るようにウジ虫が観える。
それでも落ちないように(落ちたら悲惨)ビクビクしながら用を足したことを憶えています。
肥やしとして使うためのようでしたが、当時はそれが当たり前の時代だったのしょう。
「ポットン便所」の響きで 思い出しましたことがあります。
高校時代のある日の朝礼で 堂々とした体格の校長が 「朝 ドスンと大きいヤツをやる。これが1番である。健康の証拠、その日が快調となる・・・」等という話をし、朝礼でなんということを言う、生徒に笑いとざわめきが起きたことです。
校長の家も ポットン便所だったということですね。
最近は 田舎に行っても 「便所」とも言わず 「トイレ」、
わずか数十年で 昔話になってしまいましたね。