老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1174 ; 不浄考 #2 今昔不浄物語

2019-06-24 06:15:38 | 排せつ考
不浄考 #2 今昔不浄物語・前編

御不浄、即ち便器は大きな変化をとげ、
今の若い人は「ポットン便所」がどんな便所だか想像もつかないと思う。


自分は羊蹄山の麓、貧農に生まれた。
昭和38年(昭和39年、東京オリンピック)に初めて電気がつき、その明かるさに驚愕と感動を覚えた。
それまではランプ生活で、テレビも洗濯機も冷蔵庫の電化製品はなかった。
昭和38年、自分は小学5年生だった

家は木造平屋建て、青いトタン屋根で煙突が突き出ていた。
暖房器具は薪ストーブであった。

御不浄は母屋から10mほど離れた処にあり
藁屋根、壁は木の板で作られた。広さは畳半分位であり床は板が張られていた。
床の真ん中当たりに和式便器を置き、その部分は穴が空いていた。
床の下は糞尿が溜まる「槽」が作られてあった。

排便後の尻拭きは、文庫本の1.5倍程度の大きさに切った新聞紙
後には、活字が模様となった灰色のチリ紙に変わった。落とし紙とも言われた。

糞尿が溜まってくると蛆虫が蠢いているのが
モロに見え、臭いもきつく鼻を摘んで用を足していた。
蛆虫が成長すると銀蠅が飛び交う。

冬は雪が2、3m積もり、藁葺き屋根の便所小屋に行くのが大変だった。
寒いし、懐中電気では薄暗かった。
夜の便所は、お化けが出るのでは、と妄想が広がり怖かった。
家の玄関を開け、立ち小便をしたら親に怒られた。

雪が解け、春になると、野菜畑に穴を掘らされた。
何をするのかと思ったら、ポットン便所にこんもり溜まった糞尿を
杓子で桶に汲み、2つの肥やし桶を天秤棒で担ぎ、野菜畑まで運び土の穴に入れるのである。
これもまた辛い作業であり、糞尿が飛び跳ね、その度臭いまでもが揺れた。

ポットン便所の生活は18才まで続いた。
町の子が我が家に遊びに来て、
「トイレを貸してくれ」と言われることが
恥ずかしくもあり、嫌だった。
町に住む級友の家は和式便器ながらも、水洗トイレであり、
水で流される糞尿を見て、本当に羨ましく思った。

最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
或る日過去の体験が甦る (星光輝)
2019-06-25 21:53:24
にゃんズの母様

ポットン便所を体験した人でないわからない
言葉で説明しても わからない

ポットン便所に落ちたことはない
現代も ポットン便所がどこの家にあるとしたら
若者は大変
スマホ、財布などの類は、ポットンと、落してしまうこと
が多いのでは・・・



返信する
こんにちは (にゃんズの母)
2019-06-25 13:06:29
ふふふふ。
いや~、笑わせて頂きました。
ブレンドされたオシッコ・・・なかなかですね(笑)

実は、あたしにも経験があります。
そう、ウ〇チをした次の瞬間、サッと腰を浮かす。
こういう経験は、ある程度の年齢の方なら案外多いのかもしれませんよ。
返信する
樽便は知らなかった (星光輝)
2019-06-24 13:56:05
にゃんズの母 様

樽を用いたポットン便所は、知らなかった。
でも合理的ですね。
杓子で汲み直しをそなくてもよいのですね。

公衆ポットン便所は糞より尿が溜まっているため
大きな糞をすると
ドボンと落ちたと同時に
便槽の尿が跳ね返り
自分のお尻にブレンドされたオシッコが付着する

一度それを体験してからは
ポットン便所では
大糞が落ちるやいなや、すかさずお尻を上げ
難を逃れた。

昔は何処
返信する
時代は変わっても (星光輝)
2019-06-24 13:40:17
Takezii Sama

昔は、トイレに限らず
台所の設備も大きな変化を遂げた。
トイレは衛生面の問題があるだけに
水洗化になったのは生活向上に繋がった。
昔は、赤痢に罹った級友もいた。

便所からトイレへ呼び方はハイカラになったけど
公衆トイレの使い方は
後は野となれ山となれ、であり
「糞害(憤慨)」してしまう。

3668
返信する
おはようございます (にゃんズの母)
2019-06-24 10:48:17
はるか昔。
あたしが小学校低学年の頃だったと思います。
父の実家・本家のトイレは、やはり母屋から離れた
隣のかやぶき屋根の小屋の中の一画にありました。

和式ならまだいいのですが、
その便所(敢えて)は、大きな樽に2枚の板を並べて置いてあり、紙は雑誌が1~2冊。(破いて揉んで軟らかくして使う)

仰るようにウジ虫が観える。
それでも落ちないように(落ちたら悲惨)ビクビクしながら用を足したことを憶えています。

肥やしとして使うためのようでしたが、当時はそれが当たり前の時代だったのしょう。
返信する
おはようございます、 (takezii)
2019-06-24 05:44:01
そうでしたね。高校まで暮した北陸の山村の実家もそうでした。
「ポットン便所」の響きで 思い出しましたことがあります。
高校時代のある日の朝礼で 堂々とした体格の校長が 「朝 ドスンと大きいヤツをやる。これが1番である。健康の証拠、その日が快調となる・・・」等という話をし、朝礼でなんということを言う、生徒に笑いとざわめきが起きたことです。
校長の家も ポットン便所だったということですね。
最近は 田舎に行っても 「便所」とも言わず 「トイレ」、
わずか数十年で 昔話になってしまいましたね。 
返信する

コメントを投稿