1959 ロストケア {3} 必要な介護が受けられない
葉真中 顕『ロストケア』光文社文庫
「地獄の沙汰も金次第」という言葉がある。
介護も同じである。介護の世界も金次第。
『ロストケア』(54頁)
「残念ながら、介護保険は人助けのための制度じゃない。介護保険によって人は二種類に分けられた、
助かる者と助からない者だ」
老人福祉をビジネスとして民間にアウトソーシング(外部委託)すること。それが介護保険の役割だ(54頁)
介護保険法が施行される前の老人福祉法では、老人福祉や介護の整備は行政の責任であった。
介護保険法施行以後、介護事業所の指定権限は県、市町村にあり、介護事業所の運営は民間業者に任せたことで、
行政の責任は免れ、民間の介護事業所を実施指導の名の下で締め付け、そして介護保険サービスが使いずらくなってきている。
教員の資格に比べケアマネジャーの資格は厳しく、5年毎に更新研修を受けなければケアプランの作成ができない。
訪問看護に比べ訪問介護の介護報酬は低いことも問題。そのことについては後日、記していきたい。
介護保険を使えば介護サービスを一割負担で利用できる、ということになっている。(56頁)
現在は高齢者の年金受給額や所得によって自己負担は1割、2割、3割負担と分けられている。
膨大に増え続けている介護保険費用に対し、高齢者自身の負担を増やすべきだとして自己負担の割合についても2割、3割の枠が作られた。
併せて介護保険料も年々増え続け、それは年金受給額から差し引かれ、年金額は目減りしており、
特に国民年金受給者にとっては厳しく医療費の支出も含めると生活厳しくやりくりが大変になってきている。
実際に介護の現場に身を置くものとして
どの要介護老人も必要なだけ介護サービスを使えたら、と思うことがある。
月5万円未満の国民年金受給者がおられ、同居している息子、娘がいて、働いていると
掃除、洗濯、調理などの生活援助(訪問介護)のサービスが容易に受けられない。
子どもと要介護老人の二人暮らしで収入が10万円以上あると生活保護が利用できない。
自分がいま抱えている要介護老人は要介護2、週3回の透析治療を受けている。
同居している息子は夜間専従のコンビニで働いている。
老父は自営業を64歳まで行ってきた。
高度経済成長のときは羽振りもよく、老後のことは考えておらず国民年金の納付はおざなりになっていた。
所得税や市民税をたくさん納めてきたこともあったのに、いまは月額2万円の年金生活になり、情けない、とある老人は話す。
息子の収入をあてにすることはできない。
2万円のなかから使える介護サービス費用は福祉用具(介護用ベッド)と週3回の通院費は併せて1万円が限度。
週1回の入浴サービス(デイサービス)を利用することが難しい(週1回だと月額6,000円余りになる)
お風呂だけ入れる半日のデイサービス事業所をみつけなければならない。
せめて週1回の生活援助を進めたが、「使わない」、と本人は言う。
「最近、格差なんて言葉やたらと聞くが、この世で一番えげつない格差は老人の格差だ。
要介護老人になった老人の格差は冷酷だ。安全地帯の高級老人ホームで至れり尽くせりの生活をする老人がいる一方で、
重すぎる介護の負担で家族を押しつぶす老人がいる。・・・・(中略)・・・・
未だに多くの家庭で介護原因のノイローゼや鬱(うつ)が生まれ続けているー」(56~57頁)
介護と両立できる仕事は限られ、家の近くで時間の融通が利く仕事はアルバイトしかない。
それでは介護や生活が成り立たない。あった貯金も底がついた。
福祉事務所の窓口で「働けるんですね? 大変かもしれませんが頑張って」、と言われるだけで
介護地獄から逃れることはできないし、本人も残された家族に負担をかけ申し訳ない、と思い「殺してくれ」と家族に訴える。
せめてあと10,000円のお金があれば、週1回のデイサービス、週2回の身体介護(30分)の介護サービスが利用できる。
そうすれば本当に助かる。現実は介護サービスが使いたくとも使えない。
介護の世界も金次第なのです。
42人の老人を殺した斯波宗典は、「社会の穴」がある(社会の歪がある)、と大友検事に切々と話す。
(自分は年金受給額は10万円足らず。この先妻が大病や事故に遭遇すると、「穴の淵」にいる自分は、もれなく「社会の穴」に落ちてしまう)
社会の穴に落ちたら、なかなかそこから這い上がり抜けだすことができず、孤独のなかに置かれる。
生活保護受給者は介護保険や医療などのサービスは自由に使える。
介護保険料、健康保険料は免除され、介護や医療の費用もかからない。
自宅で看取りをする。
それは本人にとり幸せことだが、在宅で看取るには金がかかる。
往診診療代、訪問看護、訪問介護(身体介護)、福祉用具の費用など
月額にして25,000円~35,000円はかかる(1割負担)。
老人介護は他人事ではなく死のテーマと同様、避けては通れない路なのかもしれない。
介護の影を書き連ね、介護の大変さと暗いイメージを与えてしまったけれど
一方では介護保険サービスにより、数多くの要介護老人や家族も助かっている人もおられる。
貧富の格差、老後の格差に関係なく、誰人も安心して老いて逝ける社会を望んでいる。
コロナ禍や少子化「対策」ということで、現金給付しても、それは焼石の水でしかない。
少子化と老人介護は表裏一体の関係にあり
表現は相矛盾した言葉だが、急ぎかつ時間をかけきめ細かな施策こそが大切だと思う。
葉真中 顕『ロストケア』光文社文庫
「地獄の沙汰も金次第」という言葉がある。
介護も同じである。介護の世界も金次第。
『ロストケア』(54頁)
「残念ながら、介護保険は人助けのための制度じゃない。介護保険によって人は二種類に分けられた、
助かる者と助からない者だ」
老人福祉をビジネスとして民間にアウトソーシング(外部委託)すること。それが介護保険の役割だ(54頁)
介護保険法が施行される前の老人福祉法では、老人福祉や介護の整備は行政の責任であった。
介護保険法施行以後、介護事業所の指定権限は県、市町村にあり、介護事業所の運営は民間業者に任せたことで、
行政の責任は免れ、民間の介護事業所を実施指導の名の下で締め付け、そして介護保険サービスが使いずらくなってきている。
教員の資格に比べケアマネジャーの資格は厳しく、5年毎に更新研修を受けなければケアプランの作成ができない。
訪問看護に比べ訪問介護の介護報酬は低いことも問題。そのことについては後日、記していきたい。
介護保険を使えば介護サービスを一割負担で利用できる、ということになっている。(56頁)
現在は高齢者の年金受給額や所得によって自己負担は1割、2割、3割負担と分けられている。
膨大に増え続けている介護保険費用に対し、高齢者自身の負担を増やすべきだとして自己負担の割合についても2割、3割の枠が作られた。
併せて介護保険料も年々増え続け、それは年金受給額から差し引かれ、年金額は目減りしており、
特に国民年金受給者にとっては厳しく医療費の支出も含めると生活厳しくやりくりが大変になってきている。
実際に介護の現場に身を置くものとして
どの要介護老人も必要なだけ介護サービスを使えたら、と思うことがある。
月5万円未満の国民年金受給者がおられ、同居している息子、娘がいて、働いていると
掃除、洗濯、調理などの生活援助(訪問介護)のサービスが容易に受けられない。
子どもと要介護老人の二人暮らしで収入が10万円以上あると生活保護が利用できない。
自分がいま抱えている要介護老人は要介護2、週3回の透析治療を受けている。
同居している息子は夜間専従のコンビニで働いている。
老父は自営業を64歳まで行ってきた。
高度経済成長のときは羽振りもよく、老後のことは考えておらず国民年金の納付はおざなりになっていた。
所得税や市民税をたくさん納めてきたこともあったのに、いまは月額2万円の年金生活になり、情けない、とある老人は話す。
息子の収入をあてにすることはできない。
2万円のなかから使える介護サービス費用は福祉用具(介護用ベッド)と週3回の通院費は併せて1万円が限度。
週1回の入浴サービス(デイサービス)を利用することが難しい(週1回だと月額6,000円余りになる)
お風呂だけ入れる半日のデイサービス事業所をみつけなければならない。
せめて週1回の生活援助を進めたが、「使わない」、と本人は言う。
「最近、格差なんて言葉やたらと聞くが、この世で一番えげつない格差は老人の格差だ。
要介護老人になった老人の格差は冷酷だ。安全地帯の高級老人ホームで至れり尽くせりの生活をする老人がいる一方で、
重すぎる介護の負担で家族を押しつぶす老人がいる。・・・・(中略)・・・・
未だに多くの家庭で介護原因のノイローゼや鬱(うつ)が生まれ続けているー」(56~57頁)
介護と両立できる仕事は限られ、家の近くで時間の融通が利く仕事はアルバイトしかない。
それでは介護や生活が成り立たない。あった貯金も底がついた。
福祉事務所の窓口で「働けるんですね? 大変かもしれませんが頑張って」、と言われるだけで
介護地獄から逃れることはできないし、本人も残された家族に負担をかけ申し訳ない、と思い「殺してくれ」と家族に訴える。
せめてあと10,000円のお金があれば、週1回のデイサービス、週2回の身体介護(30分)の介護サービスが利用できる。
そうすれば本当に助かる。現実は介護サービスが使いたくとも使えない。
介護の世界も金次第なのです。
42人の老人を殺した斯波宗典は、「社会の穴」がある(社会の歪がある)、と大友検事に切々と話す。
(自分は年金受給額は10万円足らず。この先妻が大病や事故に遭遇すると、「穴の淵」にいる自分は、もれなく「社会の穴」に落ちてしまう)
社会の穴に落ちたら、なかなかそこから這い上がり抜けだすことができず、孤独のなかに置かれる。
生活保護受給者は介護保険や医療などのサービスは自由に使える。
介護保険料、健康保険料は免除され、介護や医療の費用もかからない。
自宅で看取りをする。
それは本人にとり幸せことだが、在宅で看取るには金がかかる。
往診診療代、訪問看護、訪問介護(身体介護)、福祉用具の費用など
月額にして25,000円~35,000円はかかる(1割負担)。
老人介護は他人事ではなく死のテーマと同様、避けては通れない路なのかもしれない。
介護の影を書き連ね、介護の大変さと暗いイメージを与えてしまったけれど
一方では介護保険サービスにより、数多くの要介護老人や家族も助かっている人もおられる。
貧富の格差、老後の格差に関係なく、誰人も安心して老いて逝ける社会を望んでいる。
コロナ禍や少子化「対策」ということで、現金給付しても、それは焼石の水でしかない。
少子化と老人介護は表裏一体の関係にあり
表現は相矛盾した言葉だが、急ぎかつ時間をかけきめ細かな施策こそが大切だと思う。
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