老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

73歳まで働いていた

2024-01-12 21:26:11 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
2003 (誕生日を迎えると)今年91歳になる。長生きしたな・・・・


                     冬の那須連山

今日は9時から11時過ぎまで介護タクシーの運転と付き添いをした(通院等乗降介助)。
90歳の婆ちゃんは、一度に内科医院と整形外科クリニック受診の日である。
嫁さんが朝早く順番取りに行かれる(内科は10番目、整形外科は21番目)。
いつも整形外科が先なのだが、今日は内科を先にした。

車を降りてからは手をつないで歩く。
ヘルパーの話だと、私と手をつないで歩くのが嬉しいみたいですよ、と冷やかす。
杖はつくもふらつきはある。左手に彼女のバッグを持ち、右手で手をつかむ。
院内は後ろから見守り。

診察室まで同席し、医師から話されたことは、家族に報告する(不在のときはライン)。
血圧は毎日欠かさず測定し、血圧手帳に記載されている(真面目な婆ちゃん)
両膝と腰の4ヵ所に痛み止めの注射をする。
看護師から「注射をして痛みはやわらぐのかな?」
「注射しても痛みは変わらない」
(看護師 苦笑)
「気休めなのかな」、と話す私。
「そうだね気休めだね」

待ち時間のときは、世間話などいろいろと話に花が咲く。
バッグに猿の飾り物を付けてあったので、「申年なの?」と尋ねると
「申年です。何でわかったの?」
「バッグに猿の飾り物が付いてあったから」
「今年で91歳になる。本当に長生きしたな、と思う」
「今年、私は年男、辰年です」
「あら、何回目の辰年なの」
「6回目です」
「72歳。私からみたらまだまだ若いね~」

「私は、73歳になるまで8年間弁当屋の仕事をしていたんだ。73歳で辞めないで、もう少し仕事をした方がよかったかな」
「まだ若いんだからもっと仕事をした方がいいよ」

「80歳まで仕事は続けたい、と思っている」
「自分が仕事(ケアマネ)を辞めるまで、長生きしてね」、と話すと
彼女は笑っていた。

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2 コメント

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Unknown (ピエリナ)
2024-01-12 22:56:14
こんばんは🤗

いいですね。
その時この方は100歳ですね❤️

それにしましても本当に良くして差し上げられますね。
このような方はちょっとおられません。
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Unknown (星光輝)
2024-01-13 22:43:22
こんばんは。
ケアプランの担当者で、毎月1回以上は在宅訪問をしています。お茶菓子をご馳走になり(本当はいけないのですが、本人は楽しみにしているので、お言葉に甘えています。)昔話など60分雑談をします。長男夫婦と3人暮らしです。
5年前に長男夫婦は新築されたのを機にお婆ちゃんを呼び同居生活が始まりました。
 隠居部屋が一間だけでなく二間あります。8畳10畳の和室です。採光は抜群です。
8畳に堀炬燵、テレビ、食器棚、ミニキッチン、冷蔵庫があります。襖を開けると10畳の部屋で、介護用ベッド、仏壇があり、広い部屋です。長男夫婦と同じ玄関口で、上り框を上り右側がお婆ちゃんの部屋。左側が居間の他ダイニングがあります。2階建ての家。
私だけでなく他にも居ると思います。
いつもコメントありがとうございます。
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