老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

871;老人と子ども(5) 待つ

2018-08-08 04:13:02 | 老人と子ども
91才になっても自分で靴を履く 高齢になると立って靴を履くのは大変 玄関にベンチがあると楽に靴が履ける

老人と子ども(5) 待つ

相手の動作を「待つ」、それは忍耐がいる。

保育園(幼稚園)の送迎バスが迎えに来る。
自分で靴を履こうとしているのに
母親は「何グズグズしているの。バスが来るでしょう」と小言を言いながら
靴を履かせてしまう。
朝になると靴は母親に履かせてもらうものだと、
子どもは思い依存的になり履かせてもらう。
それは小学校に入っても、
ランドセルに用意をするのは母親。

デイサービスの送迎車が間もなく着く。
認知症になった老いた夫。
老いた妻は「何もできなくなった」と思い込み、
靴を履かせてしまう。
服を着ようとしても動作の遅さに待てず
つい手をかけてしまう。
そのうち老いた夫は依存的になり
手や足を出して、やってくれるの待つようになる。

子どもも老人も同じ
やってあげることは簡単。
相手が最後まで自分で行うよう
待つことの方が難しい。
「待つ」とは
相手との関係のなかで
「間」をとる、という意味でもある。

「間」をとる育児や介護が大切。
それには時間や心の余裕が求められてくる。


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