1951 高いクリームを買っても 皺(しわ)は伸びない
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まだケアプランを作成していない84歳の女性から、寂しくなると電話をかけてくる。
急ぎの用事はないのだが、なにかサービスを使いたいような感じで話すのだが、
翌日訪問すると、彼女は「まだサービスは使わなくても大丈夫。躰がしんどくなったからお願いするから」、と。
誰も彼女の家に訪れる人はいなく、その代わりに私に「来て」と誘惑する。
「死に物狂いで働いてきた、自分の幸せを考えずに生きてきた。養女を育ててきたが、優しい言葉もかけてくれない」。
「84歳になった。いつも玄関先の壁にかけてある鏡をチラ見するだけ。
手鏡で自分の顔を見たら、皺がたくさんあり、そして染みだらけ。
皺と染みの顔をみてビックリ。高いクリームを買って顔に塗っても皺は伸びない」。
左右の脚が痛く、その上坐骨神経痛がある。
車(軽自動車)を駐車している所まで歩くのも大変(自宅から50㍍先にある)。
そこまで休み休みしながら歩いていく。
16年間、自分の車のなかに巾着袋を置いている。
巾着袋のなかには運転免許証、健康保険証、実印、通帳用印鑑、預金通帳、マイナンバーカード、財布が入っている。
家を空けて歩くこともあり、貴重品は家に置くよりは車に置いた方が安心だ、と話す。
「それ、危ないよ、16年間盗まれなかった(車上荒らし、盗難)けれど、今日あるかもしれないよ」
「今日、車から巾着袋持ってきた方がいい」、と何度も念を押した。
運転免許証はあと1年半で有効期間が切れるので、それまで車を運転する。
「運転するのも大変」、と話す84歳の婆さん。
「車がないと通院や買い物ができない」
車の運転ができない同年代の婆さん友達から電話がかかり、遊びに来てね」、と誘われることもある。
交通事故が心配、本当に大丈夫かな・・・・・?
彼女は、「死ぬまで生きるしかない」、と話す。
本当にしばらくぶりの訪問者だったので、話は延々と続き、90分の雑談で、
彼女に対して、月1回ヘルパーが来て、買い物や掃除を使うよう約束をした
(安否苦確認もある、本当は週1回利用させたいのだが、彼女の気持ちを尊重し1回になった)
問題が起きてからでは遅い
ケアプランの作成の有無に関係なく(介護給付費は0円だけれども)、月に1回以上訪問することにした(自分のなかで)
また地域包括支援センターから、「それは入りすぎだよ。(高齢なケアマネジャーなのだから)躰無理しないほうがいい」、と苦言を頂くこともある。
(3年前に自分が申請し、要介護1の認定を受けている)
「躰がしんどく運転も億劫になったときは、日曜日でも夜でも電話してね」、と彼女にお願いする。
私の年齢(とし)はいくつ、と聞かれた
「70歳です」
「若いわね(嬉しい言葉です、妻は若いわね、と言ってくれません)」
「私が70のときは皺も染みなく、顔の肌はツヤツヤしていた(本当かいな?)」
「まだまだ躰が動くわね」、と激励されてしまった。
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早朝散歩のとき 野生の鹿? に遭遇
まだケアプランを作成していない84歳の女性から、寂しくなると電話をかけてくる。
急ぎの用事はないのだが、なにかサービスを使いたいような感じで話すのだが、
翌日訪問すると、彼女は「まだサービスは使わなくても大丈夫。躰がしんどくなったからお願いするから」、と。
誰も彼女の家に訪れる人はいなく、その代わりに私に「来て」と誘惑する。
「死に物狂いで働いてきた、自分の幸せを考えずに生きてきた。養女を育ててきたが、優しい言葉もかけてくれない」。
「84歳になった。いつも玄関先の壁にかけてある鏡をチラ見するだけ。
手鏡で自分の顔を見たら、皺がたくさんあり、そして染みだらけ。
皺と染みの顔をみてビックリ。高いクリームを買って顔に塗っても皺は伸びない」。
左右の脚が痛く、その上坐骨神経痛がある。
車(軽自動車)を駐車している所まで歩くのも大変(自宅から50㍍先にある)。
そこまで休み休みしながら歩いていく。
16年間、自分の車のなかに巾着袋を置いている。
巾着袋のなかには運転免許証、健康保険証、実印、通帳用印鑑、預金通帳、マイナンバーカード、財布が入っている。
家を空けて歩くこともあり、貴重品は家に置くよりは車に置いた方が安心だ、と話す。
「それ、危ないよ、16年間盗まれなかった(車上荒らし、盗難)けれど、今日あるかもしれないよ」
「今日、車から巾着袋持ってきた方がいい」、と何度も念を押した。
運転免許証はあと1年半で有効期間が切れるので、それまで車を運転する。
「運転するのも大変」、と話す84歳の婆さん。
「車がないと通院や買い物ができない」
車の運転ができない同年代の婆さん友達から電話がかかり、遊びに来てね」、と誘われることもある。
交通事故が心配、本当に大丈夫かな・・・・・?
彼女は、「死ぬまで生きるしかない」、と話す。
本当にしばらくぶりの訪問者だったので、話は延々と続き、90分の雑談で、
彼女に対して、月1回ヘルパーが来て、買い物や掃除を使うよう約束をした
(安否苦確認もある、本当は週1回利用させたいのだが、彼女の気持ちを尊重し1回になった)
問題が起きてからでは遅い
ケアプランの作成の有無に関係なく(介護給付費は0円だけれども)、月に1回以上訪問することにした(自分のなかで)
また地域包括支援センターから、「それは入りすぎだよ。(高齢なケアマネジャーなのだから)躰無理しないほうがいい」、と苦言を頂くこともある。
(3年前に自分が申請し、要介護1の認定を受けている)
「躰がしんどく運転も億劫になったときは、日曜日でも夜でも電話してね」、と彼女にお願いする。
私の年齢(とし)はいくつ、と聞かれた
「70歳です」
「若いわね(嬉しい言葉です、妻は若いわね、と言ってくれません)」
「私が70のときは皺も染みなく、顔の肌はツヤツヤしていた(本当かいな?)」
「まだまだ躰が動くわね」、と激励されてしまった。
昨日のお話と言い、今日のお話と言い、考えさせられます。
大変でしょうけれども、そういった方々の救いになっていらっしゃると思います。
ご無理をなさらないで下さいね。
でも、素晴らしいお働きを応援しています❤️
いつも母親様の介護風景を拝見させて頂いております。支えられるものがあることはとても大きいものだと感じています。
自分も老いの躰(身)になって、はじめて老いることのしんどさを痛感しています。
19歳のときに知り合った友人と、先日車のことで暫くぶりに会いました。友人は69歳。現役で車関係会社で専務として人材育成に励んでいます。70歳過ぎても動けるうちは仕事をし、悠々自適の生活は3年あれば十分と、と話していました。
自分も後10年は仕事をしていきたい、と思っています。やれること(できること)は少ないが、認知症予防を兼ね、その日その日を積み重ね生きれれば、と思っています。
自分の仕事のことより、在宅で介護されているご家族や記憶や躰に不自由を抱えながら生きている老人たちの生きている現実の姿に頭が下がります。
これからもよろしくお願いいたします。