老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

トイレで用を足したい

2022-01-19 19:44:16 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」
1777 用を足してくる

「お手洗いに行く」ことを
明治、大正、戦前の昭和に生まれた老人は
「用を足して来る」と言う。

「用を足す」は
含蓄の深い言葉である。

昔の人は「(役場に行き)用を足して来る」と言って玄関を出る。
用を足すとは、役所に大事な書類を提出したり、相談してきたりする。
その書類の提出は、誰にでも出来るものではなく
大切な用事であった。


では、何故、昔の人(老人)は
トイレにいくことを「用を足して来る」と言うのか

「オシッコがしたい」「オシッコが出る」という生理的な欲求は
その人にとり切実であり大切なことである。
他の人に自分のオシッコをお願いすることはできない。

役所の用事と同じく、トイレでオシッコをして来ることも
大切な行為であるから
「用を足して来る」、と言うのかもしれない。





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