2008年4月15日の作句です。
今日(2017年)は月例18日の月。
満月をちょっと過ぎたあたりの月です。
朧な春の昼の上弦の月を想像して下さい。
木々が剪定された後、
その表面が膨れあがり、
異様な形状をしているときがある。
おぞましい物、顔に見えたりする。
人間で言えば、関節炎で骨が
異常に変形することに似ている気がする。
小雨の影響で、桜が満開の儘、長続きしている。
それでも若葉の瑞々しい緑が目に飛び込んでくる。
蕾、満開、飛花落花、花絨毯、若葉など春の話題を独り占めしている。
、、、でも、夜のライトアップは、好きになれない。
箱庭、盆栽ともに日本的である。
そこに飾られている花、木など外を意識しているように感じられる。
その飾られた箱庭の家の中は、どうなっているのだろうか?
きっと、足の踏み場もないくらい飾られていることだろう。
満開の桜も、雨や風で散って行く。
花片だけでなく蕊をも散って行く。
その後に、瑞々しい青葉が顔を出す。
これまた、一興である。
咲けば、散る。
桜の良さは、散りぎわにあるとも言われている。
その花びらが、ひらひらと手の平に乗ったりする。
振り払うのがもったいない気になる。
これも日本人の持つ感情の一つだろう。
百千鳥=多くの小鳥。いろいろの鳥。
また、春の山野に小鳥が
群がりさえずるさまやその鳴き声をいう。
桜の下の宴会。
花見である。
大半が、家族、親戚、友達、会社等で催される宴である。
こうなると、場所取りが必要になる。
朝一番に、桜の花の下に、青いシートを敷いて場所取りをするのが、
花見の幹事の役目である。
夜桜を楽しむ会のシートは、昼間は客待ちのシートとなり、
花見会場の多くが青いシートで満たされる。
シートが花見をしているかのように。
大半の花は、下向きに、地上を向いて咲いている。
枝茎の大きさに比して、花が重たいのだろう。
下から見上げると、蕊がよく見える。
この真反対が、木蓮である。
背より高い所に、大きな花びらを携えて咲いている。
蕊など全く見えない。
花見のシーズンであるが、
一番心配なのが天気である。
この週末、雨の予報である。
雨よ降るな。
桜よ散るな。
本格的春が近付いてくると、
女性の日傘が増えてきます。
夜目・遠目・傘の内と言います。
はっきり見えないのが良いのでしょうね。
振り返ってくれたら、
見返ってくれたら、
美人だったら、、、、
そんな期待感を持つ春日中です。
天候不順と言うべきか?
地球温暖化の影響と言うべきか?
天気が2~3日で急変するのが続いています。
何故なんでしょうね。
花見に浮かれている時じゃない様に思えるのですが、、、。
日本全国、花見の話で持ちきりです。
花見の花と言えば、
桜です。
俳句で花と言えば、
桜を意味します。
季節は晩春です。
その桜の花びらがふらふらと
肩にチョンと乗る。
愛着が湧き、
ずっと、
そのままにしていたいです。
ミモザアカシア
=オーストラリア原産の木で、早春に黄色い花を咲かせます。
関東以南では露地植えができるので、昔は街路樹に植えられていました。
葉っぱが銀色で非常にキレイで、
黄色の花とのコントラストが非常に目を引きます。
陽炎(かぎろい、かじろい)
=夜明け方の光。
「東 (ひむがし) の野に陽炎の立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」
〈万葉集・四八〉
陽炎には、もう一つの使い方がある。
陽炎(かげろう)
=春,晴れた日に砂浜や野原に見える色のないゆらめき。
大気や地面が熱せられて空気密度が不均一になり,
それを通過する光が不規則に屈折するために見られる現象。
「陽炎のもゆる荒野に白たへの天領巾 (あまひれ) 隠り」
〈万葉集・二一〇〉
この俳句では、前者。