「春雨じゃ濡れて行こう」の名文句がある。
そぼ降る春雨の中、小川に漣が立つ。
情緒溢れる光景だ。
濡れるのも忘れて立ち止まる。
梅で有名な神社は、山の中腹に多い。
その神社に向かう途中から、
段々梅の香が濃ゆくなる。
新鮮な気に包まれる。
天気予報があまり信用できない。
予報というより、天気後報、天気誤報が合っている。
それでも、
週間予報で晴のマークが多いと安堵する。
もう春の半ばなのだろうか?
加齢というわけではないが、
昔のことを時々思い出す。
楽しかったことも、辛かったことも。
どちらもなかなか忘れられないものだ。
段々春めいてくると、
寒さで縮こまった体も、
背筋が段々伸びてくる。
背が高くなったように、、、。
春は良いものだ。
この季節、あめんぼうが顔を出し始める。
別名アメフラシ。
水に浮いている様、泳いでいる(?)様、健気に思える。
小池、噴水、水溜まりでよく見かける。
風の強い日など吹きだまりに集まる(?)、
吹き寄せられている。
自らの足の表面張力で水に浮いている。
その浮いている足先に、波紋が拡がっている。
小さい4っつの波紋が見つかれば、そこにあめんぼうが居る。
遠くからでも見つけやすい。
贅沢は、金が無くとも出来る。
大事なものに、物、人、金と言われるが、
時間の観念が抜けている。
時間は、人に平等に与えられている。
年金暮らしは、金銭的に窮屈だが、時間は豊潤である。
朝寝、朝酒、朝湯が好きなのも、趣味に生きるのも良い。
余生でなく、第二、第三の人生。
楽しまなくっちゃ。
加齢と共に、今まで普通であった体の機能が衰えてくる。
泪も笑いも衰えてないかチェックすべきだ。
地球も加齢が進んでいる。
温暖化は、平均気温が上がるだけでは済まない。
地球規模の異常を来たらしているのだ。
春一番、春二番、春の嵐など
言葉遊びをしている段階ではないと思うのだが、、。
温泉の露天風呂は格別である。
さらに木桶を浮かべて、
熱燗の徳利、
御猪口を入れ
月と梅を観賞しながら、
ちびりちびり飲む酒は
もっと格別であろう。
昨日、中山寺へ撮影に出かけた。
中山寺と言えば梅林で有名であるが、
まだ三分咲きといった感じであった。
一週間ほどしてまた行ってみたい。
シャボン玉をよく見ると、
球の表面に虹色が見える。
そして球の表面を動いている。
シャボン玉が割れる瞬間、
色が濃ゆくなったように感じる。
テレビ時代劇の鬼平犯科帳でよく紙風船を見かける。
紙風船の歴史は明確な記録が無いらしい。
一説によれば江戸時代の平賀源内が持ち込んだものが
五穀豊穣の祈願の祭りに合わせて
行われるようになったと言われている。
この季節、梅の花が気に掛かる。
生まれが福岡で学問の神様「菅原道真」祭られていて、
梅が名物の太宰府天満宮の近くで生まれたせいか?
俳句にも梅と太宰府天満宮の句を多く発表している。
武士が登場する前の平安時代ぐらいは、
日本の花は、桜でなく梅だったそうである。
春の夕焼けの太陽に帯みたいな雲がかかり、
きらきらと光っている。
光る時間もさほど残されていない故か、
淋しさが、、。
湯豆腐が美味しい季節である。
湯豆腐といえば、嵐山・嵯峨野の天竜寺、
伊勢の五十鈴川沿いの豆腐屋が有名である。
また、食べたいものだ。