書くことは思うこと,考えることを整えることだと思います。そこには必ず推敲,吟味という作業が加わります。どんな拙い一文であれ,人に読んでいただくことを前提にする限り,誤解が生じないように,文意が腑に落ちていくように,ことばを整える必要があります。
今のところ,書きたいことがわたしにはあります。些細なことでも,見ること聞くことを通してわたしのアンテナにひっかかってくるモノやコトが続きます。そうしたものは一日に必ず一つや二つはあります。うっちゃっておくのは勿体ない程のモノ・コトが続くと,ストックした題材や事柄が積み上がっていきます。
それを面倒がらずに丹念に書き綴るのは,わたしがわたしのいのちを生きる証しだと思っています。書くのは億劫ではありません。しゃべるように,語るように,自由に書くのは束縛がなくってわたしには合っています。いずれ,書くことについてのわたしの思いについて整理しようと思っています。
それはさておき,こんなわけですから,書きかけの原稿が溜まっていきます。雪だるま式に増えるというふうでもありませんが,原稿がなくなることはありません。
そこに,撮った写真を加える作業が重なります。今,撮る行為はじつにたのしい,と感じています。深い意味もなく行っていた“見る”行為が,繰り返しレンズを通して対象を記録していくうちに“観る”“視る”意味を重ね持つようになります。そこには発見が生まれます。発見は,この歳になっても“追求心”をくすぐります。
今日は,ブログの正式開設から1001日目を数えます。節目の出発日です。実際は2010年5月から準備にかかって,その年の10月に定期的な更新を始めました。以来,できるだけ更新に努めてきた結果,たくさんの方々にアクセスいただきました。ほんとうにありがとうございます。
自然にゆたかに展開されている生きものたちのいのち。“ミリのいのち,センチの蠢き”。これがわたしの目に映る主要なテーマです。目に映れば,こころがわくわくします。躍ります。アクセスいただく皆様に,わたしというフィルターを通して自然の多様な姿の一コマ一コマを引き続きお届けできれば,と願っています。
以上のような取り留めのない事柄をこころの内で整理しながら,今日は自宅脇の排水溝の草引き作業をしました。きれいな水が僅かに流れ,草が根を思いっ切り拡げていました。とくべつ自由な姿を見せているのがアメリカセンダングサです。
より多くの栄養分を摂ろうと根を伸ばしています。栄養分を程々に吸い上げられれば,茎を程々に伸ばします。根が拡がれば,からだ全体を支えるのはまことに容易です。からだのバランスは,生きものが生きている環境如何を教えてくれています。
草を取り除くと,そこも生きものの宝庫。羽化して間もないハグロトンボが休んでいて,トノサマガエルが潜んでいて,傍をシマヘビが通り過ぎて。
引き続き,ご愛読くださいますように……。