自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

今冬のマンサク(21)

2020-03-16 | マンサク

オドリバエのなかまが花の中を覗いて摂食中です。この昆虫は今年は初めて見かけたのですが,これまで毎年見て来ました。

 

長い口吻が特徴です。吻には花粉がちらり。

 

まだもの足りないようで,隣りの花を覗き込んでいました。

 

マンサクで見かける昆虫は多彩です。改めてそう感じます。

 


新型コロナウイルスの感染拡大 ~記者氏のツイッター~

2020-03-16 | 随想

トンデモ発言をする人が世の中にいても,なんらふしぎではありません。それぞれにものの感じ方,見方,考え方がちがうので,それはやむを得ないこと。しかし,基本的人権を侵す,言論の自由からみて疑義が生じるなど,人として許されない範囲を超えたらダメだなあ。

 

今回話題になっている,全国紙の社会部記者氏のツイッター発言にはうんざりげんなりです。こんな感覚の持ち主がこの新聞社に籍を置いているってことです。言論に人一倍敏感であるべき立場の人が,ことばを毒にしてしまったのです。わたしはこの全国紙を購読していますが,同紙関係者がときどき起こす不祥事から「情報を鵜呑みにするな」と肝に銘じて来ました(他紙も似たり寄ったり!)。これからも一層要注意です。

記者氏は自分の行為が批判にさらされ始めたので,さっさと記事削除。それを知った当新聞社は事態の重大さを察知したのか,思いのほか早く記者氏を降格にして公式謝罪。潔いというより,大火になる前に火の粉を振り払うといったふう。

自身の姿かたちを見直す材料にし,内容を事実として記憶にとどめるために,ツイッター文として紹介されているものを敢えて引用しておきます。

「あっという間に世界中を席巻し、戦争でもないのに超大国の大統領が恐れ慄く。新コロナウイルスは、ある意味で痛快な存在かもしれない」

報道を生業にしている人が,ことばの深さに思いを巡らすことなく,慮ることを放棄して,空虚なことばを思うがままに並べ立てただけ。居酒屋ででも気軽に口にすることばのように,公式の情報サイトでまじめな意見として述べています。自己満足げなその文体から,大上段にことばを伝家の宝刀として扱う姿勢が見え隠れ。感度がひどく貧しく思えて来るだけ。

たぶん,この記者氏は全国紙業界で一定の地位にあり,特権意識を醸成してきていたのだろうと推測されます。それならごくふつうの庶民感覚・人権感覚が欠如しているにすぎません。

目線を庶民の高さに保つのを怠ると,とんでもない事態を自ら引き寄せてしまう好例かと思います。

さらに自己紹介の欄にはこうあるそうです。

「(略)編集委員(社寺・文化財担当)。趣味は空手(新極真会初段)。57歳のじいさん予備軍です。興福寺迦楼羅・非公式応援大使も仰せつかっています」。

これにしても,ずいぶん大仰な紹介に感じられます。(新極真会初段)がどうした? そう,ついつい思ってしまいます。権威を笠に着たいのでしょうか。いずれの団体に所属していようが,何段であろうがいいじゃありませんか。「興福寺迦楼羅・非公式応援大使」がどうした? 「仰せつかっています」がどうした? 自己吹聴のために他者を引き合いに出す人は生身の自己に自信がないようで,人に寄りかかって自己喧伝しようとします。「57歳のじいさん予備軍」だなんて! この年齢,まだまだりっぱな現役ですよ。57という数字を小ばかにしてはいけません。若い人のお手本になる行動をしなくては。世の中がよい方向に向かうように庶民目線で業務に専念しなくちゃ。

でも,この自己紹介を書いて人に迷惑が掛かっていないなら,他者からどうのこうのといわれる筋合いはないでしょう。感想としては,記者氏の自己顕示のレベルってこんなものかなって程度。

文を書く人の奥を想像して読んでいかないと,うまくごまかされそうな世です。「本は人で選べ」ということばがあります。信頼できる人の文を読むのがいちばん(新聞記事は署名入りが大事!)。わたしが愛読してきたそういう著者には,庶民感覚が匂っていました。庶民感覚が匂っていたからこそ愛読したのでしょうけど。

今回は異常事態です。情報過多の時代の行き過ぎ行為。情報に振り回されずにしかと向き合うには書きぶりを批判的に読み解く,これに尽きます。

 

(注) 写真は本文と直接の関係はありません。