ひでんかの”雅でない”日々

庶民の"ひでんか"の日々はちっとも雅じゃないけれど、いろんな人達と楽しい毎日を過ごしています

HOUYOU

2009-07-05 23:06:00 | ひでんかの「おでかけ日記」

実は私「石原裕次郎ファン」です。
父がファンだったので、きっかけはそこからだと言えますが、子供心に「カッコイイ」と思っていました。
(モチロン「渋好みの子供」だった訳ではなく、当時人気があったアイドルの中にも好きな人はいましたが、「石原裕次郎」は別格でした)

その「石原裕次郎23回忌法要」が国立競技場で行われること、その際に記念品配布があり、その応募は「ハガキによる抽選」と、発表があったのが先月のことでした。
こういったくじ運には滅法弱い私ですが、なぜだか「石原プロ系」は強いかも...?
17回忌の時には、「幻のフィルム」と言われている映画(故人の意志でDVD化されていない作品)の映写会の鑑賞劵が当たりました。
(このときの映画「黒部の太陽」は「どうしても見たかった」ものでした。
ハガキの条件が「一人一枚」だったので、親戚一同の名前を借りてハガキを書きまくり、でんかの弟名のモノが当たりました。)
今回も全く期待はせずに、何枚かハガキを出しました。
応募総数75万通?絶対に当たる訳がないと思っていたら「当選の通知」が届きました。
しかも「でんかの名前」で!

こんなことを書くと、本物の裕次郎ファン(?...ライブな「映画スター」としての「裕次郎ファン」とは違って、どちらかといえば私の年代は「新参者」でしょう)の方に怒られそうですが、単なる「法要」だけに「国立競技場」まで行こうとは思っていませんでした。
でも、ハガキが当選したとなっては.....。
記念品の引き替えは「本人限定」ということなので、でんかと一緒に行ってきました。

今日は夕方、マンションの管理会(今年でんかは「理事長」さん)の予定が入っていたので、”多少”時間がかかることは想定して、午前中から出かけました。
かなりの人出にはなるだろうと予想はしていましたが、まさかあれほどとは.....

私たちは、こちら側ではない入り口から入りました。(帰りに写真だけ)09070501
競技場に着いたのは10時過ぎ。
入り口で「ゲートNo.」が書かれたカードを貰いました。
「このカードは何?」と意味がよくわからないまま、ポカリスエットを持って(記念品はハガキに当選した人だけでしたが、こちらは来場者全員に配られたようです)スタンドに上りました。
すると
09070502
これから、日本代表の試合が始まるの!?!
と、いう感じでスタンドが埋まっていました。
(でも、お寺

ちょうどセレモニー(?)が終わり、一般の人の「献花」が始まったところでした。
「献花」はスタンドの区画毎に順番で行われるそうで、それまで待つための「ゲートNo.カード」でした。
そして、この「献花」をした後でないと、記念品はもらえないとのこと。
と、いうことは「待つしか無い!」です。

私たちの区画は、お寺の裏側の方でしたので、順番が来るまではかなりの時間がかかりそうです。
私は「国立競技場」の中に入ったのは初めてでしたので、まずは「探検」からスタートです。
たぶん試合等で入場した場合は、指定席の区画内しか異動できないと思いますので、このチャンスに正面スタンドまで行ってみることにしました。
メインスタンドの中央まで来ると、ちょうどそちらの区画の献花の順番と重なってしまい、そこから先に進むことはできませんでしたが、スタンドをほぼ半周することができました。
このとき、最上段の通路から外を見ると、競技場に入れなかった人の列で広場が埋め尽くされていました。
(タッチの差が、とりあえず座って待てる私たちはラッキー?!)

そこからは
ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
っと、待つのみ。
09070503 正面スタンド前では合唱団が裕次郎さんの歌を、こちらもひたすら歌い続けていました。
(30分交代でグループが入れ替わっていました)
後は、時々「石原軍団」の皆さんが出てきて、献花を終えた人たちに挨拶していましたが、その場所も建物を挟んで反対側でしたので、「たぶん、あれは館ひろし?」と見えたような見えないような...。
(コンパクトデジカメのデジタルズームでなんとか → この程度)

飲まず食わずで3時間を過ぎた頃、もしかしたらこれは理事会に間に合う時間には帰れないかも?
と、あきらめて帰ろうかと思いはじめていました。

この間、とにかくヒマなので、手頃な(注・この方達が「ヒマ人」だと言うわけでは決してありません)お友達にメールを送っていました。

「ふろむ国立競技場。法事に来てます」
と写真付きで送ったら
「石原裕次郎?マイケルジャクソン?」
と返事が来た方。
(マイケルは海の向こうデス)

国民的行事なので、ガンバッテ参加してきてください!」
と激励(?)メールをくれた方。
(これは、国民的行事なの??)

その中のお一人に
「理事会があるので、記念品は断念して帰るしかないかも...」
と打ったメールのお返事が
「じゃあ、理事会はひでんかさんが出るしかないでしょ?」
と。

確かに言われてみれば、
「記念品の引き替え」は「本人限定」だというので、でんかが行かなければ受け取ることができません。
「理事会」の方は...。
一応、ざっと聞いたところでは、今月は特別に大きな議題も無いと言います。
となれば「選択の余地は無い」
(この日の競技場のスタンドで、会議の内容の打ち合わせをしていたのは、このイベントの主催者以外には、たぶん私たちだけだったでしょう)

理事会は4時からの予定でしたので、1時半過ぎには「無念の退却」(?)となりました。
競技場を出るときは、「途中退出」なので係の人に、わざわざくぐり戸を開けて貰わないと出られませんでした。
そして、競技場の外はトンでもないことに.....。

人の多さはもちろんですが、救急車も居ました、消防車の居ました、そして機動隊の車も!?!
帰りの電車で、またまたお友達にメールしたら
「救急車はわかるけど、なんで機動隊?」と。
やはり、待ち時間の長さにスタッフに詰め寄る人もいて
「中高年の暴動が起きるかもしれないからでは?」
と返信しました。
(確かに不手際は数多くあったでしょうが、事前に「参加者予想15万人」とも言われていたので、この事態は想定しうる状態では無かったかと...。)

09070505 この後、私は家に戻り、「理事長代理」をつとめ、
でんかは、私の分まで(ホント?)「心を込めて」献花して記念品を受け取って帰ってきました。
(帰ってきた、でんかの開口一番が「重い!!」
左の箱は焼酎のボトルで、陶器の瓶に入っていました。
右のアルバムも、しっかりとしたハードカバーで、体重計で測ってみたら、3キロ弱ありそうでした~~~。
参加者は、お年を召した方が多かったので、これを持ち帰るのはかなりの重労働になったのでは...)

夜中近くのニュースで、「参加者は12万人弱」と報じていました。
問題はあったようですが、大きな事故などは無かったようなので、とりあえずは良かったです。

泣いた人(いろんな意味で)、
感動した人(涙ぐんでいた人、実際に見かけました)、
怒った人(スタッフに詰め寄っていた、パっと見紳士のオジサマ)
様々な人間模様もあり、
これは、漢字で書くところの「法要」ではなく、「HOUYOU」という一大イベントなのだと思いました。

亡くなって22年も経つのに、まだこれだけのファンが集まるということで
石原裕次郎という人は、本当に「大スター」だったのだとあらためて実感しました。
(今は、「スター」という言葉自体、死語かもしれませんけれど...)

長い1日でした。

09070504
それにしても、やっぱり「国立競技場にお寺」は、なんとも.....
(献花後、フィールド内より、でんか撮影)

コメント
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