ひでんかの”雅でない”日々

庶民の"ひでんか"の日々はちっとも雅じゃないけれど、いろんな人達と楽しい毎日を過ごしています

母の携帯

2010-08-21 22:52:55 | ひでんかの「日々の徒然」

携帯電話の普及により、町中から公衆電話が姿を消しつつあることから、それぞれの両親も携帯電話を持つようになりました。
当然ながら「楽々ホン」なのですが、実は、これがちっとも”楽”では無い様子。

電話をかける際、さすがに「ダイヤルを廻さずにボタンを押す」ということは、日常生活の中の「当然の動作」として今は身に付いているようです。
ところが、ここから「別の動作で電話をかける」ということが出来ない母は、
「簡単ボタン」も「電話帳」も使えずに、
「手帳を見ながら携帯電話の”番号”ボタンを押して」電話をかけます。
「このボタンが小さくて押しにくいのよね」
と口に出すとおり、当然押し間違えて「間違い電話」をかけることも多々あるようです。
先日も、私の携帯にかけたときに上記方法でかけたようで、
「電話したのに」
と言われましたが、当然着信履歴はありません。
暫くすると、見知らぬ電話番号から電話がかかってきました。
2度続けて掛かってきたので、2度目に
「出てみたら」
と言って、電話に出ると
「もしもし。何の御用ですか?私は電話なんかかけてませんよ。」
と、ブチっと。
「何だって?」
と聞くと
「電話貰ったみたいですけど、何か御用ですか?だって。だから
私は電話なんかかけてませんよ。って言って切っちゃった。失礼ね!」
と憤慨しています。
「ちょっと見せて」
と母の携帯の発信履歴を見ると、その番号にかけた記録が残っていました。
「こっちから掛けたから、相手の人が折り返しに電話くれたんじゃない」
そう言うと
「あら、やだ、じゃあ、その人の携帯に私の番号が残っちゃった訳?」
と、またまた憤慨。
(でも、間違い電話を掛けたのはこちらなのですから、そんなに怒られても...)

その時は、再度(何度目?)「楽々ボタン」(そんな名前でしたっけ?)の使い方を教えました。
(あまり期待はせずに)
そして、今日会ったのですが、「やはり」というか「案の定」というか、あいかわらず「楽々ボタン」は”単なる飾り”でした。

「この1を押して掛けるボタンを押すと私にかかります」
と、またまた(また×20くらい?)教えてきたのですけれど、今度こそ?!?

 .....(やっぱり無理でしょうね)

こういう高齢者(他にも居らっしゃると思います。え?、ココまでなのは我が家だけ?)でも使える「楽々ホン」の開発して頂けないでしょうか...。

コメント
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