元ラーメン屋店主のツイート集

ラーメン屋を10年経営し、今は閉店し、介護士をしています。

お笑い芸人 泣ける話NO.1決定戦!出川哲朗の話を活字再現

2008年09月20日 | テレビ番組
仕事や風呂などで「お笑い芸人 泣ける話NO.1決定戦!」
の半分も見れませんでしたが、いい番組でした。

僕が見たのは、30人中、増田英彦、はるな愛、中川礼二、千原ジュニア、
小島よしお、出川哲朗、田村裕、品川祐、ワッキー、山田ルイ53世、
木村祐一しか見ていませんが、いずれも感動する話ばかりでした。

特に出川哲朗の話は「ヤバイよ、ヤバイよ・・」

僕は、TVのドキュメントや、映画で感動する事はあっても、泣くまでは
なかなか成りません。ましてや、話だけで泣くなんてありえません。
でも、出川哲朗の話は、涙腺が固い僕を号泣させました。

昨夜、床につきながら、出川哲朗の話を思いだし、また泣けました。

僕は、悲しい話、救いようのない話、絶望的な話、重い話では、さほど
感動しませんが、愛のある話、人間の良さを現した話、夢がある話など
には弱いです。出川哲朗の話には、そういった要素がふんだんで、爽快感
溢れる友情と絆を色濃く現した下積み話に、涙が止め処なく溢れてきまし
た。

出川哲朗の話は、あの声の強弱、口調、表情あって、深い感動を誘ったの
で活字にしても、冷めてしまいます。でも、見ていない人、もしくは見た人は、
もう一度感動をかみ締める為に、覚え書きをします。

ビデオとかに撮っていないので、表現や言葉がだいぶ違うとは思いますが、
こんな感じの話と受け取って頂けたら幸いです。

では、解説抜きで、出川哲朗口調で書いてみます。


「お互いにテレビに出る前から親友だった芸人がいます。まっちゃん。
松村邦弘です。まだ、お互い下積みで、小さな劇場とかに出ながら極貧
生活を送りながら、毎日まっちゃんと大きな夢を語り合っていました。
「いつかお笑いで天下とろうな」とか「俺らで日本のお笑いを変えような」
とか言っては励ましあっていました。当時から、まっちゃんのモノマネ
は定評があり、ギョーカイ人も注目していました。

突如、まっちゃんに「笑っていいとも」の「テレフォン・ショッキング」
からオファーがあり、まっちゃんも俺も大喜びしました。

俺が「まっちゃん。人生最大のチャンスだぜ。いいともでウケたら
芸人としての道が開けるぜ。やったなー。いつも通りやったら大丈夫。」
と言い励ましました。

いよいよ、まっちゃんが「いいとも」出演。俺は、家でドキドキしなが
らテレビを見ていました。

まっちゃんは、絶好調で、掛布さん、たけしさん、石橋さんとかの
モノマネでドッカン、ドッカンとウケて、俺は「いいよ、まっちゃん」
「観客の空気掴んだよ」と声援を送り続けながらテレビにかじりついて
いたら、次にまっちゃんが「では、続きまして、出川哲朗さんのモノマネ
します」って言ったんだよ。タモさんも、観客もポカーンよ。
そりゃ、そうよ。誰も、出川哲朗なんて知らないんだから。俺はテレビ
に出ていないんだから。当然、知らない奴のモノマネなんかしても全く
ウケなかった。

何やってんだよ。こんな大切なチャンスを・・。怒りがこみ上げてきたね。

その日の晩、まっちゃんを呼び出し
「何やってんだよ。俺が喜ぶとでも思ったんか?あんだけ、ウケて、
いい流れつくっといて、俺のモノマネで台無しだよ。何であんな事
やったんだよ。俺のせいで、自分の夢にハンデ負わすなよ」

まっちゃんは「いや、違うんだ。てっちゃんの為じゃないんだ。
俺は自信があるモノマネをしているだけなんだ。俺は、てっちゃんの
モノマネを完璧に出来るんだ。後は、てっちゃんの人気が上がれば
絶対にウケるモノマネなんだ。俺は、てっちゃんのモノマネをやり
続けるよ。いつか絶対にウケるモノマネだから。」

俺も、必死に頑張って、テレビのガヤとか出始め、ようやくゴールデン
にゲストで呼ばれるようになった。

まっちゃんは、ライブでも、テレビでも相変わらず、全くウケない
俺のモノマネをやり続けてくれた。

俺も、少しづつ仕事が増えだしてきた時、まっちゃんから電話があった。
電話越しに、まっちゃんは泣きながら
「やりましたよ。今日、昼の収録で、てっちゃんのモノマネしたら
会場中大爆笑とりました。言った通りでしょウケるモノマネですから」


」って話です。



ん~、書きながら、結構、僕の脚色入ってしまった気がします。
どうも、出川哲朗の話した、リアルな松村邦弘、出川哲朗の素朴な
キャラでは無くなってしましました。実際の話とは多少違いますが
ニュアンスは、こういった話でした。