喜入麓は肝属家の御仮屋跡と肝属家の家臣の屋敷の面影が残る。
喜入小学校前の馬場
大河ドラマで篤姫に想いを寄せた肝属尚五郎は、喜入領主・肝属兼善の三男として生まれた
22歳のときに吉利領主・小松清猷の養子として家督を継ぎ、小松帯刀と改名する
喜入麓入口に建つ武家門。石垣は3段と低い
喜入小学校。肝属家の御仮屋跡
喜入小学校前の案内板
喜入小学校前の武家門。石垣が低い。左右に武家門が並んでいたと思われる
馬場を左折する。左は石塀
門をくぐりながら子供達は塾に通っているのでしょう
再び馬場に戻る。馬場の山側は石垣が少し高いが、反対側の石垣は低い。なぜだろう
馬場の左右に武家門が並ぶ
下の門は新しく修繕したものと思われる。こういう修繕の仕方もあるのですね
馬場を進む。見事な石垣が続く
5段積みの石垣の上に生垣、そして武家門。薩摩藩の麓を代表する景観
8棟めの武家門。知覧麓に次ぐ規模かも知れない
喜入小学校方面を眺める。右に石柱の門が見える
手前は石垣。その上に竹垣、犬槙の生垣が配されている。庭の木は手入れが良くない様だが木自体は大きい
(訪問記)
喜入麓は喜入小学校の御仮屋跡の前の馬場に沿って左右に肝属家家臣の武家門が並ぶ。
しかし既に屋敷が取り壊され駐車場になっている場所も幾つかある。
かつては知覧麓のような趣があったかも知れない。このあと、旧麓(もとふもと)を訪れる。
(続く)