鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2009 松山麓の風景

2009-07-04 | 麓-曽於・志布志

恒吉麓を後にし、この日最後の訪問地、松山麓を訪れました

 

松山新橋。見事な武家門が建っています。庭木の手入れも見事です

 

 

松山新橋。馬場の両側に石垣と生垣がよく残っています

 

 

生垣の緑に武家門が隠れています

 

箒の址が実にすがすがしいです

 

 

 

  

松山町郷土史によると、『松尾城の周囲に郷士が住み、麓を形成していた。中でも野久尾に郷士が多く住み、馬場にも住んでいた。秦野は城山とは距離があるがここにも郷士が数多く居住していた。その数はむしろ新橋よりも多かったと言われる。新橋と秦野は島津藩直轄の郷士であるが、この外に尾野見、黒石方面に新納家の家来、大野原方面に伊勢家の家来が居住していた。松山郷の地頭仮屋は現在の農協にあった。』(S44.10発行)

参考:松山麓(2008.9訪問


2009 恒吉麓

2009-07-04 | 麓-曽於・志布志

鹿屋市に出張したついでに大隅町の恒吉麓まで足を延ばしてみました

田に水を張るころの5月中旬です

 

 

地頭仮屋が建てられた常吉城の跡

恒吉城(別名、日輪城)は、庄内の乱のときに伊集院忠真方の都城十二支城の一つとして島津方と戦った

島津方に降伏した後、島津氏所領として地頭が置かれた

 

地頭仮屋跡は意外に広い

 

近くに武家門が残っています

  

徳泉寺の門

 

地頭仮屋跡の向こうまで行ってみたが、石垣や生垣等のめぼしい遺構は残念ながら見あたらなかった

(参考:恒吉麓2009.2訪問