いちき串木野市の冠嶽の麓に日本一の徐福像がある。
徐福は秦の始皇帝の命を受けて不老不死の薬草を求めて東方、すなわち日本にやってきたと言われる。
日本各地に残る徐福伝説の一つがいちき串木野市に伝わっている。
左の道を進むと徐福像へ。右の道を進むと冠嶽園へ。12月1日。
まだ柿が残る季節。のどかな山間の道を登ってゆく。正面は冠嶽。
山道を車で進んだところに徐福像が建つ。高さ日本一。中国を向いているらしい。
徐福像のそばに鎮国寺の参道階段。鎮国寺は明治の廃仏毀釈により廃寺。場所を移して再興
徐福像を後にして冠嶽園へ。
冠嶽神社。晩秋の風景がまだ残っていた。
冠嶽一帯は山上仏教の中心地として島津家累代の太守、串木野氏その他豪族一般の尊崇の的となった。
近くの冠嶽園に中国風の建物が建てられている。春先や紅葉の時期は多くの人が訪れる。
鎮国寺の頂峯院跡。
頂峯院は用明天皇の頃、蘇我馬子が冠嶽に熊野権現を勧請し別当寺として興隆寺を建てたことに始まる。
院跡に小さな徐福像とともに中国風の建物が建てられている。
徐福伝説の残る地とはいえこの地に似あわない中国風の建物に違和感を覚えた。
冠岳小学校の遠景。大きなイチョウの木がたっている。