指宿は子供時代を過ごした思い出のある町です。
指宿駅前
4年のとき同級生と二人で菜の花を2~3本束にして観光客相手に駅構内で売ろうとしたことがある。
近くの生命保険会社に親が務める同級生の提案だった。今思えばよく注意されなかったものだ。
後から同じ小学校に勤務していた自分の親からえらい叱られた。親のしつけが大変厳しくなったのはその頃。
当時は駅前がとてもにぎわっていた。近くに指宿デパートもあった。
鹿児島交通のバスセンターだけは今と同じようにみすぼらしく、立派な建物にしてくれないのかなあと思っていた。
丹波小学校の当時の生徒数は1300名を越えて多かった。現在は700名くらいという。
青い屋根の体育館は九州一といわれた木造の講堂が漏電で焼け落ち3年生のときに新しく建てられたもの。
新築校舎は手前にあったRC製校舎を取り壊し別の場所に現在建築中。地元の木をふんだんに使っているそうだ。
湯の浜。砂むし会館の向かいにある玉屋ユースホステル。
同級生の息子がいて卓球台があった。クラスのみんなで卓球をしによく遊びにいった。
迫北公民館。夏休みのラジオ体操の場所。運動会の地区別対抗リレーに4年代表で出場し優勝した。
優勝旗を公民館にもちかえり祝勝会をやってもらった。大好きなカレーで祝ってもらった。
指宿幼稚園の先の商店街。当時のにぎわいに比べるとずいぶん寂しくなった。
自転車屋、パン屋、花屋、時計店、洋服店・・・当時は一通りのお店がそろっていた。
スーパーがあったので買い物客でにぎわっていた印象がある。
下の洋服店で母親に新しい帽子を買ってもらった思い出がある。
新しい帽子をかぶって夏休み親子四人で福岡にいる父親の元へ鹿児島本線に乗って遊びにいった。
父親は夏休みの間、九州大学へ教員研修にでかけていた。