都城市の野々美谷は都城島津家4万石の外城の一つです。
都城島津家は私領地内に6つの外城(安永、山口、志和池、野々美谷、梶山、梅北)を設けました。
野々美谷の中心
麓の名前が残るバス停
近くに野々美谷城跡がある。1599年の庄内合戦(庄内の乱)の際に島津氏宗家側と戦った
(訪問記)野々美谷には麓らしい風景は余り残っていない
都城市の野々美谷は都城島津家4万石の外城の一つです。
都城島津家は私領地内に6つの外城(安永、山口、志和池、野々美谷、梶山、梅北)を設けました。
野々美谷の中心
麓の名前が残るバス停
近くに野々美谷城跡がある。1599年の庄内合戦(庄内の乱)の際に島津氏宗家側と戦った
(訪問記)野々美谷には麓らしい風景は余り残っていない
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%84%E5%86%85%E3%81%AE%E4%B9%B1
現代の感覚からすると むちゃくちゃですよね。
島津氏は団結が強かったといわれますが
義久公と義弘公個人は別として 取り巻きは水と油みたいで 義久公没後 その周辺の家臣は多くが暗殺されているんですよね。一番有名なのが平田増宗一族の虐殺です。現代の感覚では?です。
なるほど島津氏内部でも抗争・粛清の歴史があったんですね。
話は異なりますが、お隣りの韓国歴史ドラマ(百済・高句麗・新羅の頃)を今DVDで見ています。王座を巡る権力争いの出来事がスリリングに描かれ、日本の大化の改新やその後の権力闘争もこんな感じだったのかなと投影しながら見ています。