鹿児島県の北東部、曽於市末吉町の中心近くに地頭仮屋の門が残っている
風格を感じるが保存状態はあまりよくないようだ
地頭仮屋は現在の末吉中学校にあり、地頭仮屋門は何度か移転を繰り返してきたようだ
付近の町並み
鹿児島県の北東部、曽於市末吉町の中心近くに地頭仮屋の門が残っている
風格を感じるが保存状態はあまりよくないようだ
地頭仮屋は現在の末吉中学校にあり、地頭仮屋門は何度か移転を繰り返してきたようだ
付近の町並み
都城市庄内から国道269号を抜けて曽於市末吉に向かう途中、武家門が目に留まった
今町にある楠見家の武家門。今から約260年前の1746年に作られたと推定
国道拡張工事に伴い現在の地に移築され、大正14年に藁葺きから瓦葺に葺き替えられ現在に至る
案内板
腕木門。屋根を支える構造が脇から見える
こちらの土蔵も江戸時代の建物
願心寺の遠景。本堂と山門が国の登録文化財となっている
立派な山門。大正9年落成
本堂。明治39年完成。周囲に洋風のガラス窓を備える和洋折衷の非常にモダンな建物
願心寺の周囲を囲む立派な石垣。上部の意匠が見事です
こちらの通りは生垣が続く
東地区にある豊幡神社
都城島津家初代北郷資忠(ほんごうすけただ)を祭る
庄内町の各神社では薩摩藩領地での古くからの行事である六月灯が毎年夏に行われるそうだ
城山(安永城跡)の麓にある南州神社
奥の階段を上ると安永城跡
西南の役で政府軍と戦い戦死した庄内郷の五十六名が西郷隆盛とともに祀られている
近くの農協倉庫の裏には都城島津家歴代の墓がある
庄内町の商店街に残る鍛冶屋
都城市の庄内町には100年前の明治中期の趣を残す石垣造りの町並みが残っています
明治の頃に作られた美しい石垣と建物が続く
庄内地区は梅が見ごろを迎えていた
こちらの門柱も見事な造形です
門柱に歴史を感じる
安永城跡の麓にある庄内小学校
樹齢400年のイチイガシの木と明治初期に庄内町の発展に尽くした都城地頭、三島通庸の碑が建つ
都城は薩摩藩時代に都城島津氏(北郷氏)の城下町として栄え、私領内に6つの外城(安永・山田・志和池・野々美谷・梶山・梅北)を構えた。外城の一つ、安永が現在の庄内町にあたる。安永城は、関が原の合戦の頃、都城で起こった「庄内の乱」のとき、都城とともに島津本家側と戦った歴史がある。庄内町は安永城の麓に郷士集落が形成されたと考えられる。
地方には知られていないが歴史的な町並みが残されているところが多い。庄内町もそんな地区
趣のある通りを散策するのは気持ちいい
庄内町に残る石垣は明治創建の願心寺の石垣を作った大工が庄内町に住み着き、周囲の屋敷の石垣を手がけたと言われています
(続く)