2015年11月2日、四国へ旅行して「しまなみ海道」を走ったときに立ち寄った大山祇神社。愛媛県今治市大三島町宮浦にある伊予国一宮で、全国にある山祇神社(大山祇神社)の総本社である。祭神は大山積神。日本総鎮守の社号をもち、初代総理大臣の伊藤博文、旧帝国海軍連合艦隊司令長官の山本五十六をはじめとして、政治や軍事の第一人者たちの参拝があった。現在でも海上自衛隊・海上保安庁の幹部などの参拝があるとのこと。
以下は、今治地方観光協会のサイトより。
今からおよそ2600年くらい前、神武天皇御東征(南九州地方より奈良地方へ御東征したと伝えられています。)にさきがけて、御祭神、大山積大神の子孫小千命が先駆者として伊予二名国(四国)に渡り瀬戸内海の治安を司どっていたとき芸予海峡の要衡である御島(大三島)を神地と定め鎮祭したことにはじまると伝えられます。御祭神は、大山積大神で天照大神の兄神に当り、天孫瓊々杵尊御降臨に際し御子女神木花開耶姫命を皇妃として国を奉られたわが国建国の大神で、山幸神(山林・鉱山の神)、和多志神(航海の神)、大水上神(地水、稲作の神)、塩筒神(陸上・海上交通の知識神)、事勝国勝長狭神(戦勝の神)が祀られ御神徳のある由緒ある神社です。本殿、拝殿、宝篋印塔は重要文化財に指定され、隣接する宝物館には国宝を含む数多くの重要文化財を収蔵しています。
二の鳥居。
日本総鎮守の扁額。
由緒。
総門。2010年に再建されたばかり。総ヒノキ造りで高さは12m。
これをくぐれば本殿。
樹齢2600年ともいわれる大楠。
能因法師雨乞いの樟。伝承樹齢3000年。かつて日本最古の楠と言われた。Wikipediaによると、18世紀に枯死し腐朽がかなり進行しているが、1990年頃の調査でも胸高幹周10mの大木である。名称は1066年の大干ばつの際、能因法師がこの木に幣帛を掛け雨乞いを行ったことに由来する。
神社から海辺までは歩いてもすぐ。
神社の前のお店。新鮮な海鮮がメチャ安。神社参拝に行かれるときは必ずここでご飯を食べるべし。名前を書いて順番を待つ間に参拝を。
現地へ行けば山の要素は全く感じない。この神社はどう考えても海の神社である。大山祇神は海の神である。このあたりは中世の村上水軍の本拠地であり、古代より瀬戸内海を制する集団の拠点であった。
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今からおよそ2600年くらい前、神武天皇御東征(南九州地方より奈良地方へ御東征したと伝えられています。)にさきがけて、御祭神、大山積大神の子孫小千命が先駆者として伊予二名国(四国)に渡り瀬戸内海の治安を司どっていたとき芸予海峡の要衡である御島(大三島)を神地と定め鎮祭したことにはじまると伝えられます。御祭神は、大山積大神で天照大神の兄神に当り、天孫瓊々杵尊御降臨に際し御子女神木花開耶姫命を皇妃として国を奉られたわが国建国の大神で、山幸神(山林・鉱山の神)、和多志神(航海の神)、大水上神(地水、稲作の神)、塩筒神(陸上・海上交通の知識神)、事勝国勝長狭神(戦勝の神)が祀られ御神徳のある由緒ある神社です。本殿、拝殿、宝篋印塔は重要文化財に指定され、隣接する宝物館には国宝を含む数多くの重要文化財を収蔵しています。
二の鳥居。
日本総鎮守の扁額。
由緒。
総門。2010年に再建されたばかり。総ヒノキ造りで高さは12m。
これをくぐれば本殿。
樹齢2600年ともいわれる大楠。
能因法師雨乞いの樟。伝承樹齢3000年。かつて日本最古の楠と言われた。Wikipediaによると、18世紀に枯死し腐朽がかなり進行しているが、1990年頃の調査でも胸高幹周10mの大木である。名称は1066年の大干ばつの際、能因法師がこの木に幣帛を掛け雨乞いを行ったことに由来する。
神社から海辺までは歩いてもすぐ。
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現地へ行けば山の要素は全く感じない。この神社はどう考えても海の神社である。大山祇神は海の神である。このあたりは中世の村上水軍の本拠地であり、古代より瀬戸内海を制する集団の拠点であった。
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古代日本国成立の物語 ~邪馬台国vs狗奴国の真実~ | |
小嶋浩毅 | |
日比谷出版社 |