2021年4月26日、群馬車中泊旅の3日目です。この日のメインイベントは富岡製糸場ですが、その前に道の駅ららん藤岡から10分ほどのところにある七輿山古墳に寄ることにしました。
七輿山古墳は6世紀前半(古墳時代後期前半)につくられた全長150mの前方後円墳で、6世紀代の古墳としては東日本最大級のものです。墳丘に咲く満開の桜が青空に映えて見ごたえがありました。前日とはうって変わって穏やかな日差しの中、墳丘に登ったりワンコと周囲を散策したりして古墳を堪能です。
丘陵に続く坂道を登っていくと左手の公園にふたつの丸い小さな山が見え、あれは絶対に円墳だと思いました。案の定、毛野国白石丘陵公園内に保存された皇子塚古墳と平井地区1号古墳でした。いずれも七輿山古墳のあとの6世紀後半の築造で立派な副葬品が出ていることから、この古墳群は一帯を治めた首長一族の墓域だったと言えそうです。とくに東日本最大の七輿山古墳の存在から、古墳時代後期の関東一円で最も大きな勢力を持っていた一族の可能性があります。
この公園の東屋で休んでいたふたりの女性とお話をすることができ、すぐ近くに見えている白石稲荷山古墳も桜が見事なので是非行くようにと勧められたので、当初予定を変更して行ってみることにしました。
墳丘の斜面に立つ桜の大木から伸びる枝はまるで大きなしだれ桜のよう。流れ落ちる滝を裏から見るように、しだれた枝に咲く満開の桜を裏側から見るというのは初めの経験です。
墳丘に登るとお弁当を食べているご年配の女性がいました。自称「古墳女子」のこの女性は近くにお住まいで、桜を観にやって来たというので満開の桜をバックに写真を撮ってあげると、お返しにとこちらのも撮ってくれました。
七輿山と言い、ここ白石稲荷山と言い、古墳を見に来たのか桜を観に来たのかよくわからなくなりましたが、奥さんも桜に感動し、誰もいないところでリードを外してもらったワンコも喜んでいたので良かったです。
古墳と桜を堪能したあとは富岡製糸場に向かい13時頃に到着しました。世界遺産に登録されて以来、観光客が劇的に増えたことと思いますが、この日は平日ということもあって見学者はほんのわずかでした。
中学の歴史で習った明治維新のときの殖産興業のシンボル、官営富岡製糸場について学ぶことができました。見学時間は1時間の予定でしたが、なんだかんだと興味を持って見学したので、結局1時間半ほどかかって14時半ころに富岡製糸場を出ました。今回の旅の最終目的地は翌日に到着予定の四万温泉。ここからはさらに北に向かって走ることになりますが、その途中にテレビで観て一度行ってみたいと思っていた保渡田古墳群があることがわかったので寄ることにしました。
保渡田古墳群は榛名山の南東にある二子山古墳・八幡塚古墳・薬師塚古墳の三基の大型前方後円墳からなる古墳群で、5世紀後半から6世紀前半代にかけて、二子山古墳・八幡塚古墳・薬師塚古墳の順に造営されたと推定されています。このうち全長102メートルの八幡塚古墳は築造当時の状況に、全長108メートルの二子山古墳は発掘調査前の状況に復元されています。テレビで八幡塚古墳の空撮映像を見てこれまでに見たことのない美しさだったので、機会があれば是非来てみたいと思っていた古墳です。
八幡塚古墳や二子山古墳は周濠内に後円部を囲むように中島と呼ばれる4つの小さな墳丘をもつ珍しい前方後円墳です。また八幡塚古墳は前方部の手前の周堤上に形象埴輪が並べられた区画があり、これは大阪の高槻にある継体天皇の真陵とされる今城塚古墳の埴輪祭祀区に似ています。後円部頂上の下には石室が再現されていて石棺も置かれていました。すぐ近くの二子山古墳にも登ってみました。
周囲は上毛野はにわの里公園としてきれいに整備されていて、この二つの古墳も復元整備されているのですが、個人的には八幡塚古墳の築造当時に戻す復元よりも二子山古墳の復元の方が好きです。時間の経過とともに朽ちていくのが歴史であり、そこにロマンを感じるんです。この日は古墳王国群馬を堪能する一日となりました。
この日のお風呂は県道15号線沿いにある「湯の道利休」で、晩ご飯もここで済ませました。車中泊地は少し北に走って利根川に面したところにある「道の駅よしおか温泉」です。到着時にはすでに多くの車が停まっていましたが、いい場所が空いていたのはラッキーでした。
七輿山古墳は6世紀前半(古墳時代後期前半)につくられた全長150mの前方後円墳で、6世紀代の古墳としては東日本最大級のものです。墳丘に咲く満開の桜が青空に映えて見ごたえがありました。前日とはうって変わって穏やかな日差しの中、墳丘に登ったりワンコと周囲を散策したりして古墳を堪能です。
丘陵に続く坂道を登っていくと左手の公園にふたつの丸い小さな山が見え、あれは絶対に円墳だと思いました。案の定、毛野国白石丘陵公園内に保存された皇子塚古墳と平井地区1号古墳でした。いずれも七輿山古墳のあとの6世紀後半の築造で立派な副葬品が出ていることから、この古墳群は一帯を治めた首長一族の墓域だったと言えそうです。とくに東日本最大の七輿山古墳の存在から、古墳時代後期の関東一円で最も大きな勢力を持っていた一族の可能性があります。
この公園の東屋で休んでいたふたりの女性とお話をすることができ、すぐ近くに見えている白石稲荷山古墳も桜が見事なので是非行くようにと勧められたので、当初予定を変更して行ってみることにしました。
墳丘の斜面に立つ桜の大木から伸びる枝はまるで大きなしだれ桜のよう。流れ落ちる滝を裏から見るように、しだれた枝に咲く満開の桜を裏側から見るというのは初めの経験です。
墳丘に登るとお弁当を食べているご年配の女性がいました。自称「古墳女子」のこの女性は近くにお住まいで、桜を観にやって来たというので満開の桜をバックに写真を撮ってあげると、お返しにとこちらのも撮ってくれました。
七輿山と言い、ここ白石稲荷山と言い、古墳を見に来たのか桜を観に来たのかよくわからなくなりましたが、奥さんも桜に感動し、誰もいないところでリードを外してもらったワンコも喜んでいたので良かったです。
古墳と桜を堪能したあとは富岡製糸場に向かい13時頃に到着しました。世界遺産に登録されて以来、観光客が劇的に増えたことと思いますが、この日は平日ということもあって見学者はほんのわずかでした。
中学の歴史で習った明治維新のときの殖産興業のシンボル、官営富岡製糸場について学ぶことができました。見学時間は1時間の予定でしたが、なんだかんだと興味を持って見学したので、結局1時間半ほどかかって14時半ころに富岡製糸場を出ました。今回の旅の最終目的地は翌日に到着予定の四万温泉。ここからはさらに北に向かって走ることになりますが、その途中にテレビで観て一度行ってみたいと思っていた保渡田古墳群があることがわかったので寄ることにしました。
保渡田古墳群は榛名山の南東にある二子山古墳・八幡塚古墳・薬師塚古墳の三基の大型前方後円墳からなる古墳群で、5世紀後半から6世紀前半代にかけて、二子山古墳・八幡塚古墳・薬師塚古墳の順に造営されたと推定されています。このうち全長102メートルの八幡塚古墳は築造当時の状況に、全長108メートルの二子山古墳は発掘調査前の状況に復元されています。テレビで八幡塚古墳の空撮映像を見てこれまでに見たことのない美しさだったので、機会があれば是非来てみたいと思っていた古墳です。
八幡塚古墳や二子山古墳は周濠内に後円部を囲むように中島と呼ばれる4つの小さな墳丘をもつ珍しい前方後円墳です。また八幡塚古墳は前方部の手前の周堤上に形象埴輪が並べられた区画があり、これは大阪の高槻にある継体天皇の真陵とされる今城塚古墳の埴輪祭祀区に似ています。後円部頂上の下には石室が再現されていて石棺も置かれていました。すぐ近くの二子山古墳にも登ってみました。
周囲は上毛野はにわの里公園としてきれいに整備されていて、この二つの古墳も復元整備されているのですが、個人的には八幡塚古墳の築造当時に戻す復元よりも二子山古墳の復元の方が好きです。時間の経過とともに朽ちていくのが歴史であり、そこにロマンを感じるんです。この日は古墳王国群馬を堪能する一日となりました。
この日のお風呂は県道15号線沿いにある「湯の道利休」で、晩ご飯もここで済ませました。車中泊地は少し北に走って利根川に面したところにある「道の駅よしおか温泉」です。到着時にはすでに多くの車が停まっていましたが、いい場所が空いていたのはラッキーでした。