●溝口睦子氏の「アマテラスの誕生」②
前回は、5世紀になって「王の出自は天に由来する」という新しい王権思想を高句麗から取り入れた結果、太陽神であるタカミムスヒが生まれ、天孫降臨神話ができあがったことを見ました。ここからはいよいよ天照大神に迫っていきます。
記紀神話は二元構造になっていて、それが『日本書紀』の「神代上」と「神代下」に見て取れるとします。「神代上」はイザナキ・イザナミの国生みからオオクニヌシまで、「神代下」がタカミムスヒを主神とする天孫降臨神話を中心とする話で、ふたつの神話体系が下巻はじめの「国譲り神話」で結び付けられているというのです。そして、上巻は古くから伝承された日本土着の神話・伝説を集成して構成された神話体系で、下巻は5世紀になって取り入れた北方系支配者起源神話に範をとった建国神話であるとして、この二元構造が形成された過程を試論として次のように示します。
<第一段階>
ムスヒ系建国神話の成立…大王家と大伴・物部など王権中枢の伴造氏族が作成者
<第二段階>
イザナキ・イザナミ~アマテラス・スサノヲ~オオクニヌシ系の成立…地方豪族が作成者
<第三段階>
イザナキ・イザナミ系の中の主神である「オオクニヌシ」がムスヒ系建国神話の主神である「タカミムスヒ」に国の支配権を譲るという神話が挿入されることによって、ムスヒ系とイザナキ・イザナミ系、ふたつの神話が接着され、全体がひと続きの神話になる…大王家と伴造家が主たる作成者
<第四段階>
天孫降臨神話と神武東征は元来ひと続きになって建国神話を形成していたが、その中間に海幸・山幸神話あるいは日向神話と呼ばれる部分があとから加えられる
第一段階の神話ができた段階で、政治的に中央から遠い立場にあった豪族たちがこれに対抗して、自らが4世紀以前から伝承してきた神話・伝説の集成を行いました。この第二段階で創られた神話は、過去の神話研究によって、主として中国の江南から東南アジア、東インド・インドネシア・ニューギニアにかけての南方系であると言っても誤りではないとして、「海洋的世界観」と「多神教的世界」というふたつの特徴をあげます。
まず「海洋的世界観」について。たとえば、オオクニヌシとともに国作りをしたスクナヒコナは海上はるか彼方の理想郷「常世の国」の神で、そのスクナヒコナが常世の国に帰った後、オオクニヌシが嘆いていると海の彼方から海面を照らしながらやって来る神がいました。この神は大和の大神神社に祀られる大物主だという伝承をもち、大神神社に隣接する纒向には初期の大王墓とされる4世紀の巨大な前方後円墳があります。常世の国にかかわる伝承は初期王権と海洋的世界観との結びつきを強く示唆しているとします。
常世の国とは不老不死の国を意味すると見るのが定説で、その「不老不死」という表現が中国の神仙思想を彷彿とさせる、と著者は言います。この言い回しは、常世の国の不老不死は神仙思想とは別物であることを意味していると思われますが、4世紀にはすでに中国から神仙思想や道教の思想が入っていたことから、不老不死の概念はまさに神仙思想を表していると考えることができます。中国の神仙思想では、東方の海上にあると信じられた蓬莱山は仙人が住む不老不死の仙境であるとします。まさに常世の国のイメージに重なります。
次に「多神教的世界」について。イザナキ・イザナミ系の神話には多種多様な神々が活躍します。イザナキ・イザナミが大八嶋国を始め万物を創造し、アマテラスとスサノヲによる「ウケヒ神話」や「天岩屋神話」があり、そのスサノヲの英雄譚が展開され、最後にオオクニヌシをめぐる神話で締めくくられます。
著者は、「天岩屋神話」の意義・本質を、アマテラスが至上神、最高神として、また天上界と地上界を貫く宇宙的秩序の体現者として姿を現したことにある、と説く現在の有力な見方に対して、アマテラスはきわめて寛容で心やさしい神、多神教世界の自然神のひとりとしての太陽神、手に負えないスサノヲに対してなす術をしらない女神であり、神々のトップに立つ最高神・至上神や北方系の「天帝」とも言い換えられる太陽神では決してなく、天岩屋神話での主人公はむしろ67名もの後裔系譜をもつスサノヲである、と反論します。
そしてこの第二段階のイザナキ・イザナミからオオクニヌシへと続く神話、すなわち4世紀以前の日本土着の神話世界における神々の王はアマテラスではなく、圧倒的な量の伝承を持つ国作りの神、オオクニヌシであると説きます。記紀神話は、5世紀段階で新しく取り入れられた北方系の王権思想に基づく建国神話と、在来の土着の伝承を集成したイザナキ・イザナミ系神話という全く異質なふたつの神話が一本化されて、ひとつながりの神話となっています。そのために、後者の主神「オオクニヌシ」が前者の主神「タカミムスヒ」に国の支配権を譲る、すなわち「国譲り神話」という方法がとられたのです。記紀神話の二元構造の第三段階です。
(つづく)
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前回は、5世紀になって「王の出自は天に由来する」という新しい王権思想を高句麗から取り入れた結果、太陽神であるタカミムスヒが生まれ、天孫降臨神話ができあがったことを見ました。ここからはいよいよ天照大神に迫っていきます。
記紀神話は二元構造になっていて、それが『日本書紀』の「神代上」と「神代下」に見て取れるとします。「神代上」はイザナキ・イザナミの国生みからオオクニヌシまで、「神代下」がタカミムスヒを主神とする天孫降臨神話を中心とする話で、ふたつの神話体系が下巻はじめの「国譲り神話」で結び付けられているというのです。そして、上巻は古くから伝承された日本土着の神話・伝説を集成して構成された神話体系で、下巻は5世紀になって取り入れた北方系支配者起源神話に範をとった建国神話であるとして、この二元構造が形成された過程を試論として次のように示します。
<第一段階>
ムスヒ系建国神話の成立…大王家と大伴・物部など王権中枢の伴造氏族が作成者
<第二段階>
イザナキ・イザナミ~アマテラス・スサノヲ~オオクニヌシ系の成立…地方豪族が作成者
<第三段階>
イザナキ・イザナミ系の中の主神である「オオクニヌシ」がムスヒ系建国神話の主神である「タカミムスヒ」に国の支配権を譲るという神話が挿入されることによって、ムスヒ系とイザナキ・イザナミ系、ふたつの神話が接着され、全体がひと続きの神話になる…大王家と伴造家が主たる作成者
<第四段階>
天孫降臨神話と神武東征は元来ひと続きになって建国神話を形成していたが、その中間に海幸・山幸神話あるいは日向神話と呼ばれる部分があとから加えられる
第一段階の神話ができた段階で、政治的に中央から遠い立場にあった豪族たちがこれに対抗して、自らが4世紀以前から伝承してきた神話・伝説の集成を行いました。この第二段階で創られた神話は、過去の神話研究によって、主として中国の江南から東南アジア、東インド・インドネシア・ニューギニアにかけての南方系であると言っても誤りではないとして、「海洋的世界観」と「多神教的世界」というふたつの特徴をあげます。
まず「海洋的世界観」について。たとえば、オオクニヌシとともに国作りをしたスクナヒコナは海上はるか彼方の理想郷「常世の国」の神で、そのスクナヒコナが常世の国に帰った後、オオクニヌシが嘆いていると海の彼方から海面を照らしながらやって来る神がいました。この神は大和の大神神社に祀られる大物主だという伝承をもち、大神神社に隣接する纒向には初期の大王墓とされる4世紀の巨大な前方後円墳があります。常世の国にかかわる伝承は初期王権と海洋的世界観との結びつきを強く示唆しているとします。
常世の国とは不老不死の国を意味すると見るのが定説で、その「不老不死」という表現が中国の神仙思想を彷彿とさせる、と著者は言います。この言い回しは、常世の国の不老不死は神仙思想とは別物であることを意味していると思われますが、4世紀にはすでに中国から神仙思想や道教の思想が入っていたことから、不老不死の概念はまさに神仙思想を表していると考えることができます。中国の神仙思想では、東方の海上にあると信じられた蓬莱山は仙人が住む不老不死の仙境であるとします。まさに常世の国のイメージに重なります。
次に「多神教的世界」について。イザナキ・イザナミ系の神話には多種多様な神々が活躍します。イザナキ・イザナミが大八嶋国を始め万物を創造し、アマテラスとスサノヲによる「ウケヒ神話」や「天岩屋神話」があり、そのスサノヲの英雄譚が展開され、最後にオオクニヌシをめぐる神話で締めくくられます。
著者は、「天岩屋神話」の意義・本質を、アマテラスが至上神、最高神として、また天上界と地上界を貫く宇宙的秩序の体現者として姿を現したことにある、と説く現在の有力な見方に対して、アマテラスはきわめて寛容で心やさしい神、多神教世界の自然神のひとりとしての太陽神、手に負えないスサノヲに対してなす術をしらない女神であり、神々のトップに立つ最高神・至上神や北方系の「天帝」とも言い換えられる太陽神では決してなく、天岩屋神話での主人公はむしろ67名もの後裔系譜をもつスサノヲである、と反論します。
そしてこの第二段階のイザナキ・イザナミからオオクニヌシへと続く神話、すなわち4世紀以前の日本土着の神話世界における神々の王はアマテラスではなく、圧倒的な量の伝承を持つ国作りの神、オオクニヌシであると説きます。記紀神話は、5世紀段階で新しく取り入れられた北方系の王権思想に基づく建国神話と、在来の土着の伝承を集成したイザナキ・イザナミ系神話という全く異質なふたつの神話が一本化されて、ひとつながりの神話となっています。そのために、後者の主神「オオクニヌシ」が前者の主神「タカミムスヒ」に国の支配権を譲る、すなわち「国譲り神話」という方法がとられたのです。記紀神話の二元構造の第三段階です。
(つづく)
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