ソリタンは、出発の際に用材調達隊が持参する伐採用具の鋸を見てその貧弱さに驚いた。
クレタ島ではすべての建物が木材で建てられているといっていい。あの有名なクノッソスの宮殿も東地区の各地の宮殿、交易物の集散所もすべて木材で建てられている。また、東地区に存在する森林が枯渇するところまで樹木を伐採して、全盛を極めた造船業等、この時代、世界でも屈指の木工業の盛んなところであった。それらを背景に木材加工の道具が想像以上に進歩していたと考えられる。そのなかのひとつ、鋸は、トロイ民族の使用している鋸に比べて、クレタ人が使用している鋸は、大きさ、種類が切断する木材に合わせて使用する適性が考えられていた。しかし、この時代、鋸は青銅製であった。青銅は鉄に比べて柔らかい金属である。鋸が鉄製となるのは、こののち200年後である。
予談を許されたい、鋸の歴史について触れる。鋸がこの世に姿を見せるのは、新石器時代である。紀元前6000年のころのものと思われる鋸刃を付けた石器が発見されている。これでもってヤスリを使うように使用したのではないかと思われる。この頃の鋸は、押し型、引き型の種別はされていなかった。それから、3000年の時を経てエジプトで青銅製の鋸が使われるようになったらしい。この時代エジプトで使用された鋸は、鋸を使用するときの鋸刃がたわまないようにとの配慮から引き型の鋸であった。紀元前800年ころと思われる鋸は、メソポタミア地方で発見された鉄製で押し型の鋸であった。そして、鋸の刃が「あさり」構造となるのが紀元前350年のころである。(「あさり」とは、鋸の刃の構造の事である。鋸の刃先が交互に外側方向に曲がっている。この構造の事をいう。木材を鋸の刃の厚み以上の幅で切断していくために設けられている構造である。この構造は、材料を切断するときの抵抗を少なくし、切断中に出る木屑を外に出やすくして作業の効率を向上させている)
クレタ人が使用していた鋸は、伐採する樹木、木材の関係上トロイ人らの使用する鋸とは比較できないくらいに種類が多かった。そのうえ、鋸の刃の断面がうすい台形形状であり、鋸刃の「あさり」構造の前駆的形状をしていた。そして、引き型の鋸であった。クレタ島の存在する地球上の位置、そして、木工業の隆盛を極めたクレタ、そういった状況が鋸の構造に現れていたといって過言ではないと思われる。
ソリタンは、舟艇の上で、それとなく持参する道具の事についてマクロスと話し合った。
クレタ島ではすべての建物が木材で建てられているといっていい。あの有名なクノッソスの宮殿も東地区の各地の宮殿、交易物の集散所もすべて木材で建てられている。また、東地区に存在する森林が枯渇するところまで樹木を伐採して、全盛を極めた造船業等、この時代、世界でも屈指の木工業の盛んなところであった。それらを背景に木材加工の道具が想像以上に進歩していたと考えられる。そのなかのひとつ、鋸は、トロイ民族の使用している鋸に比べて、クレタ人が使用している鋸は、大きさ、種類が切断する木材に合わせて使用する適性が考えられていた。しかし、この時代、鋸は青銅製であった。青銅は鉄に比べて柔らかい金属である。鋸が鉄製となるのは、こののち200年後である。
予談を許されたい、鋸の歴史について触れる。鋸がこの世に姿を見せるのは、新石器時代である。紀元前6000年のころのものと思われる鋸刃を付けた石器が発見されている。これでもってヤスリを使うように使用したのではないかと思われる。この頃の鋸は、押し型、引き型の種別はされていなかった。それから、3000年の時を経てエジプトで青銅製の鋸が使われるようになったらしい。この時代エジプトで使用された鋸は、鋸を使用するときの鋸刃がたわまないようにとの配慮から引き型の鋸であった。紀元前800年ころと思われる鋸は、メソポタミア地方で発見された鉄製で押し型の鋸であった。そして、鋸の刃が「あさり」構造となるのが紀元前350年のころである。(「あさり」とは、鋸の刃の構造の事である。鋸の刃先が交互に外側方向に曲がっている。この構造の事をいう。木材を鋸の刃の厚み以上の幅で切断していくために設けられている構造である。この構造は、材料を切断するときの抵抗を少なくし、切断中に出る木屑を外に出やすくして作業の効率を向上させている)
クレタ人が使用していた鋸は、伐採する樹木、木材の関係上トロイ人らの使用する鋸とは比較できないくらいに種類が多かった。そのうえ、鋸の刃の断面がうすい台形形状であり、鋸刃の「あさり」構造の前駆的形状をしていた。そして、引き型の鋸であった。クレタ島の存在する地球上の位置、そして、木工業の隆盛を極めたクレタ、そういった状況が鋸の構造に現れていたといって過言ではないと思われる。
ソリタンは、舟艇の上で、それとなく持参する道具の事についてマクロスと話し合った。