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2月24日、ドナルドキーンさんが亡くなった。
東日本大震災の時に、福島原発事故が発生し、多くの外国人が日本を離れた。
日本にいたキーン教授は、テレビを見ていて、日本国籍を取って永住を決意されたとのこと。
大震災の時に、テレビを通じて、
「過酷な現実を前にしても、冷静で我慢強く節度のある人達の姿の尊さにうたれ、『こういう人たち一緒に
いたい』と感じた」、そして89歳で日本国籍を取った。
太平洋戦争では、海軍に勤務。アッツ島や沖縄など激戦地で、日本人捕虜の尋問や押収した日本兵士の日記の
翻訳に当っていた。
「その時、死を間近にし、一兵士の最後の日々の苦悩を綴った日記、遠い故郷を懐かしむ日記に耐えられない
程感動した」「私が知りあった最初の日本人は、日記を書いた日本人兵士だった」と、著書で述懐しています。
戦争体験で知った日本人と、震災での日本人がダブって、感動のマグマが噴き出たのかも、と、勝手に推察。
生前、キーンさんが、日本人に言った言葉、
「日本は、太平洋戦争後、戦争で一人も死者を出さなかった。戦争で外国人を殺すことは無かった。
この事実を、誇りに思うべきだ」
に深い感銘を受けました。
キーンさんが亡くなった2月24日、天皇陛下は、在位30年を振り返られ、
「国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちました」
とのお言葉と一緒に、キーンさんのメッセージを、私達日本人は、忘れてはいけない、と強く思います。
ウォーキング中に出会った花。春は確実に足を速めています。
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3月4日、「今日は何の日カレンダー」より
ミシンの日、サッシの日(吉田工業)、三線の日(沖縄県の琉球放送)、円の日(1869)
▲藤原頼通が宇治の平等院鳳凰堂を完成(1053)▲鶴岡八幡宮、炎上 (1191)▲前野良沢・杉田玄白らが腑分けを
見学(1771)▲ワシントンで、初の大統領就任式。第3代大統領、トマス・ジェファーソン(1801)▲江戸芝の大火
(丙寅の大火)(1806)▲著作権法公布(1899)▲宝塚歌劇が戦時下休演、さよなら公演にファン殺到(1944)
▲第1回アジア競技大会がインドで開催(1951)▲十勝沖地震。死者28人、行方不明者5人(1952)
▲高見山大五郎、外国人初の関取に。引退まで、幕内出場1430回と史上1位。 1980年、日本帰化(1967)
▲高野連、金属バットの使用許可(1974) ▲衆議院小選挙区比例代表並立制などの政治改革関連4法案成立(1994)
▲ソニー家庭用ゲーム機プレイステーション2発売(2000)▲ロシア大統領選でプーチン氏当選(2012)