平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い2415 戦争が「ドカ貧」に 

2021-12-01 09:17:45 | 日記

クリミヤ併合問題でロシアに、核開発問題でイラン・北朝鮮に、国民弾圧でミャンマー・アフガンなどに、

欧米日など、経済制裁して、ジワジワとそれぞれの政権に圧力を掛けています。

80年前の今日、12月1日は、日米開戦が御前会議で決まった日。1週間後の12月8日、真珠湾を奇襲。

日米開戦するかどうかで、数日間、宮中で会議が続いていた。

当時の日本は、満州侵略、国際連盟脱退などで、石油など重要物資が輸入できない、経済制裁が国際的な

包囲網で、ガンジガラメの状態だった。

軍部は、ジリジリ国力が衰えて行くよりは、戦争に打って出て打開すべきだ、という主戦論を唱えていた

開戦決定前の11月29日、元海軍大臣で首相を務めた米内光正は、東條英機首相に意見を求められ、

「ジリ貧を避けようとして、ドカ貧にならないよう、十分にご注意願いたい」と進言。

結局は、主戦論が大勢を占め、日米開戦が裁可され、空襲・原爆などで、日本の主要都市は廃墟、数百万

の命がなくなった。

先週から今週のNHK朝ドラの通り、日本は完膚なきまでの敗戦で、「ドカ貧」になってしまった

戦後、米ソ冷戦も、アフガン出兵で疲弊したソ連が崩壊、世界の警察を任じていた米も、朝鮮・ベトナム・

中東・アフガンなど戦争で疲弊。米の後退で中国が台頭。しかし、中国と言えども、武力での圧政は、疲弊

を招き、必ずや、衰退する。中国の長い歴史は、その繰り返しだった。

ジリ貧を解決するには、武力で、他からもぎ取ろうとし、戦争になって、負けても、勝っても、ドカ貧に

なることを歴史が教えている。

そんなことを繰り返さないようにと、折角できた国際連合。世界の殆どの国、地域が参加しているのだ。

話し合いで、ドカ貧にならないよう、平和的解決を目指さなければ、人類は「ドカ貧」の道を歩むことに。

世界の政治家は、米内元首相・海相の言葉「ドカ貧」を、肝に銘じるべきです

12月1日、「今日は何の日カレンダー」より 映画の日、鉄の記念日、世界エイズデー、歳末助け合い

▲医者ギヨタンがギロチンを提唱(1789)▲郵便ハガキの発売開始(1873)▲岩手県釜石で日本初の洋式高炉の

操業を開始(1875)▲シャーロック・ホームズ第1作刊行(1887)▲日本で初めて映画の一般公開(1896)

▲日本最初の労働組合、鉄工組合結成(1897)▲第一回全日本ホッケー選手権大会(1923)▲ロカルノ条約(1925)
▲初の年賀郵便切手発行。1枚1銭5厘(1935) ▲御前会議で日米開戦裁可(1941)▲カイロ宣言(1943)

▲初のお年玉付き年賀はがき発行。2円と2円+1円(寄付金付き)の2種類。賞品は特等高級ミシン、

1等純毛洋服地、2等革のグローブ(1949)▲国立近代美術館開館(1952)▲日本初の有料道路開通。松阪市~

宇治山田市(1953)▲アメリカで黒人人種差別撤廃のため黒人が市営バスボイコット(1955)▲1万円札に

聖徳太子登場(1958) ▲英仏海峡トンネル開通(1990)▲地球温暖化防止京都会議(1997)▲特定非営利活動

促進法(NPО法)施行(1998)▲皇太子夫妻に長女、敬宮(としのみや)愛子さまご誕生(2001) ▲湘南

新宿ライン運行開始(2001)▲地上デジタル全都道府県の一部で放送開始(2006)▲横浜DeNAベイスター

ズ誕生(2011)▲タイ王国プミポン国王死去後ワチラーロンコーン皇太子が国王ラーマ10世となり即位

(2016)▲ホンジュラスで非常事態宣言(2017)▲平成天皇の退位と新天皇の即位の日程決まる。2019.

4.30.退位、5.1.即位(2017)▲BSで4K8Kテレビ放送開始(2018)