18日、飯塚繁雄さん(83)が亡くなった。
1987年、行方不明になった「田口八重子さん」のお兄さん。
北朝鮮による拉致事件に巻き込まれた、「田口八重子さん」など多くの拉致被害者の救出のために、
拉致被害者家族会代表を14年間勤め、トランプ米元大統領に面会、早期解決を訴えたりした。
昨年、6月には、前の家族会代表の横田滋さんも、めぐみさんとの再会を果たせないまま、無念の
思いを抱いたまま、逝かれた。
1昨年(2019)の今頃、当時の安倍総理は、
トラさん頼みの拉致問題を、「条件付けずに、私がやる」とイキガッていましたが、
金さんは、鼻にも掛けてくれなかったので、手も足も出ず、進展させることは出来なかった。
トラ・金の威嚇口撃戦真只中の3年前、
「狂走馬トランプ号」のシッポに必死にしがみついて、「(北朝鮮に対して)圧力だ、圧力だ」と、
トランプの顔色を伺いながら「トランプの威を借る」キツネ役を演じていた安倍総理。
3年前の6月12日、シンガポールで、米朝のトップ会談が実現すると、トラさんは、
「晋三、お前がその気になって拉致問題を解決して、男を上げるチャンスだぞ」と言われ、
「条件付けずに、私がやる」とイキがっていたが、金さんは、鼻にも掛けてくれず、何も出来ず。
要するに、拉致問題解決にどう方向修正して臨むのか、イキガッテいるだけで、中身が無かった、
ということだ。
相手にしてもらえない状況を自分で作ってしまい、拉致被害者や国民に、「いい格好しい」
のポーズの、「その場しのぎした」だけだったのだ。
あてに出来ない、日本政府に失望しながら、ついに「田口八重子さん」に再会できず、無念まま
亡くなった飯塚繁雄さん、安らかにお眠りください、なんて、とても言えません。
今更、安倍元総理のお粗末外交を責めても、仕方ないが、亡くなった横田さん、飯塚さんのお気持ち
や、拉致で苦しんでいらっしゃるご本人やご家族の悲しみを思うと、怒り再々燃。
岸田総理は、安倍元総理のお粗末を繰り返さないで、拉致問題、真面目に解決して欲しい。
飯塚繁雄さんのご冥福をお祈り申し上げます。
12月20日、「今日は何の日カレンダー」より
▲鑑真、6度目の渡航で日本に到着。唐招提寺を開基。建築・彫刻・医薬などを指導(753)▲ルイ・
ナポレオンがフランス大統領に(1848)▲津軽海峡で最初の霧笛。本州東海岸尻屋崎灯台に設置(1879)
▲年賀状郵便の特別扱いが始る(1899)▲伊藤博文が統監となり韓国統監府を置く(1905)▲東京駅開業に
より東海道本線起点が新橋から変更(1914)▲大森貝塚を発見したモース没。87歳(1925)▲日本著作権
協議会が結成(1949)▲東京・青山に初のボウリング場(1952)▲プレスリー、兵役に(1957)▲南ベトナム
解放民族戦線結成(1960)▲沖縄ゴザ市で、市民5千人と米兵が衝突する(ゴザ事件)(1970)▲国連総会
で麻薬など不正取引防止条約採択(1988)▲アメリカがパナマに侵攻(1989)▲ポルトガルがマカオ
返還(1999)▲エリザベス2世が史上最高齢の英国王に(2007)▲日本海沖で、韓国海軍レーダー
照射問題発生(2018)