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2024 11/7の拝観報告2(阿弥陀寺 非公開文化財特別公開)

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写真は、表門。

Kiさんと共に元慶寺から徒歩で東に向かいます。

9:35頃にやって来たのが、阿弥陀寺です。
非公開文化財特別公開での公開です。

こちらも今回の非公開文化財特別公開での公開があるのを知った上で、8/15に訪問しています。
その際は本堂や書院、書院前庭は拝見しましたが、寺宝の展示はもちろんありませんでした。
今回はそちらがメイン。
それに今回はきれいな由緒書きを作っておられましたね。
狩野岑信の釈迦三尊像、桜観音や涅槃図を拝見し、9:45頃にこちらを出ました。

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2024 11/7の拝観報告1(元慶寺 非公開文化財特別公開)

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写真は、五大堂。

木曜日です。
この日は午後から予約の件があり、それ中心にあとは土日拝観から移行したものを付属させました。

8:00過ぎに自宅を出て、地下鉄東西線で御陵駅へ。
ここから徒歩で南下。
9:00前にやって来たのが、元慶寺です。
非公開文化財特別公開での公開です。

駅からの道がまっすぐじゃないし、住宅街だしw

現地でアマ会のKiさんに出会いました。
Kiさんは野村碧雲荘の見学会のため、この日は上洛しておられました。

以前写経会に来ていたので、内部はなんとなく覚えていました。
五大堂から入って、本堂へ。
それぞれの仏像と、花山天皇像と出家の図の公開。

大河ドラマでの話題性と通常拝観していない本堂内で持っていますが、
10年ほど前の特別公開の比べるとちょっとボリュームが減ったような気が。
それはこちらがたくさん見てきたから、そう感じるだけなんでしょうか。

9:10頃にはこちらを出ました。

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2024 10/5の拝観報告3(放生院 恵心院 特別公開)

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写真は、放生院の境内

11:00過ぎに第一旭の烏丸店を出て、阪急電車で京都河原町駅。
そして京阪電車で祇園四条駅から中書島駅経由で12:00頃に宇治駅へ。
大体市内中心部から宇治までは、電車で1時間弱かかりますよね。

京阪の宇治駅から徒歩で宇治川沿いを歩き、12:05頃にやって来たのが橋寺こと放生院です。
10/5と10/6は宇治の秋の特別公開で普段非公開の本堂内部が公開されました。
もう完全に仏像案件です。
2013年秋の非公開文化財特別公開で公開されましたが、こちらもあまり公開がないので久しぶりに。
大抵の神社仏閣の境内を見ればどこかは分かりますが、最近はさらに上。
内陣や仏像をみればどこ変わるぐらいまでレベルを上げようかなとw
12:25頃までじっくり拝見。

そして徒歩でさらに上流へ。
12:30にやって来たのが、恵心院
こちらも橋寺と全く同じ概要です。
なかなか公開がない本堂+2013年以来。
こちらも仏像をじっくり12:40頃まで拝見して、京阪の宇治駅に戻りました。

片方だけだったら宇治まで来る決意が出来たかは分かりませんが、近隣のレア2つだったので決めました。

再び宇治駅から三条駅、地下鉄で烏丸御池駅に戻りました。
14:00から中3の次男の塾の進学説明会でした。
妻から参加要請があり、やむなく参加。
これハズすと今後の活動に影響が出そうだたのでw

妻はいい加減な次男のことを心配しますが、僕はもう本人の問題だと割り切っています。
勉強するもしないも本人。
がんばって恩恵を受けるも、サボってハンデを背負うも本人。
知らんがなw
もう中3やで。
人生において伝えるべきことはもう伝えたし。

って、ウチの親がそういう感じだったので。
受験なんて親が心配しようがしまいが、神頼みしようがしまいが、
本人が点を取るべく勉強すれば、必ず受かります。
そのだけの目的意識を持って、本人がするかしないかだけ。

まあ今回は入試システムの説明と私立との併願の方法などの説明でした。
妻1人では十分理解できるか不安だったようです。
ちゃんとは聞いておきました、今後の活動に支障が出ないようにw

15:30に終わって僕は再び解放され、次へと向かいました。

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2024 9/1のランチ報告2 最終(洛東迎賓館)

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写真は、奥の広間。

11:00頃にKYOTO MAIKOYA 祇園清水店を出て、市バスで東大路通を北上し地下鉄東西線の東山駅へ。
東西線の山科駅で下車し、11:45頃にやってきたのが洛東迎賓館(旧大野木邸)です。
この日はこちらでアマ会の方4人(frippertronicusさん、Kさん、あきさらささん、Ysさん)と12:00からランチでした。

なぜこちらでのランチ会をしたかと申しますと、
洛東迎賓館はこの9月いっぱいで閉店されるのです。
未訪問の方や建物に未練がある方が参加されましたw
僕も過去3回来ており、今回で4回目。
しかし大広間の奥のお部屋は未訪問だったので、今回はいつもより高額な10,500円のコースにしました。
これなら奥のお部屋もあるかと。

結果、この日は我々と一族全員集合されたような20名オーバーの会の2組で、
その大所帯に奥のお部屋は充てられていました。
でもね、アマ会の方々は保険を掛けるので(笑)、1番に到着して先に拝見とお写真だけ撮らせて頂きました(上の写真)。

      
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写真は、秀岳おすすめコース 10,500円+ドリンクで12,740円。

結局を我々は手前の広~~い広間を5人で使いましたw
食事は写真意外にパン、ご飯、デザートもありました。
食事中のお話は専ら今後の拝観情報w
10月、11月に向けて情報交換を行いましたw
今年も現状で結構予定が入っていますが、また直前にいろいろな情報が入ってくるので忙しそうです。

ゆっくりお話もして、14:00頃にこちらを出ました。
帰りはJRで京都伊勢丹に立ち寄り、9月の朔日餅(おはぎ)をpick upして帰宅しました。

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2024 8/15の拝観報告1(山科 阿弥陀寺)

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写真は、阿弥陀寺の書院前庭。

世間はお盆の8/15。
しかし僕の仕事はお盆休みがありません。
この日も仕事でしたが、たまたまこの日の午後と翌日は行きたい予定があったので、有休を取りました。


12時に職場を出ましたが、この日の予定はもっと後。
その前に寄り道をします。
JRで山科駅へ。
12:25頃にやって来たのが、阿弥陀寺です。
今年の秋の非公開文化財特別公開で公開される寺院で、未訪問のところでした。

HPを見たら通常は対応が難しかったりするようですが、この日は施餓鬼供養でした。
行ってみたら、ちょうど14時からの法要の準備中で対応して下さいました。
いや、対応して頂いたというばかりか、大歓迎して下さいましたw

本堂のお参りだけでもと思っていたのですが書院も案内して下さり、
冷たいお茶に冷たいゼリーまで御馳走して下さいました。

もう恐縮ですw
ちゃんとお賽銭も入れさせて頂きました。
今回は日常の感じでお邪魔しましたが、秋の公開も楽しみです。

13:00頃にこちらを出て、次へと向かいました。

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2024 6/30の拝観報告4 最終(対鳳庵)

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写真は、 小間の茶室(前回撮影)。

辻利兵衛を出て、また平等院方面に戻ります。
宇治川沿いの道まで出て、12:30にやって来たのが宇治の観光協会。
こちらで対鳳庵での呈茶券(1,000円)を購入しました。

久しぶりの対鳳庵での呈茶です。
薄茶だけの席なら、当日申し込みでも大丈夫です。
前回行った濃茶(小間)と薄茶(広間)のセット(3,000円)は、
・7~9月、12月~2月(閑散期)
・2名以上
・3日前までに事前予約
すれば戴けます。

12:40頃に席入り。
前の席は海外の方みたいでしたが、この席は僕と大阪からの女性の2人。
2人だけでしたので、2人ともお点前して下さいました。
お菓子は城陽の和菓子屋さんの青梅。
床の間の説明などはもちろん先方がして下さいました。
宇治市の運営なんで、いろいろな方にお茶席を楽しんで欲しいというコンセプトなんでしょう。

ゆっくりお薄を戴き、13:10頃に終了。
この日はこれで帰宅しました。
行きは地下鉄烏丸線+JRで来ました(乗り継ぎがいいと早い)が、
帰りは京阪+地下鉄東西線(時間はちょっとかかるが、定期があり東西線が無料)にしました。

帰宅したら14時過ぎだったので、「捕まえた」とばかりに
妻にイオンモールに車で連れて行くように言われましたw

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2024 6/30の拝観報告1(平等院 平等院住職による特別法話と「鳳凰堂内部」「養林庵書院」特別拝観 )

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写真は、庭園。

日曜日です。
この日は朝から雨でした。
普通雨ならちょっとテンションが下がるのですが、この日に限っては「ちょっとラッキー」と思いました。
「並ぶかも系」があったのでw

JRで宇治駅へ。
9:30にやって来たのが、平等院です。
この日はちょこっと関西歴史たびの「平等院住職による特別法話と鳳凰堂内部、養林庵書院 特別拝観」がありました。
参加者は16名、参加費は4,800円でした。

門前に集合して、そのまま浄土院の養林庵 書院へ。
9:45からまず法話。
養林庵の歴史や、書院の造りのお話など30分。
残りは内部やお庭の拝観。
庭園の写真はOKでした。

10:45にこちらを出て、鳳凰堂の堂内へ。
鳳凰堂の堂内は通常その場申し込みなんで、場合によっては1~2時間後を指定されることもあります。
そういう意味でも今回は養林庵書院から鳳凰堂内部に待ちなしで行けるのもよかったです。
久しぶりに鳳凰堂内に入りましたね。
修復後初かな。
阿弥陀如来像にもお参りして、ここで流れ解散でした。
このプラン、今後は7/21(日)にもあります

次へ行く予定があったので宝物館はスルーして、11:05頃に平等院を出ました。
 
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2024 6/8の拝観報告1(安祥寺)

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写真は、客殿と前庭 五智遍明庭。

土曜日です。
この日は行きそびれていた件を拾っていく日程です。
9:30頃に地下鉄東西線に乗り、山科駅で下車。
10:00頃にやって来たのが、安祥寺
春の特別公開期間です。

今回の目的は書院の前庭 五智遍明庭が完成したからです。
到着したらアマ会のいざ 上洛さんと遭遇しました。
枯山水庭園で右手に大きな紅枝垂れ桜があります。
今回は敢えて書院メインの写真にしています。
お庭メインの写真はね・・・空けておきますw

後は観音堂など諸堂を拝観。
ちょうどこの翌日まで奈良博で五智如来像が展示あれていましたね。

10:45頃まで拝見し、次のランチへと向かいました。
ランチはもういいでしょうか。
山科なんでねw

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2024 5/19のランチ報告3(白雲庵)

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写真は、玄関入って左手の個室。

萬福寺を出て、11:30にやって来たのが普茶料理の白雲庵です。
2014年に1度来て以来来ていなかったので、ひさしぶりに予約しました。

お部屋はロビーの左手にある個室。
前回と一緒でした。

このお部屋も床脇の地袋が1/4楕円など、数寄屋テイストがいいですね。
食事は以前は2コースでしたが、今は税込みで6050円の1コースだけでした。

      


お食事は他にもありますが、主に大皿はこんな感じ。
ご飯は新茶のまぜご飯。
季節によってマイナーチェンジしているようです。
しかしこの普茶料理。
以前は物足りないと思ったものですが、今回メッチャ美味しかったです。
半兵衛麩のむしやしないと一緒で、僕の食の嗜好が寄ってきているんでしょうね。
MSさんご家族ともお話も尽きず、それも楽しかったです。

会計後はお庭を拝見。
しょうざんにあるのと同じような酒樽のお堂があり、こちらは内部が拝見出来るのもよかったです。

13:00頃にこちらを出て、MSさんご家族と別れて次へと向かいました。

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2024 5/19の拝観報告2(萬福寺 第67回全国煎茶道大会 後半)

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写真は、開扉された売茶堂。

9:00頃に法堂に行くと、ちょうど1席目これからですと。
そしたらMSさんが「もう入っちゃいましょう」ってw
こちらは法堂にテーブルを出して立礼形式。
それと法堂は1番奥になることもあり辿り着きにくいのでしょうか、お客も10名ほどでゆったりした。

三癸亭賣茶流という流派さん。
茶碗5つの色が違い、青、赤、黄、銀、紫なんです。
これがかわいいしオシャレw
持ってこられるお盆が円形なので、お茶碗が横1列並びじゃないんですよ。
「そうか、通常の横1列に並んだ順番で区別しにくいからお茶碗の色が違うのか」とも思いました。
実は実用性も兼ねているのかもですね。

こちらはちょうど9:25頃に終了。

そしてすぐに有声軒に戻ります。
9:30からの2席目に入ります。
日本礼道小笠原流さん。
こちらは本席なので、座敷+縁にも2重の列で入るので30名ぐらいいたでしょうか。
こちらで驚いたのが、お菓子もお茶も左→右なんですね。
11:00から大雄宝殿での献茶式も控えているので、タイヘンそうでした。
10:00頃に2席目が終わり出たところで、売茶堂が開扉されていたのでご案内しました。
MSさんも煎茶専門のお茶会は初めてだったそうで、違いを楽しんでおられるようでした。
まあ売茶堂もハズセないですよねw

そしてゆっくり松隠堂へ。
こちらは10:30からだったので、十分時間がありました。
松隠堂が初めてのMSさんもじっくり建物を拝見されていました。

そして10:30から3席目。
こちらも超大寄せ。
メッチャ広い広間にぎっしりだったので40名弱はいたかも。
そしてMSさんが行きましょうというから、御正客にw
まあ煎茶の席ではそんなにすることもないんですが。
織田流は1煎だけなんですね。

11:00過ぎに終了。
工芸展をサラッとみて、おしのぎを戴きお持ち帰り。
そして予約していたランチへ向かいました。

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2024 5/19の拝観報告1(萬福寺 第67回全国煎茶道大会 前半)

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写真は、法堂。

日曜日です。
お天気下り坂のこの日も、1日忙しかったです。
この日と前日は黄檗の萬福寺で第67回全国煎茶道大会がありました。
お茶友のMSさんは煎茶のお茶席にほとんど行かれたことがないとのことでしたので、この会のことをお勧めしていました。
そしたら「ご一緒しませんか」とお誘いがありました。
当初この日は予定がなくヒマそうだったのと、お誘いもあったので参加しました。
先方は以前もご一緒した奥様と、お初の息子さんも来られて計4名でした。

お茶券は3席で7,500円。
当日券もありますが、当日券には”おしのぎ”は付いていません。

僕は三門前に8:25着で1番。
すぐにMSさんご家族も来られ、8:45からの受付開始1番乗りで入りました。

MSさんご家族は初めてだったので、やはりここは有声軒はハズセないだろうと判断し最初に参りました。
しかし9時からの1席目はエライ方用のようで、9:30からの2席目の席札を戴きました。
まだ8:50なんでもちろん次の席札ゲットへ参ります。

次はMSさんも興味ある織田流かつ重文の松隠堂へ。
こちらは敢えて10:30~の3席目をゲット。

もう後1席は僕の希望でゆったりの法堂にしました。
一応法堂の様子を見ときましょうと向かった見たところから明日へ。

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通圓

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写真は、外観。

通圓(つうえん)は平安末期に創業した宇治橋の橋守をしつつ、旅人にお茶を提供するお店でした。
今もお茶の販売や、甘味や抹茶ソフトなどのイートインスペースを併設したお店になっています。
また狂言の演目「通円」としても名が知られています。

アクセス
京阪宇治線の終点、宇治駅で下車します。
改札を出て真っ直ぐに進んでロータリーに出ます。
右手に進み府道7号線に出て、信号を直進します。
信号を渡った正面の宇治橋東詰に通圓があります。

平安末期、源頼政の家臣古川右内が隠居し、「太敬庵通圓政久」と名乗り、宇治橋東詰に庵を結びました。
初代通圓は後に源頼政が起こした平家討伐の宇治川の合戦に出陣し、討ち死にしています。
その後も庵は「通圓」として宇治橋の橋守をしつつ、旅人に茶を差し上げてまきました。

今の建物は1672年に建てられたもので、江戸時代の町屋遺構を残しています。
正面の庇は深いわりに柱が少なく、間口を広くしています。
これは南禅寺別荘群の同じように庇のはね木を太い梁で押さえることで、往来の人々が出入りしやすいようにしています。
お店の左手はお茶や茶団子などのお土産物の店舗。
正面の店の間には400~500年前の茶壷がならび、
一休和尚から頂いた「初代通円」の木像、
宇治川の水を組むための釣瓶、
創業当時にお店の土間で使われていたらしい茶釜、
伏見城(指月城)の瓦などが置かれています。

またお店の右手はイートインスペースになっており、抹茶の甘味、抹茶ソフトや茶そばなども頂けます。

狂言 通円
旅の僧が宇治平等院に参詣します。
無人の茶屋に茶湯が手向けてあるのでいわれを聞くと、昔通円という茶屋坊主が、大勢の客に茶を点てて、ついに点て死にした。
今日がその命日に当たると。
すると通円の亡霊が現われ、自分の最期のありさまを語ります。
「都からの修行者が三百人もおしよせてきた時、通円は一人残さず茶を飲まそうと奮闘したが、ついに頼みの茶碗、柄杓も打ち割れてしまった。もはやこれまでと平等院の縁の下に団扇を敷き、辞世の和歌を詠んで死んだのだ」。
そう語り終えた通円の亡霊は、僧に跡の供養を頼んで消えてしまいます。

本来は通圓が宇治川合戦で刀折れ矢尽きて、扇を下に引き切腹したのを
「茶化」しているという意味があるそうです。


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2024 3/24の拝観報告1(醍醐寺 醍醐の桜を貸切で愉しむひととき 世界遺産 醍醐寺の観桜会)

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写真は、雨月恩賜館の内部。

さて春場所も千秋楽の日曜日。
もう14時前には帰宅する決めていたので、11:00から車の半年ごとの定期メンテを予約していました。

その前に当初は予定も入れていなかったのですが、毎年開催されているダイナースクラブの醍醐寺での観桜イベントを1か月弱前にチェックしたら、チケットがまだ残っているじゃないですか。
可哀そう!?なのと、京都御所から移築した雨月恩賜館に行ったことがなかったので、行ってみることにしました。
参加者は60名、参加費は18,000円でした。

朝6:45からのイベントだったので、5:30起き。
6:00過ぎの地下鉄東西線に乗って、醍醐駅に6:32着。
そこから徒歩だったので、ほぼ6:45頃に到着しました。
仁王門の前で受付をして、金堂右手で護摩法要。
これが7:20頃まで。

徒歩で三宝院に移動して、7:30から三宝院内部の早朝拝観。
三宝院前の太閤しだれ桜もまだつぼみでしたし、通常なら可能な三宝院での写真撮影も今回は禁止でした。
先に出てきて憲深林苑に行きましたが、こちらは結構咲いていました。

8:05に霊宝館に移動。
醍醐深雪桜もつぼみ。
宝物鑑賞をして、8:30から雨月恩賜館での朝がゆでした。

          
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写真は、泉仙の朝粥。

雨月恩賜館はコロナ前は普通にランチでも使っていたのですが、コロナで休止に。
その後も予約制になったり、やってない日もあるみたいで、うやむやになったまま行けていませんでした。
今回こちらが会場ということで、初めて入りました。
朝がゆは最近お目にかかることが多い泉仙さんの。
ちゃんとたくあんは残しておき、最後はお椀にお茶を入れてたくあんできれいにして頂きました。

8:55頃に終了しいったん帰宅。
お土産を置いて、10:30頃に車のメンテに再度出かけました。

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山科本願寺遺構めぐり

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写真は、史跡山科本願寺跡公園。

戦国時代の初期、山科には広大な本願寺の拠点があり、山科本願寺と呼ばれていました。
その遺構をまいまい京都の「山科本願寺 巨大土塁にびっくり仰天!“城”と呼ばれた巨大寺院跡をめぐる」に沿ってめぐります。

まずは山科本願寺の簡単な歴史です。
鎌倉時代に親鸞聖人が起こした浄土真宗は地方で広まっているところもあったが、近畿では既存勢力(延暦寺など)もあったためでしょう今一つでした。
しかし室町時代、蓮如が民衆目線の正しい親鸞の教えを説くと、あっという間に広まりました。
今度はそれが仇となり、崇泰院は破壊されるし坂本に逃げても迫害されるしで、越前の吉崎で布教を始めます。
そしたらここでも爆発的に拡がったのはいいけど、今度は信者をコントロールできなくなり武装、武力化して、為政者に逆らうようになった。
蓮如はそのような事態に心痛めて越前を後にします。
その結果一向一揆は加賀の守護を追い出して、自衛自治を始めることになります。
一方の蓮如は京に入るとまた迫害されるので、山科に布教の地を求め1484年に山科本願寺を造ったのです。

順路
地下鉄東野駅の出入口2から出て右へ。
最初の信号を渡り、そのまま直進。
道なりに右に曲がりながら進むと、左手に見えるのが本願寺山科別院
西本願寺系列の山科本願寺遺構です。
本堂正面の表門から出ます。
表門から約50mで車道に出るので、ここを右折しすぐにクランクして直進します。
正面に森が見えますが、その手前右手奥に蓮如上人銅像跡があります。
今は台座だけになっています。
昭和9年に建立したのですが、太平洋戦争の金属供出で回収されたので10年足らずしか存在しませんでした。

元の道に戻った正面の森が蓮如上人御廟所
蓮如上人が亡くなった後、翌日に火葬して埋葬した(時間を空けると人が集まり過ぎるから)場所です。

蓮如上人御廟所を出て右に進み、御廟所の敷地に沿って右折。
さらに進むと山科中央公園に着きます。
ここにある小山が山科本願寺土塁跡。
山科本願寺は他宗派などから攻撃される恐れがあったため、周囲を3重ぐらいで土塁で囲んでいました。
その一部が今でも残っています。
これが造られたのが1510年~1520年ぐらいと想定されるので、後の「総構えの原型」ではないかとも云われているそうです。

公園の南側の敷地に沿ってさらにまっすぐに進むと西宗寺に着きます。
西宗寺は蓮如上人臨終の地ではないかと云われてるうちの1つです(もう1つはちょっと東にある光照寺)。
南東方向に戻りながら、奥田家住宅前と邸宅内に残る土塁を外から拝見し、
史跡山科本願寺跡公園へ。

この辺りが山科本願寺の西端。
すぐ隣には集落があり、その集落に沿って山科本願寺を造ったようです。
そして何もない東側にどんどん拡張していったそうです。
ここは東向きに御影堂、阿弥陀堂があった背後になるので、プライぺーとスペースだったそう。
井戸や石風呂の遺構が残っています。

ここから南に見えている国道1号線に出て、左手に進むと東野駅に戻ってきます。

さて山科本願寺ですが、1499年に蓮如が亡くなります。
1532年に法華一揆、細川晴元と六角定頼の軍勢に攻められて焼失するのです。


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山田家庭園

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写真は、座敷。

山田家庭園は醍醐寺の南側にある寺侍の旧宅です。
近年は整備され、レンタルスペースとして居間、座敷と茶室を貸し出ししておられます。

アクセス
醍醐寺の門前に向かって右手に約270m進みます。
途中で醍醐小学校前を通過して、1つ目の信号を左折します。
左折して約80m先の右手に山田家庭園の表門があります。

各部屋レンタルスペースとして借りれますが、全部屋の見学を1時間でお願いすると1500円でした。

表門を入ると正面に通用口、左手奥に式台があります。
式台を入るとまずは4畳の玄関間。
その正面上の壁が鳥居型に繰り抜かれており、神棚があったような感じでした。
玄関間の正面奥に3畳間を経て、8畳の居間があります。
この辺りの天井や柱の木は黒いのですが、腐食予防なのかもしれません。
左手に廊下を挟みますが、居間より廊下は1段低いです。
さらに廊下を挟んで左手は座敷になりますが、こちらは先の居間よりさらに1段高いです。
この辺りは入る人の身分の違いを表しているのかもしれません。

座敷の手前側にも駐車場続きのお庭があり、廊下から左手奥の座敷へ。
座敷は次の間が4畳間、本間が8畳間です。
8畳間には床の間や付書院があります。
8畳の本間の外には縁を挟んでお庭があります。
お庭には右手に基部を持つU字状に島があり、その周りを小川が流れます。
また左手奥にも三尊石があり、そこからも川が流れ合流します。
なので川は「と」の字型になります。
島はさつきの植栽で、川の形状は神官宅の禊をする川のような雰囲気です。

8畳間の庭に沿って縁の右手奥に茶室があります。
3畳台目中板の逆勝手ですが、奥に1畳は踏込み床です。
非常に床の間の幅が広い茶室です。


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