まいはら 学びあいステーシヨン城郭講座
◆対談者
長谷川先生の学びあいステーシヨン
城郭講座が順調に継続して驚きます!
事業所様が長谷川先生の講師として
の引出の多さと多様な知識を確認し
て巧みにプロデースされた結果です。
◆長谷川
米原市内、米原町内の住民様の
各位の御理解と御協力に対して
謹んで深く感謝を申し上げます。
また講座担当者の方は4回替わり
ましたがその度に良き助言を賜
り重ねて御礼を申し上げます。
◆参加者
彦根から参加しました教室には
彦根犬上の方も参加しておられ
私は拍手を持って歓迎された事
でリラックスした講座を受けて
います。知らなかった彦根学や
学び趣味趣味世界が充実してる!
のびのびしたリラックス講座です。
◆助言者
ハッキリ言って長谷川先生の歴史
城郭講座もう聞く機会は無いかと
私あきらめていたのですが私個人
予想しなかった長谷川先生の別の
引出の多さには非常に驚いてます。
南は和邇大津から東は電車で愛知
から北は滋賀県旧伊香郡からも
米原へ続々と参集され驚いてます。
◆質問者
貴方が体験された長谷川先生の
多様な引出の多さとは一体何?
◆助言者
講座参加者が天草四郎の島原
の乱について突然脱線した質
問される様な事もあるのです
すると長谷川先生も質問者の
方と脱線して天草キリシタン
一揆が籠城した有馬氏の築城
したこれも脱線した解説され
るのです。脱線が二段に脱線
してる長谷川先生はおもむろに
天草原城は織豊ビイスタ工法
と解説されたき教室内が湧き
ますよ。こんな事知らなんだ
脱線がピシャリとスゴイ内容に
日本の城郭の根本である縄張
の根源たるビイスタ理論解説
に気付きます。これ織豊系城郭
を応用した有馬晴信築城形式。
▼原城 城郭ビイスタ論
100m先から針の穴に糸を通すと思
うほど奇跡に近い様なミラクルな
解説や分析なので教室湧きに湧く!
◆参加者
かと思うと、北近江に名前も図面
も見た事も聞いた事もない某城址
の解説を始められ教室が驚きの渦
に巻き込まれるハプニング解説も
あり毎回毎回何が飛び出すか予測
が出来ないミラクルな城郭講座。
◆長谷川
城郭ビイスタ論を紹介いたしますと
大概の歴史通の男性陣は拒否される
これは普段受けている自分の学んで
来た講演とか自分が読んできた図書
に影響された固定概念が形成されて
ビイスタ理論が理解しにくい訳です。
◆質問者
城郭ビイスタ論を一番よく理解され
るタイプの人とは?
◆長谷川
それが意外にも歴史城郭通の人では
ない少女時代に糸取り遊びの名人だ
った女性の方なのですよ。少女期か
ら糸の筋を読む事、糸の行く先を常
に考察する習慣がついた人には即座
に城郭ビイスタを数秒で理解される。
日本語で築城の事を「城取り」と言
いますと男性陣に解説すると納得!
◆一般様
これ新しき令和の城郭民俗学です!
◆質問者
もし愛知から来られた人に織田信秀や
織田信勝の居城末盛城のビイスタ質問
をされたら長谷川先生は一体どうされ
ますか?そんなの常識的に言って普通
の先生なら解答できない難問題でNG!
◆長谷川
柔軟な応用力や発想の転換を発揮する
事ですね!かつての尾張の中心地たる
清須城はビイスタが重なる重複型した
城郭だと考察解釈をしてみる事です▼
◆長谷川
それでは尾張末盛城のビイスタを
分析してみましよう。古図を参考
にAビイスタ起点を中心にして順
に一番二番三番四番五番六番七番
と放射測量の痕跡が読み取ります。
◆長谷川
次にB測量起点から
一番二番三番四番五番六番七番
と別ビイスタ線の痕跡読み取れ
ます。すると織田弾正忠家の城
の縄張基本パターンや構図が読
み取れます。これが織田の縄張。
◆長谷川
織田信長が美濃攻め時に築城した
伊木山城の縄張も重複ビイスタ。
◆長谷川
羽柴筑前守となった秀吉は織田信長
の先兵となり太閤ケ平城を築城しま
すがこの陣城も典型的な重複型した
ビイスタ工法と言えます。
◆長谷川
織田信秀から信長の弟である信勝
の家老に抜擢された柴田勝家自身
も天正11年賤ケ岳合戦で近江越前
国境に築城をした玄蕃尾城も重複
型ビイスタで縄張されています。
◆長谷川
柴田勝家を賤ケ岳で破った秀吉は
天正の大坂城を天正11年後半には
築城を開始します。これも重複型
ビイスタの典型的重複ビイスタ!
◆長谷川
秀吉は関白となり小田原城を
包囲しますが秀吉の本陣自体
の石垣山一夜城さえ典型的な
重複ビイスタ工法縄張とです。
◆一◆一般者
ちょつとコレ物凄い歴史理論
ですよ。中京地区の新聞社が
取材に来るレベルの話題です
城郭論文としても秀逸卓越し
たものでブログの記事の域を
越えてしまっている訳ですよ。
◆長谷川
心配無用な事ですよ。私の
ブログは誰も読んでません。
◆城址見学参加者
尾張出身の木下藤吉郎の虎御前
山城の長谷川先生解説の見学会
に参加して秀吉や信長つまりは
『織豊』武将が三角形デルタ型
の縄張を好むと現地見学し感じ
ました。秀吉の城が予想以上に
大きい事にも現地見学で驚いた。
◆長谷川
御参加を賜り深く感謝を申し上げます。
さて築城主体、織田信長、総普請奉行
丹羽長秀、縄張奉行羽柴秀吉、天主閣
作事、岡部又右エ門などの尾張人脈が
参加して築城されたのが近江安土城と
致しますと。安土城が扇型ビイスタで
な縄張されている事は重要な事です!
これが尾張の城の進化系と言える。
◆長谷川
そして尾張名古屋出身の太閤秀吉と
なった彼は文禄慶長の役で晩年には
名護屋城を築城します。これも扇型
のビイスタ工法の典型と言えます。
◆一般者
秀吉は自ら出身地名古野と
九州の拠点名護屋の
音節や音韻を好んだ懐かし
く故郷を偲んだと思います。
子供の頃トヨタクラウンに
憧れた人は車の流行が変化
してもクラウンに乗りたい
と言う原点回帰願望がある
秀吉青年期に見た尾張の城
名護屋城は私は四角い徳川
名古屋城ではなく扇型ビイ
スタに冴えわたる織田三郎
信長の那古野こそが藤吉郎
の憧れ城形、三角形デルタ
形状の那古野城こそが秀吉
の強い憧れステータス目標
ではなかったのでしょうか?
私は那古野城がデルタ三角や
ビイスタ形状をしてたと考え
ます。
◆反論者
冗談を言わないで下さい。私は
城郭ビイスタを全否定致します。
城郭ビイスタ動画を見てならない!
◆長谷川
徳川名古屋城以前の那古城の図は
全く解っていません。しかし一部
に那古城の形状がビイスタ形状を
した古図が伝わっており今後研究
課題となる事かと思います。
◆長谷川
絵本太閤記などで秀吉の墨俣
一夜城築城が記されています
が墨俣城は依然謎のママです。
江戸期の墨俣宿図を見ますと
三角州の様な砦のような形状
が観察できますがこれが墨俣
砦なのかは全く私に解りません。
◆質問者
有馬晴信が織豊城郭の縄張
の仕方を学んだと仮定する
れば天草原城にも重複型の
ビイスタ工法が存在します?
◆長谷川
織豊重複型ビイスタが読み取
れます。
◆長谷川
これは尾張末盛城の縄張の
パターン重複型ビイスタと
同じ縄張バターンと言う事
◆学識経験者
これスゴイ卓越城郭理論ですよ。
私は城郭ビイスタ論動画の重要
性を改めて思い知らされました。