今日、大船でお客様との技術打ち合わせがあり、昨日から上京しておりました。
ちょっと寄りたい所があったので午後イチぐらいに東京に。行きたかった場所は堀之内の妙法寺。やくよけ祖師・妙法寺として、そこそこにメジャーなお寺さんです。
そこに、祖父のお墓があるのです。僕が子供の頃は、毎年、お盆に上京し祖父のお墓参りをするのが我が家の行事でした。休日の少ない父でしたが、お盆だけは1週間以上の休みをとって上京し、東京観光とお墓参り。自分が2歳の頃から高校卒業まで続いたのかな。青い空と広い墓地が夏のイメージの一つとして、自分の中に残っている。その後も、数年に1回ぐらいは、上京する際は別の用事と組み合わせてお墓参りはしていたのですが、自分で家庭を持ってからは途絶えていました。たぶん、50回忌の法事に出て以降、来てなのでは?
ずっと、心にひっかかっていたんですよね。墓と言っても、祖父は太平洋戦争で亡くなったので、どこかの南の島の土しか入っていないんですが。
さて、妙法寺。15年ぶりに訪れると、ちょっと変わった感はありましたが、裏の墓地へ行くと不思議と迷わず祖父のお墓へ行けました。体が覚えているという感じ。肌寒い日ではありましたが、空は真っ青。お墓の前に立つと、その瞬間に、小学生だったか、中学生だったかの自分に意識が飛んでしまって、何とも表現できない安らぎの中にいました。ドロドロした悩み事も無く、明日のことなんて考えもしていない少年の頃の自分。
お墓参りなんて、生きている側の自己満足でしかないのですが、いや~、スッキリしたし、周りは今現在の風景、俺自身はおっさんになってしまって、たぶん、祖父が無くなった年齢よりもいってしまっているのだけど、心だけが30年前の状態というか、何というか、
”じいさん、ありがとう!”っていう気分。
まあ、でも、手を合わせるということは、そういうことなんだろうな。
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