プールサイド小景・静物: 庄野潤三 著 (新潮文庫)
昭和25年(1950)~35年(1960)の間に書かれた代表的な七つの中短編を収めたものである。
特に評価できないものについて書くのは気が進まないのだが、この作者の長編「夕べの雲」(1965~1,965)について書いた流れでこれを読んだので、一応記しておく。
勤め人の家庭を中心に描かれていて、特に「蟹」、「静物」では後の「夕べの雲」に通じるエピソードのいくつかが見られる。
読んでいて参ったのはまず「舞踏」、「プールサイド小景」で描かれる家庭、というよりその主人公の行動と内面の貧乏くささとでもいったらいいだろうか。こういうこと書かれても、でどうなの?、妻以外の女性との話もあるのだが、たいしたこととは読み取れない。死を暗示するラストもあるが、描ききっていないことが効果的な場合があるにしても、ここではそうでない。
著者はいわゆる「第三の新人」の一人らしいが、たしかに江藤淳などが評価したように戦後派の何人かの有力作家たちの前のめりな作風とは違ったところが幾分ある。私もその前のめり感は嫌いである。
それでも、それならこの貧乏くさくもあれ、穏やかでもあれ、こういう感じで作品として読んで何か残るものがあるかというと、そうはならない。
それから、文章の細かいところに違和感があるところが少なからずあった。前後がわかりにくかったところのほか、表記として「居る」、「行く」など生き物の動きでない場合でも漢字を使うのであるが、あの時代そうなのか。
これら、編集・校正のレベルが低い出版社ではないはずだが。
「プールサイド小景」は昭和29年(1954)に芥川賞を受賞している。変な言い方だし、ずいぶん前のことでいろいろ経緯はあるだろうが、これでは太宰治が気の毒である。少なくとも太宰の文章は格段に上等であった。
昭和25年(1950)~35年(1960)の間に書かれた代表的な七つの中短編を収めたものである。
特に評価できないものについて書くのは気が進まないのだが、この作者の長編「夕べの雲」(1965~1,965)について書いた流れでこれを読んだので、一応記しておく。
勤め人の家庭を中心に描かれていて、特に「蟹」、「静物」では後の「夕べの雲」に通じるエピソードのいくつかが見られる。
読んでいて参ったのはまず「舞踏」、「プールサイド小景」で描かれる家庭、というよりその主人公の行動と内面の貧乏くささとでもいったらいいだろうか。こういうこと書かれても、でどうなの?、妻以外の女性との話もあるのだが、たいしたこととは読み取れない。死を暗示するラストもあるが、描ききっていないことが効果的な場合があるにしても、ここではそうでない。
著者はいわゆる「第三の新人」の一人らしいが、たしかに江藤淳などが評価したように戦後派の何人かの有力作家たちの前のめりな作風とは違ったところが幾分ある。私もその前のめり感は嫌いである。
それでも、それならこの貧乏くさくもあれ、穏やかでもあれ、こういう感じで作品として読んで何か残るものがあるかというと、そうはならない。
それから、文章の細かいところに違和感があるところが少なからずあった。前後がわかりにくかったところのほか、表記として「居る」、「行く」など生き物の動きでない場合でも漢字を使うのであるが、あの時代そうなのか。
これら、編集・校正のレベルが低い出版社ではないはずだが。
「プールサイド小景」は昭和29年(1954)に芥川賞を受賞している。変な言い方だし、ずいぶん前のことでいろいろ経緯はあるだろうが、これでは太宰治が気の毒である。少なくとも太宰の文章は格段に上等であった。