メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」(メトロポリタン)

2014-02-19 10:35:00 | 音楽一般

ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」

指揮:ジェイムズ・レヴァイン、演出:ディーター・ドルン

デボラ・ヴォイト(イゾルデ)、ロバート・ディーン・スミス(トリスタン)、ミシェル・デ・ヤング、マッティ・サルミネン(マルケ王)、アイカ・ヴィルム・シュルタ(クルヴェナール)

2008年3月22日ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場 2011年11月WOWOW

 

今回の演出、演奏、映像でようやくこの著名な作品のドラマとしての性格をよく理解することができた。

「トリスタン」については、長いし、忍耐が必要だしで、しかもいろんなことが書かれているから、一定のイメージをもってしまう。

なんとなくフロイト、性愛、法悦、、、という感じで、オーケストラのコンサートでよく演奏されるのが最初と最後をくっつけた「前奏曲と愛の死」だから、なおさらそう感じてしまう。 

 

今回は細かい話、ここに至る経緯を落ち着いて観ることができたようだ。もっともそれはこっちの問題なのだが。

 

こうしてみると、イゾルデはずいぶん勝手でわがままな女で、そこからすべてが発しているようにも思える。それだからトリスタンが語るこれも長い物語をよく聴くと、この人とマルケ王もよく理解できる。

 

それはシンプルな舞台とかなり凝った照明による演出によるところが大きい。歌手たちもどちらかというと明解な歌い方。

 

そうなるとジェイムズ・レヴァインという劇場のプロは、なんとも素晴らしい指揮をする。あの前奏はこれまで聴いたことのないくらいゆっくりと始まるが、濃密で聴くものをしっかりつかんで離さない。そのあとも飽きない音楽、幕間などで見るとこのころは体調も良かったようだ。

 

トリスタンはこの演出、解釈にはフィットしていたといえるだろう。ヴォイトはこのところ他の上演で幕間のインタビュアーでおなじみだが、このイゾルデでどうしてもそのにこやかな人柄を感じてしまう。それを別とすれば、このドラマのなかのイゾルデは通常のオペラのファム・ファタルが媚薬を飲んだらという演技で、これでいいとも思う。

 

サルミネンは1945年生まれで1983年バイロイトの映像(指揮バレンボイム、演出ポネル)で見たことがあるから、ずいぶん長くマルケ王をやっていることになる。今回の演出にもぴたりであった。

ところでサルミネンは「ドン・カルロ」のフィリッポ2世 も得意としているが、これとマルケ王は彼らの花嫁と息子あるいは甥(トリスタン)という関係が似ている。「エルナーニ」のシルヴァもそうだが、バスのもうけ役というのはこのケースが多いようだ。

 

なおこの映像のクレジットには「アンソニー・ミンゲラを偲んで」とある。ミンゲラは「イングリッシュ・ペイシェント」などの映画監督で、まだこれからという2008年、この上演の直前に亡くなっている。メトロポリタンで演出した「蝶々夫人」は大成功だったようで、それでこうなったのかもしれない。「蝶々夫人」は機会があればいずれ観てみたい。

 

そしてこの映像はバーバラ・ウィリス・スウィートという人の演出によるもので、ほぼ全編がマルチスクリーンになっている。全景に近いものと一人か二人、歌っているひとのアップを組み合わせたもので、説明的にはなるもののこういう作品を理解するには便利ではある。通常の全景とアップの組み合わせは、考えてみれば映像演出に乗せられすぎているともいえるだろう。スウィートへのインタビューでは、観る人の選択も可能とのことだが、パブリック・ビューイングの仕掛けによってはそういうことができるのだろうか。

 

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