元旦の夜に放送されるウイーン・フィル・ニューイヤー・コンサートは、少なくとも後半飲みながら生で見るのがほぼ習慣になっているけれども、大晦日のジルヴェスター・コンサートは、必ずしも生放送でないこともあり、その後録画しても、かなり時間がたって見ることになる。
さてまずベルリン・フィル、今回はエフゲニー・キーシンが来てグリーグのピアノ協奏曲を弾いた。指揮は常任のサイモン・ラトル。
名曲だし、これをバリバリと、また瑞々しく弾いた演奏がかなりあっても、キーシンを聴くとこんなにスケールの大きい、骨太な曲だったかと思わせる。特に第1楽章のカデンツァ、あまりの見事さにラトルもぼうっとして聴きほれ、この楽章の終わりで拍手が出てしまった。
キーシンは恰幅もよくなり、それは音にも影響しているかもしれない。ちょうど23年前、1988年の同じジルヴェスターで17歳の彼はチャイコフスキーのピアノ協奏曲を弾いたのだった。指揮は死の前年だったカラヤン。以前このブログにも書いたけれど、まさに何世代か後に何かを引き継いでいくような象徴的な演奏、場面だった。ちょっと背中をそらし、精一杯大人の演奏をしようとしていたけなげなキーシン。なんと感動的な演奏だったことか。
そしてウイーン国立歌劇場は、ヨハン・シュトラウスのオペレッタ「こうもり」。
指揮:フランツ・ウェルザー・メスト、演出:オットー・シェンク
クルト・シュトライト(アイゼンシュタイン)、ミカエラ・カウネ(ロザリンデ)、ダニエラ・ファリー(アデーレ)、ゾリャーナ・クシュプラー(オルロフスキー公)、マルクス・アイヒェ(ファルケ)、ライナー・トロスト(歌手アルフレート)、アルフレト・シュラメク(刑務所長フランク)、ペーター・シモニシェク(看守フロッシュ)
好きな「こうもり」も見るのは久しぶり、カルロス・クライバーのバイエルン、アーノンクールのウイーン・フォルクス・オパーのビデオは見たけれども、ウイーン国立歌劇場は初めてかもしれない。
一人も知っている歌手はいない。けれども皆声はいいし、ダンスも達者、メトロポリタンほどではないがカメラワークもいいから十分に楽しめた。
アイゼンシュタイン役は何かアメリカの人に見えて、今やこういう分野もブロードウェイのミュージカルとそれほど変わりはないのかもしれない。あとはアデーレがなかなかよくて、この役が映えるとやはりいい。
これ、主要な役の数人がみな変身願望からまわりをだまして、楽しみに舞踏会にでかけるわけだが、それを観客だけが知っていると思っていると、終盤で実はこれがこうもり(ファルケ)がすべて書いた筋書でしたというどんでん返しで、こういうユーモアはなかなか他のオペラにないものになっている。
演出はオットー・シェンク、カルロス・クライバーのものもこの人だったし、こういう上等なコメディで彼の演出は傑出していて、随分長続きしていることに驚く。ロバート・ルパージュなんかがやったらどうだろうか。ちょっと仕掛けが過ぎるかもしれないが。
ウェルザー・メストの指揮はよどみなく楽しめる流れになっていたが、ここが記憶に残るというところも特になかった。たとえばパーティでの「雷鳴と電光」でのあのカルロス・クライバーの密度の高さ、そして「これ実はすべてファルケの筋書きだったんですよ、お客さんもだまされましたね」というところですーっと入ってくるあの有名なこうもりのテーマ、このときのおとぼけはカラヤンが英フィルハーモニアを振った旧盤(1955年モノーラル録音)以上のものを知らない。1950年代のフィルハーモニアは世界最高のオーケストラだったかもしれない)。