メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

エミリー・ブロンテ 「嵐が丘」

2020-07-14 14:22:38 | 本と雑誌
エミリー・ブロンテ 「嵐が丘」 鴻巣友季子 訳 新潮文庫
 
20年ほど前に一回読んだ(田中西二郎訳 新潮文庫)。若いころはこのブロンテ姉妹やジェーン・オースティンなど19世紀初めに出たいくつもの作品が世界文学全集の常連であったものの、女性が主人公の小説に対する思い込みもあってか、別の方向、例えばドストエフスキーなどの方にいってしまい、放っておく状態になっていた。中年を過ぎてあまりこだわらず読む楽しみをと、男性作家バルザック、モームなど含め、広く読むようになった。
 
とはいえ「嵐が丘」はかなり予想とちがったものだったと記憶している。といってもそうしっかり記憶しているわけではないが。
 
ともかく、見たかどうかは覚えていないが、映画などからのちょっとした情報で、この話はヒースクリフという乱暴で激情家の男と、キャサリンとの間の、どろどろした恋愛劇と想像していたが、その部分の叙述はそう多くはなく、主たる登場人物たちがすぐ死んでしまったり、次の世代の子供たちの和解へのドラマに移っていくというものだった。
 
今回、あえて話題の新訳で読んでみた。訳者はNHK「100分で名著」の「風と共に去りぬ」で知った人で、多分思い切った現代語訳で、読みやすいだろうと想像したものである。
 
それでも、始まってしばらくは、おそらく原作のせいだろうが、何か描写がわかりにくく、しばらく我慢が必要だった。そのあとは、登場人物、物語の構成に即した、訳者の工夫も見ることができた。
 
実は「嵐が丘」を今読んでみようと思ったのは、しばらく前にアップした「批評理論入門」からである。ここで著者はこの理論を使った作品分析の対象として「フランケンシュタイン」(1818、メアリー・シェリー(1797-1831))を選んだが、もう一つの候補として「嵐が丘」も検討したらしい。この作品はエミリー・ブロンテ(1818-1848)が1847年に発表した。
 
さてそれを頭に入れて読んでみると、「嵐が丘」はこの丘のとなり「鶫の辻」の間借りをしている青年ロックウッドが、二つの地のアーンショウ家とリントン家の両方に長年仕えたネリー・ディーンという女性使用人からきいた話が主体となっている。物語でリアルタイムに出てくるのはほぼこの二人で、他の登場人物とかれらの何年にもわたる物語は、すべてその語りであって、作者ブロンテが三人称で叙述しているところはないといってよい。
 
つまり話者の入れ子構造を使ったものである。この時代、作者が三人称で書く物語がどのくらいあったのかは知らないが、案外話者を設定した方が、作者があまり現代の「文学者」意識なく書けるとも思える。
 
手抜きとはいわないが、楽に書いて行けるところもあるだろうし、場面転換、時間の飛びといったものが、読み続けていくとそう不自然には聞こえないという利点はある。
 
さて、ヒースクリフは先代アーンショウがどこかから連れてきた素性不明の男だが、そのほかは、両家の間での結婚が二組あり、第2世代の三人はいとこ同士で結婚(再婚も含め)ということだから、登場人物は極めて少ない。
 
最初は義理の兄妹だったヒースクリフとキャサリンが結果としては各々リントン家の兄妹と一緒になるが、いろいろあった後、愛情からなのか、憎しみからなのか、激しくぶつかり続ける場面が一つの中心。そして、娘キャサリンとヒースクリフの息子とのなんとももどかしいつきあい、その息子の死後のキャサリンとヘアトンとの結びつき、これらは男女の愛のドラマとしてずいぶん弱い。
 
これは訳者もあとがきで書いているが、親の世代にしても、次の世代にしても、男女の性愛を感じさせるもの、その描写がほとんどない。いつの間にか結婚していたり、子供が生まれたりしていて、想像しにくところは多い。
 
それでも、この激情、強情、忍耐は、時代、国が違うとはいえ、有無を言わせずそこに存在している。男だから理解しがたいのかどうなのか、それでも何かこういうものはあるんだろうと思わせる表現は確かだ。


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