ナイルパーチの女子会
柚木麻子 著 文春文庫
ネット社会ならではの人と人のつながり、そこから生じる深刻な問題、苦悩を今ならではのスピード感と風俗描写で、普遍的なテーマに結びつく作品となっている。
三十歳の二人の女性、一人は結婚しているが今は無職で手間をかけないで楽して済ませるぐうたらな日常をブログにし、かなりのファンを持っている。もう一人は一流商社に勤めていて、自身の日常と相反する前者のブログに共感し、彼女とつながりをつくり会うことになる。会ってみれば住所は同じ世田谷区で近いことがわかる。
ところが、よく会うようになって理解と共感が深まるかのように見えるのだが、そう簡単にはいかず、むしろ違和感も出てくる。そして二人にはそれぞれ家族や同じ社内の人間との間に問題を抱えており、それらがネットがあるからこその二人のつながり、世間とのつながりからおかしくなってくる。特に商社員の女性の生活の変化、顛末は強烈で、本書の中でもなんと東電OL事件と比較されたりする。
これではどうにもならない悲劇的な結末にならざるを得ないか、と思ったが、それをハッピーエンドではないにしろ、人間はこうして生きていく、そうあるしかないのだ、というところに持っていったのは著者の力だろうか。
多くの人は、家族に、友人に、また新たに現れる人に、理解されたい、その人たちと共感したいと願う。ましてネットワークというこれまでにない強力な手段を手にすれば、気がつかないうちに願いは強烈になる。そこに亀裂が生じた時、どうなるか。そしてそれはネットワークという手段がなかった時代だって実はあった問題なのだ。
それに気づいて、今ぶつかる小さなことを一つ一つこなしていく、生きるということはそういうことだ、と短い言葉で言ってもなかなかしっくりこないが、少し納得できるところまで連れて行くのが、このような作品だろうか。
章・節が変わると二人それぞれの話が交代し、互いの攻守も一方的でなく入れ替わることが多いのも読ませ方としてはいい。
ただ、これから期待できる書き手にあえて言えば、二人で会話しているとき、あれどちらの発言だっけということがよくあった。表現そのものより、文章のリズムではないかと思われる。
さてナイルパーチとは商社の女性がその輸入を扱っている大きな魚で、メロのように日本に輸入してスズキなど白身魚の代替になることもある。アフリカのヴィクトリア湖に放たれてから他の魚を食い荒らし生態系を変えてしまった。生態系の破壊、代替ということから、なにやらこの物語で作者にも読者にも連想がひろがる。
この作者は知らなかったし、ましてこの題名、どうして読む気になったかといえば、文庫の広告で山本周五郎賞とあり、題名とは対照的な面があるのかと思ったのと、重松清の帯あたり。高校生直木賞という知らなかった賞があって、それも受賞しているらしい。これを選んだ高校生、なかなかだ。
柚木麻子 著 文春文庫
ネット社会ならではの人と人のつながり、そこから生じる深刻な問題、苦悩を今ならではのスピード感と風俗描写で、普遍的なテーマに結びつく作品となっている。
三十歳の二人の女性、一人は結婚しているが今は無職で手間をかけないで楽して済ませるぐうたらな日常をブログにし、かなりのファンを持っている。もう一人は一流商社に勤めていて、自身の日常と相反する前者のブログに共感し、彼女とつながりをつくり会うことになる。会ってみれば住所は同じ世田谷区で近いことがわかる。
ところが、よく会うようになって理解と共感が深まるかのように見えるのだが、そう簡単にはいかず、むしろ違和感も出てくる。そして二人にはそれぞれ家族や同じ社内の人間との間に問題を抱えており、それらがネットがあるからこその二人のつながり、世間とのつながりからおかしくなってくる。特に商社員の女性の生活の変化、顛末は強烈で、本書の中でもなんと東電OL事件と比較されたりする。
これではどうにもならない悲劇的な結末にならざるを得ないか、と思ったが、それをハッピーエンドではないにしろ、人間はこうして生きていく、そうあるしかないのだ、というところに持っていったのは著者の力だろうか。
多くの人は、家族に、友人に、また新たに現れる人に、理解されたい、その人たちと共感したいと願う。ましてネットワークというこれまでにない強力な手段を手にすれば、気がつかないうちに願いは強烈になる。そこに亀裂が生じた時、どうなるか。そしてそれはネットワークという手段がなかった時代だって実はあった問題なのだ。
それに気づいて、今ぶつかる小さなことを一つ一つこなしていく、生きるということはそういうことだ、と短い言葉で言ってもなかなかしっくりこないが、少し納得できるところまで連れて行くのが、このような作品だろうか。
章・節が変わると二人それぞれの話が交代し、互いの攻守も一方的でなく入れ替わることが多いのも読ませ方としてはいい。
ただ、これから期待できる書き手にあえて言えば、二人で会話しているとき、あれどちらの発言だっけということがよくあった。表現そのものより、文章のリズムではないかと思われる。
さてナイルパーチとは商社の女性がその輸入を扱っている大きな魚で、メロのように日本に輸入してスズキなど白身魚の代替になることもある。アフリカのヴィクトリア湖に放たれてから他の魚を食い荒らし生態系を変えてしまった。生態系の破壊、代替ということから、なにやらこの物語で作者にも読者にも連想がひろがる。
この作者は知らなかったし、ましてこの題名、どうして読む気になったかといえば、文庫の広告で山本周五郎賞とあり、題名とは対照的な面があるのかと思ったのと、重松清の帯あたり。高校生直木賞という知らなかった賞があって、それも受賞しているらしい。これを選んだ高校生、なかなかだ。