メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

西村賢太「苦役列車」

2024-09-14 16:02:31 | 本と雑誌
西村賢太: 苦役列車  新潮文庫
 
西村賢太(1967-2022)が2011年に「苦役列車」で芥川賞を受賞した時のニュース映像はよく覚えている。西村の風貌、経歴などかなり目立っていたからか、またそれらの報じ方からだっただろうか。
 
中学を出てから日雇いの労働を続け、いわゆる無頼な生活、それを私小説的に書いているということで、その後読もうという気は起きなかった。それでも2022年に亡くなったというニュースには驚いた。その一周忌あたりにこの人の墓が能登の地震で被害を被った七尾市にあり、しかもそれは西村が全集完成など傾倒した藤澤清造の隣りにある、ということが新聞に書かれていて、まずは「苦役列車」は読んでみようと考えた。
 
狭くて住みにくそうなアパートの日常、日雇いの職はおそらく貨物船の港近くの倉庫での積み下ろし、そこに通うバスの中、知り合った同年代の一人、その中で高望み世間への恨みなど、ぶつぶつ出てくるその流れが説得力ある表現で、細かいところは今時かなり汚いというか他人にむけて書くのはと思ってしまうだろうなとおうものなのだが、それでも読んでいけるのは、と思い気がついてみると、この作者、文章がうまいのである。
 
それが評価されたことの一つだろうし、受賞後続けてかなり読まれている要因のひとつでもあるのだろう。ただそれにしても結果として若年寄的なうまさになってないか。今時というかかなりさかのぼらないと使われない言葉や語り口がときどきあって、戦前の私小説作家を想定した擬古文的なものも出てくるが、これは作者がわざわざ意識したものかもしれない。
 
と思って最後の一文にきたら、なんと藤澤清造の作品をポケットにいれて、とあり、私小説作家をここで宣言したのかと驚いた。
 
そう気がつくと、最初に想像したよりはどろどろとしてない、もっと突っ込んで書いてくれてもと思ったのは、主人公を同じ主人公が三人称で書いていることに気がついたからである。このところ小説の人称などについてはいつも気にして読んでしまうのだが、私小説で一人称というか告白体はないんだろうか。
 
本冊にはもう一つ「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」という短編があり、これは文学賞とりたさにのたうち回る一時代前の私小説作家として私がイメージしていた世界が詳細に描かれている。


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