メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ベン・シャーン展

2012-01-18 18:14:46 | 美術
神奈川県立近代美術館 葉山 12月3日~1月29日
 
ベン・シャーン(1898-1969)の名前をきいたのは1980年前後で、どこかでいくつか見た記憶はあるが、これだけまとめてみるのは初めてである。福島県立美術館とフォッグ美術館(ボストン)の所蔵品が主体のようだ。
 
先日のNHK日曜美術館では、ビキニ環礁水爆実験の犠牲になった第五福竜丸をテーマにした作品が多く扱われていた。しかしそれは展示全体のごく一部である。
 
ベン・シャーンは社会に対する批判、いくつかのテーマに対する告発を絵に込めているけれども、画風も題材もかなり多様であり、その背景には彼が生きた時代のアメリカの豊かさがあるように感じられる。
 
リトアニア生まれのユダヤ人だそうで、そうなると安易な類推は危険だが先に書いたジェローム・ロビンスとかさなるところもある。ただ映画の世界とことなり、それほどひどい扱いをうけたわけではないようだ。
 
展示では写真家でもあった彼の多くの写真、そして絵のもとになった写真が並べられていて、複数の写真から出てきた絵を見ると、画家の思考過程を少し見るようで面白い。
また「ウィリス・アヴェニュー橋」のように、松葉杖と橋桁の一部の構造を一緒にしたものなど、見る人を動かす才能もあるようだ。
 
レコードジャケット、雑誌の表紙など、この時代のイラストの空気があり、この画家が大きな影響を与えたことまたその逆が想像できる。
また野田英夫(1908-1939)は日系移民であるからか、その画風はベン・シャーンに通じるところが感じられる。
 
葉山館は逗子駅がらバスで20分近くかかり、必ずしも便利でないということからこれまで敬遠してきて今回が初めてである。ただ鎌倉館の老朽化で力の入った展示は今後こちらが主体になるかもしれない。ここからの眺望、席数が少ないがいいレストランなどもあわせて楽しめそうで、今後は展示に注目していこうと思う。

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ブリュンヒルデの馬

2012-01-18 17:24:22 | 雑・一般
先に書いた「ワルキューレ」、第3幕冒頭で8人のワルキューレたちの馬はうまい仕掛けで、彼女たちは到着後にその板を滑り台のようにして下りてきた。
 
一方もう一人のワルキューレであるブリュンヒルデの馬は、この演出ではここで具体的に姿を見せていない。次作第2夜「ジークフリート」ではどうなるのか楽しみだ。
 
ところでブリュンヒルデの愛馬の名は「グラーネ」であるが、実は中央競馬にグラーネがいる。
先日ある重賞レースを見ていて気がついた。しかも武豊の騎乗だったから期待した、このレースではそれほどでもなかった。
 
この名前は意識してつけたのだろうと調べてみると、牡3歳つまり今年ダービーを目指すわけで、父はネオユニヴァース、その父はかのサンデーサイレンスであるが、母の名がなんとウォークリンデ、つまり前作「ラインの黄金」に出てくるラインの乙女たちの一人、そして母の父はSingspie(ジングシュピール)で外国産馬、ジングシュピールは歌芝居(魔笛もそう)だから、そういう流れでグラーネになったと想像する。
 
グラーネはこのように良血で、騎手もこれまでデ・ムーロ、武豊などだから期待されてるのだろう。もう少しするとかなり走るかもしれない。

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ワルキューレ (メトロポリタン)

2012-01-16 15:57:05 | 音楽一般
ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指輪」第1夜「ワルキューレ」
指揮:ジェームズ・レヴァイン、演出(プロダクション):ロベール・ルパージュ
デボラ・ヴォイト(ブリュンヒルデ)、ヨナス・カウフマン(ジークムント)、エヴァ=マリア・ウエストブルック(ジークリンデ)、ブリン・ターフェル(ウォータン)、ステファニー・ブライス(フリッカ)、ハンス=ペーター・ケーニヒ(フンディンク)
2011年5月14日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場、2012年1月WOWOWで放送
 
先の「ラインの黄金」(2010年)に続き、いよいよ「ワルキューレ」である。4部作のなかでは、ドラマとしても音楽としてももっとも充実しているし、また楽しめる作品であり、前作からもルパージュによる舞台、レヴァインの練達で大きな期待をしていた。それに違わなかった。
 
まずこのジークムントとジークリンデの出会いとメロドラマ、こんなに二枚目で立派な観客を圧倒するジークムントが今までいただろうか。これはメトにぴったりというより、やはりこれくらいでなくてはウォータンの無念が強調されない。
ブリン・ターフェルのウォータン、物語としてこのあたりが彼にはぴったりで、エネルギッシュな神々の長のイメージは納得できる。ただ最後の娘(ブリュンヒルデ)との別れでは、少しさびしさがほしいところ。
 
そしてデボラ・ヴォイトのブリュンヒルデ、美しく強い歌唱でぴったりであった。ただ彼女も、ウォータンの命令でジークムントを倒そうと来たところ彼のジークリンデに対する愛情から考えをかえてしまう場面、最初からジークムントに好感を持っている表情になってしまっている。観客席からはよくわからないかもしれないが、TVではちょっとまずい。最後のウォータンとの別れでも、父親に対する愛情が最初から表情で窺えた。いつもこういう表情なのだろうか。
 
ルパージュの舞台、今回も24枚の床板がコンピューター制御で効果的な照明とともにうまく使われている。第3幕の冒頭、8人のワルキューレたちが床板一枚一枚を馬に見立ててゆらして登場するところでは、観客がら拍手が出た。幕の最後で拍手のフライングはあっても、ワーグナーでこのタイミングというのは珍しいのではないか。
最後の最後、丘の上に横たわるブリュンヒルデの周りをローゲの火で囲むところは、この装置を駆使したいのはわかるが、ちょっとやりすぎでもう少しシンプルな方がよかった。
 
細かいところで気になったのは剣(ノートゥング)で、小道具としてちょっとちゃちでかなり軽そうだった。この剣は、そんなに深読みをしなくても、「男性」の象徴でもあることは自然に理解されるものであるから、それなりの道具、それなりの演技上の扱いがほしい。
そしてジークムントがフンディンクを戦おうというとき、ウォータンの槍がこの剣をくだき、ジークムントは敗れて死んでしまうが、ブリュンヒルデがジークリンデを連れて逃げる時に剣の破片を拾い集めていくようには見えない。これも少し気になった。
 
レヴァインの指揮は、こういう豪華キャストが気持ちよく演技できることがよく理解されるもので、ワーグナーの音楽を本質から自家薬籠中にしているといってよい。
ただ一つ欲を言えば、第1幕の若い二人の愛の場面のはじまり、扉があいて冬の風が入ってきた空気に、いや入ってきたのは「春(レンツ)」だとなる「冬の嵐は過ぎ去って、、、」のところ、ここはメロドラマだからオケはもう少し小さく控えめに始まって、というのが私の理想、メトの大きな舞台でこうはいかないのかもしれないが。
 
1年前にはつらそうにカーテンコールに出てきたレヴァイン、今回はピットにいたままだった。元気そうで、ご機嫌ではあったけれど。予定通りいけば今年は「ジークフリート」(もしかしてジークムントのカウフマンがジークフリートも? まさか)、来年は「神々の黄昏」だが、なんとか無事に振ってほしい。
 
なおあらためて思うのはこの「指輪」を通しての「女」の力である。フリッカ、エルダ、ブリュンヒルデ、彼女たちに男たちは結局かなわわず、滅び、滅亡を願う。
特にブリュンヒルデは、ここから最後まで、主役であり続けるわけで、ワーグナーが最も力を注いだキャラクターだろう。
 
それにしてもワーグナーという人は女性をよくわかっていたと思う。
そしてこの人は、こういう豪華な舞台を、いずれは4つ続けて家庭で高画質で堪能できるということを、生きていればと仮定すると、望んだのではなかろうか。
 
今回の主なインタビュー役はプラシド・ドミンゴ、なかなか知性的でうまい。

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ラインの黄金 (メトロポリタン)

2012-01-13 18:03:29 | 音楽一般
ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指輪」序夜「ラインの黄金」
指揮:ジェームズ・レヴァイン、演出(production):ロベール・ルパージュ
ブリン・ターフェル(ウォータン)、ステファニー・ブライス(フリッカ)、エリック・オーウェンス(アルベリッヒ)、リチャード・クロフト(ローゲ)、ゲルハルト・ジーゲル(ミーメ)、ウェンディ・ブリン・ハーマー(フライア)
2010年10月9日 ニューヨーク メトロポリタン歌劇場 
2011年10月WOWOWの放送
 
指輪四部作のうち、ワルキューレは確か実演で一回、ビデオでも何回か見ているが、この「ラインの黄金」は、それほど見ていない。もっとも録音だけなら何度も聴いているから、追っていくのにそれほど苦労はない。
 
それでもこうして良い画質で見ると、この作品はワーグナーの世界観、人間観を明確に語っているものだということが、如実にわかる。
それは、歌手たちのたっぷりした声量と明解な歌唱、そして指揮者レヴァインの練達によるところも大きいが、今回は何といっても演出のルパージュだ。
 
ルパージュの演出は先の「夜鳴きうぐいす」(ストラヴィンスキー)で驚かされ、彼は「シルク・ド・ソレイユ」などで大変評判な人ということも初めて知ったのだが、これは演劇に詳しくない私としてはしょうがない。
 
クレジットでルパージュはディレクションではなくプロダクションとなっている。オペラで一般にどういうのかは知らないが、舞台の装置、照明など、全体のコンセプトが斬新で、これはプロダクションというにふさわしい。
 
とはいえ、シンプルといえばシンプルで、あまり具象的な装置、衣裳よりは、少なくともワーグナーの場合、こうした抽象的な、観る者に受容を委ねるやり方の方が、私は好きである。
 
特に、舞台の床が傾き、またその下で小さい球状の石が動き、またそれが照明でさまざまな効果をあげているところ、ラインの乙女たちの動き、巨人たち、地底の労働者など、床の高低とその見かけをうまく利用するところは「夜鳴きうぐいす」とも共通する。
宙吊りも使うから、歌手によっては大変だが、メトロポリタンだからか、彼らも楽しそうにこなしているようだ。
そして最後の「ワルハラ城」への入場で、またあっといわせる。
 
歌手ではなんといってもブリン・ターフェルが注目のまとで、最初はちょっと力強すぎるかなとも感じたが、「ラインの黄金」ならまだ若々しいウォータンでもいいだろう。
 
アルベリッヒのエリック・オーウェンス、四部作の後の方を考えれば、なかなかへこたれそうにない悪役ぶりはぴったり、リチャード・クロフトのローゲはもう少しクレバーさがほしい。
フリッカなどを含めてみかけは全体にちょっと太りすぎではないかと、思う。いくらワーグナーでも。 
 
レヴァインの指揮によるオーケストラは見事なものだが、このあとの不吉な結果を予感させる一部のライトモチーフの音色には、もう少し暗さがほしかった。
一番の心配はカーテンコールに出てきたレヴァインの状態で、まともに歩けるのだろうか。以前からそういう情報はあって、やはり肥満が原因か。2011年には第一夜「ワルキューレ」を振っているからそれはいいとして、あと二つ無事に指揮してほしいものである。

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開かせていただき光栄です (皆川博子)

2012-01-11 15:50:39 | 本と雑誌
「開かせていただき光栄です - DILATED TO MEET YOU - 」 皆川博子 著
(早川書房 2011)
 
たいへん多くの要素を18世紀ロンドンに詰め込んだ、壮大な物語である。といっても、これは解剖教室の運営者とその弟子たち、その周辺、そして田舎から出てきた詩に天分を持つ少年、彼らの世界であり、その中で事件は起こり、謎解きミステリは始まる。
 
人体の解剖シーンが最初は多いから、不気味に思えるが、そこは笑いの場面などをうまくさしはさみ、次第に抵抗なく読み進められるようになる。
 
主人公と思われる人物が少しずつ入れ替わっていって、盲目の判事が登場してからは、この人が謎を解いていくが、魅力的なキャラクターである。
特に後半は、一頁一頁が読みごたえがある。一つ一つの駒が重要な役割をしているから、あまり頭に入っていなかったことが後から意味を持ってきたりして、立ち止まって思い出すのに時間がかかることもあるが、それは読む方の御愛嬌というものだろうか。 
このまま行ってしまうと、、、と思っていても、作者はさらに上を用意していて、読後の味わいに悪いものはない。このあたりが「ネタバレ」防止上は限界? 
 
副題の英語「DILATED TO MEET YOU 」は、DELIGHTED TO MEET YOU つまり「お目にかかれて光栄です」の言い換えで、教室で登場人物たちが解剖する前にこう挨拶することにしている、と本文中にある。これが小説の題名になっているというわけだ。
 
なお、18世紀のロンドンでは、内科医にくらべ外科医の地位は低く、解剖の重要性を認識させることに当事者たちは苦労したと書かれている。外科手術は理髪師がやることもあったそうだが、そういえばこのあと19世紀の話だけれども、有名なミュージカルでジョニー・デップ主演の映画にもなった「スウィーニー・トッド」の主人公も理髪師だった。

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