おはようございます。
世の中には理屈では解決できないことが多くあります。
花園大学の学長をつとめておられた山田無文老師の「死に直面したとき」のお話を唯識の学習の中で太田久紀先生からお聞きしたことがあります。
老師は20歳のころ重篤な結核を患い、郷里で闘病生活を送っていたことがあるそうです。お兄様はその闘病生活を送っていた時に、同じ結核で老師よりも軽微であったにもかかわらずいのちを奪われてしまったとか…。
傷心していた老師は、梅雨も終わるころ、縁側へ出て、庭を眺めていたそうです。気持ちのよい涼しい風が老師の頬を優しくなでたその時、ふと「風とは何だったかな?」と考えたそうです。
風とは空気が動いているのだ、と思った時、老師は鉄の棒で背中をゴツンと叩かれたような衝撃を受けた…と。
老師は生まれてから20年もの間、この空気に育てられながら、空気のあることに気がつかなかったそうです。空気の存在に気づかないのに、空気は寝てもさめても休みなく、自分を抱きしめてくれている…と気づいたとき、泣けて泣けて仕方がなかった…と。
「自分は一人じゃない!自分の後ろには生きよ、生きよ…と自分を育ててくれる大きな力がある。俺は治るぞ!」と思ったそうです。1920年頃のお話ですから結核は不治の病だったと思います。そして、こんな歌を口ずさんだそうです。
【大いなるものにいだかれあることを
けさふく風のすずしさにしる】
その後かなり健康を回復した老師は、大圭和尚という不思議な力を持った方に出会います。その出会いはまるで、白隠禅師が、生死の境にいたとき、白幽禅師によって健康を回復したお話と重なり合います。
この和尚は「管長だの老師だのぬかしても、病気をするような禅坊主は、みなにせものだ!」と豪語していただけに医者にかかったことは生涯なかったそうです。大圭和尚は昭和28年81歳で遷化されたとお聞きしました。
「思い」の力。そして、人との出会い。これが人生を左右するのですね。因みに山田無文老師は90歳で遷化されました。
これから大阪に行ってきます。(荻山貴美子)
五日市剛先生と田原豊道先生