岐阜にいます。
久しぶりにお弁当を作ってきました。
半年前には田原先生、夫、私の3人前でしたが、今は2人前。
のり弁、椎茸とネギ入り卵焼き、カブときうり、ナスの浅漬け、牛肉の大和煮、人参グラッセ。簡単なものです。
部屋で思わず夫に電話してしまいました。
「おかけになった電話番号は現在使われておりません」
そうですよね。でるわけないです。
もう夫はいないのですから…
*
もしもし、今ホテルに着いたわ
あー、おつかれ!
今何してる?
今、君が作ってくれた弁当食べてる。美味しいよ。
*
こんな会話を思い出しています。
精神科医のエリザベス・キューブラ・ロスが悲しみを癒す智慧の書の中でこうおっしゃっています。
「死とはこの人生からべつの存在への移行にすぎない。べつの存在になれば、痛みも苦悩もなくなる。それを知っていれば、喪失や悲嘆のさなかでも、愛している人が無事であるということを知る助けになる。
自分が死んだら、先に逝った愛する人たちに再会することもできる。
いまこの世で愛している人たちを、べつの存在となって援助することもできる。 大声で笑いあったり、ほほえみあったりすることもできる。死後の生を信じていない人には、あかんべえをしてこういってやる。「ほら、わたしたちはここにいて、このとおり、だいしょうぷよ」って。
ほんとうに永続するものは愛だけであることを、わたしは知っている。だからこそわたしは、自分が生きた人生と自分が失った人たちの不在を寂しく、懐かしく思うことだろう」
そうなんです。
私の抱く感情は、ごく普通だったのです。
今日は少しだけ疲れました。おやすみなさい。