『寿命とは時間である。仏教では時間を無常と言う。つまりすべての存在しているものは常に変化していると仏陀は説いた。私たちは時間に振り回されて忙しく生きている。振り回されている間は、自分の身体が一瞬も止まることなく変化しているという事実に気づかないのである。
時間は不思議である。いつも同じ速さで流れていくのに、現代人はまるで時間と競争しているかのように見える。それをドイツの作家エンデは小説『モモ』の中で時間どろぼうと呼んだ。盗まれた時間を人間に取り返してくれた女の子の不思議な物語である。訳者大島かおりはこう言っている。「『時間がない』『ひまがない』―こういうことばをわたしたちは毎日聞き、じぶんでも口にします。いそがしいおとなばかりではありません。子どもたちまでそうなのです。けれど、これほど足りなくなってしまった『時間』とは、いったいなになのでしょうか?機械的にはかることのできる時間が問題なのではありますまい。そうではなくて、人間の心のうちの時間、人間が人間らしく生きることを可能にする時間、そういう時間がわたしたちからだんだんと失われてきたようなのです。このとらえどころのない謎のような時間というものが、このふしぎなモモの物語の中心テーマなのです」(大島かおり 2021、401)。
好きな人と一緒に過ごす時間は瞬く間に過ぎ、苦手な人と過ごす時間は途轍もなく長く感じる。時間とは本当に捉えどころがない。』
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これは立教セカンド大学に提出した私の修論のほんの一部です。
私たちに残された時間はあとどのくらいあるのでしょうか?
死は不意に襲ってくるかもしれない。明日かも知れないし、来年かもしれません。
今40歳の人でもどんなに長生きしてもせいぜい50年。
私に残された人生があと10年もあれば、私は上等です。
一所懸命に生きすぎたから、走り続けてきたから、もう充分です。
だから、今は一日一日が大切です。
ほんの一瞬でも時間どろぼうにとられたくないのです。
今日は朝10時から夕方5時までzoomセミナー。そこで新しい友人と巡り合いました。
私には失われた2年間があります。もう取り戻せない2年間。
しかたなかったとはいえ、失われた「とき」は絶対に還らない
皆さんもどうぞ時間を大切にお過ごしください。