NHKハイビジョン放送で、懐かしい
『 モーゼの十戒 』 の映画をやっていました。
学生の頃は意味もわからず、ただ 『 モーゼ 』 の行く手の
海が大きく割れる、というところしか印象に残っていませんでした。
改めてみると、本当によく出来た映画です。
それも超大作 !! ( 途中休憩が入るのです )
昔はこういう、映画にお金をかけて、素晴らしい作品が出来たのだと
感動します。
字幕の翻訳にも苦労の後が見えるようですし、
まじめに取り組んで、なにせ聖書の物語ですから、
キリスト教の専門の方にも相談しながら、
厳密に言葉を選んでおられるような気がします。
そのなかで、『 モーゼ 』 が 『 神 』 に出会う
シーンがあるのです。
そのとき、神は自分のことを 『 God 』 と名乗られない
『 自分は、ありて在るもの 』
そういう翻訳になっていました。
気になり、
調べてみると、 『 在りて在るもの 』 は
英語では 『 I am Who I am 』
( ちょっと分かりにくい英語です )
ずっと考えていたのです ( ナ~ム )
… …
ふと、仏教でいう 『 如来 』 という字と絡めて考えると
自分なりには解けた感じでした。
「 如来 」 ( 如から来たもの )
『 如 』 とは、形なきもの、本来は
それがある形をとってやって来たもの、が 『 来 』 してくる
この世の中すべてのものは
『 如 』 という形のない世界から
『 来 』 という形あるものとして表現されたもの、
と考えると、
『 I am Who I am 』 ということも、
( 私は誰のものにもなりえる 私である )
という風に、訳してみることが出来るのではないでしょうか。
『 如 』 ということも 『 いのち 』 という言葉に
置き換えることが出来かもしれません。
「 いのちそのもの 」 はわからない、
けど、あらゆる 『 生きとし生けるものの 』 は、
そこから生まれるというか、一つの表現として
出て来ている。 ( 人間も含めあらゆる生き物 )
「 村上和雄先生 」 は その根源的な命の存在を
『 Something Great 』
( サムシング・グレイト ) と呼ばれたのでしょう。
『 われは、在りて在るもの 』 という言葉が
学生の頃に聞いて、なぜなのか分からないのですが、
ずっと、記憶のどこかに、気になる言葉として残っていたのです。
大変長い映画でしたので、完璧には見こなすことが
出来ませんでした。
懐かしい 『 ユル・ブリンナー 』 も見ることができ、
この言葉も、思い出させていただいて、
もう一度ゆっくり、はまってみたい映画でもあります。
『 モーゼの十戒 』 の映画をやっていました。
学生の頃は意味もわからず、ただ 『 モーゼ 』 の行く手の
海が大きく割れる、というところしか印象に残っていませんでした。
改めてみると、本当によく出来た映画です。
それも超大作 !! ( 途中休憩が入るのです )
昔はこういう、映画にお金をかけて、素晴らしい作品が出来たのだと
感動します。
字幕の翻訳にも苦労の後が見えるようですし、
まじめに取り組んで、なにせ聖書の物語ですから、
キリスト教の専門の方にも相談しながら、
厳密に言葉を選んでおられるような気がします。
そのなかで、『 モーゼ 』 が 『 神 』 に出会う
シーンがあるのです。
そのとき、神は自分のことを 『 God 』 と名乗られない
『 自分は、ありて在るもの 』
そういう翻訳になっていました。
気になり、
調べてみると、 『 在りて在るもの 』 は
英語では 『 I am Who I am 』
( ちょっと分かりにくい英語です )
ずっと考えていたのです ( ナ~ム )
… …
ふと、仏教でいう 『 如来 』 という字と絡めて考えると
自分なりには解けた感じでした。
「 如来 」 ( 如から来たもの )
『 如 』 とは、形なきもの、本来は
それがある形をとってやって来たもの、が 『 来 』 してくる
この世の中すべてのものは
『 如 』 という形のない世界から
『 来 』 という形あるものとして表現されたもの、
と考えると、
『 I am Who I am 』 ということも、
( 私は誰のものにもなりえる 私である )
という風に、訳してみることが出来るのではないでしょうか。
『 如 』 ということも 『 いのち 』 という言葉に
置き換えることが出来かもしれません。
「 いのちそのもの 」 はわからない、
けど、あらゆる 『 生きとし生けるものの 』 は、
そこから生まれるというか、一つの表現として
出て来ている。 ( 人間も含めあらゆる生き物 )
「 村上和雄先生 」 は その根源的な命の存在を
『 Something Great 』
( サムシング・グレイト ) と呼ばれたのでしょう。
『 われは、在りて在るもの 』 という言葉が
学生の頃に聞いて、なぜなのか分からないのですが、
ずっと、記憶のどこかに、気になる言葉として残っていたのです。
大変長い映画でしたので、完璧には見こなすことが
出来ませんでした。
懐かしい 『 ユル・ブリンナー 』 も見ることができ、
この言葉も、思い出させていただいて、
もう一度ゆっくり、はまってみたい映画でもあります。