本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

かたよらないこころ 「 お彼岸 」

2014-03-22 10:39:50 | 住職の活動日記

 やっと今日の昼ごろより、暖かくなりそうです。

21日の中日をはさみ24日までが彼岸の一週間です。

 昼と夜の時間が同じ、

 太陽も真東から上がり真西に沈む、

お彼岸には真ん中という意味もあります。

 

 お釈迦さまも 「 中道 」 ということを

教えておられます。

 どちらにも偏らないこころです。

お経の中では、

 「 苦楽の二辺を離れよ 」

という言葉で出てきます。

 「 琴の糸もゆるけりゃ音が出ない

   きつく張りすぎても音が出ない

   ちょうどいい具合でいい音が出る 」

という、村娘が歌う歌を聴いて、

お釈迦さまは、ハタッと気がつかれました。

修行も、苦しい苦行だけでも体を傷めるだけで

悟りを開くことができない。

反対に、瞑想だけしていても、その時は

心は穏やかになるが、瞑想を離れると

またもとの自分に戻ってしまう。

 ということで、苦楽の二辺を離れる

とおっしゃたのです。

 

 なかなか、 「 かたよらなこころ 」

といっても、難しいもので、

私たちは偏る心、というか癖をもっているのです。

 

 修行時代、師匠の三浦先生の言われることも

理解できず、どうしていいかわからず、

 「 もう自分はダメです !! 」

と、逃げ出したくなりました。

その時、えらく叱られました。

 「 それほどまでに

  お前の我執が強いのだよ。」

といわれても、その我執が強いということすらわかりませんでした。

自分ではへりくだったつもりだったのですが ??

 

 丁度今読んでいる 「 十地経講義 」 の

なかにその答えを見つけました。

 『 大乗というのは一切衆生というものに

  ことごとく持っている精神ですね。

  誰でも持っている

  どんな悪党もどんなつまらん人間も

  みなもっとるような法を大乗というのでしょう。

  その人だけにしかない、というようなのは

  小乗なんじゃないでしょうか。

  あの人は頭がいいとか、

  何か実力があるとか、

  腹が太いとかいってるのは小乗的なんでしょう。

  どんなつまらん人間もですね、

  わしは駄目だといわせんものが大乗ですね。

  わしだけもう駄目だと、堪忍してくれと、

  こういうようにいわせんし、

  しかしまた、わしだけがあるともいわせん。

  お前ら駄目やろと、わしだけがあるるんだと、

  そういう抜け駆けの功名も許さんのです。

  そうかといって、わしは駄目だということも許さん、

  威張ることも許さんし、

  同時にまた絶望することも許さん。

  わしゃ駄目だと、いうようなことをいってるのは

  謙譲のようだけど、我執を捨てんから

  そういうんです。

  我執を捨てんから、わしは駄目だということをいう。

  また、我執があるからして、わしだけやっとるんだ、

  と、こうなるんです。

  そこを破るところに初めて静かな、

  謙譲であってしかもお互いにいたわり、

  人を叱りつけんというのです。

  つまり、そこがディスカッションですよ。

  これが教育の原理です。

  お前ら駄目だろうというようなことじゃない。

  駄目ならみんな駄目なんです。

  駄目でも大丈夫だ。

  駄目なものは一人もおらんのだ。

 

   こういうので初めて、

  一切衆生というものが、

  一切衆生を一人一人が代表しとると、

  とともにまた自分も一切衆生の一人だと。

  自分が一切衆生の一人であるとともに

  また一切衆生を代表してると。 』

 

自分は駄目だとも言わないし、

また自分だけが偉いんだとも言わない、

大勢の人類の一人ではあるけれど、

また同時に人類を代表している

私でもある。

こういうところに本当の平等という

ことが成り立つのでしょう。

 

 かたよらないお彼岸とは、

どっちつかずということではなく、

その中の一人でありつつ、

その中の人を代表している一人でもある、

という、二つの構造があるように思います。

 

 

 

 

 

  

   

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